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送り火~おくりび~ - 三

2015/02/17 11:00

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「……僕は何も出来なかった。街の心臓を止めたのは咲也だよ……」
「いや、そうさせるよう、契約者の心を動かしたのがお前なのだ。あの少年に、私を追い出し、自らの魂の一部である天使さえも切り離すという奇跡を起こさせたのは、お前を想う心――――」
「……」
「私は一旦、元来た世界に帰る。こちら側の未来はやはりこちらの者に任せておくのが良いようだ。だが、覚えておくがいい。ここがもともとは我等の地であったことを。人間が自然の秩序に背き、この星を滅びへと導き続けるのを恐れ、我等がこちら側に干渉せざるをえなかった事を。我等の世界と、お前達の世界は、一枚の紙の表と裏だという事を。もし、まだこのまま自然の秩序に人間が背き続けるのなら、私は再び現れるだろう。我等の世界を守るために」
 麗夜を通じて伝わる魔王の思念は不思議と温かかった。その事が克己を少し驚かせた。同じだ……彼等もまた、自分達の世界を守るため、心を痛めているのだ……そうわかって、異界の者に対する恐怖は和らいだ。
「昔……世界は一つだった。表も裏も無かかった……それが証拠に、こちら側にも我等の仲間が残っている。人間もまた肉体が死した後、我等と同じ姿となる……我等の同族達の声を聞き、姿を見る者よ。懐かしい時代の言葉を語る者よ……未来はお前を選んだ。もしかするとそれは、またいつか我々の世界と、お前達の世界が一つに戻る日が来るということかもしれんな……」
「そうだね……僕に一体何が出来るのかわからないけど、約束は出来ないけど……今は無理でも、いつかきっと、手をとりあえる日が来るよ。何年、何百年先かはわからないけど……人間だってまだ捨てたものじゃないと、僕は思う……気がついてくれるよこのままじゃいけないって。いつか皆が見えるようになるよ。霊や物の怪や妖魔……この世界にいる、他の住人達の姿が」
 克己の言葉に、麗夜の姿で魔王は頷き、それからふと、空を仰いだ。時間がないのだ。純粋の魔界の者が留まれるだけの、魔力はすでに京都の街から消えはじめている。
「その言葉、覚えておく……」
 そう言い終わると、麗夜は再び糸が切れた様に倒れた。魔王の意識が離れたのだ。
「あっ……!」
 克己と和馬は息を呑んだ。
 麗夜の姿が変わってゆく……顔は見えない。だが急速に艶を失ってゆく金髪や、女性よりもしなやかで繊細優美な手の甲の、しみ一つなく透き通るほど白かった肌に浮かびあがる、齢の刻む皺、血管の浮き出し、ほくろ……それらが、魔力によって止まっていた彼の三十年もの時間が一瞬にして戻った事を物語っていた。
 ……魔界と契約を交わし、魔界を守るために遣わされた美貌の魔術師は、死によって契約から解き放たれ、やっと安らぎを得ることが出来たのだ。
 克己と和馬は空を見上げた。
 魔王は魔界の扉をくぐり、彼等の世界へ帰ろうとしていた。
 その姿を見上げ、克己は小さく呟いた。
「今はまだ……でもいつかきっと……」
 その声が届いたのか、空の魔王が微笑んだ気がしたのは、気のせいだったろうか。
 ふと、悪魔も元は天使と同じだった……という話が頭に浮かんだ。
 虹色の魔界の雲の渦は、もうほとんど消えようとしていた。空気に満ちていた妖気も和らぎ、街を包んでいた濃い闇も消えてゆく。空から、かすかな青い光が射し込んでくる。それは本来のこの時間の、まだ完全には暮れきっていない空の色だった。
 克己達の足元に倒れていた麗夜の身体が、すうっと宙に浮いた。何かに抱えあげられるみたいに、そのまま空に昇ってゆく。
 それは魔王の、魔界のために働いた魔術師への、最後の慈悲だったのだろうか。
 麗夜は消えた。魔王と共に、魔界へと。
 完全に、空から魔界の雲が消えた。風の音も、妖魔達のざわめきも止んだ。
 静けさだけが後に残った。
 京の街は、蒼い薄明かりに包まれている。もうすぐ、本当の夜が訪れる……その前の最後の陽の光の名残に浮かび上がって。

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まいるどタブレット小説 Ver1.13