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百鬼夜行~ひゃっきやぎょう~ - 八

2015/02/16 13:54

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 一方、ドアを潜った俊己もまた、途方に暮れていた。
 確かに自分は入り口の扉からビルの中に入った……筈だった。だがここは……
 目の前に広がるのは、鬱蒼と木々の生い茂る薄ぐらい世界だった。
 かなかなかな……蜩の悲しい声。虫の音、木々の葉を揺らす微かな風。腐葉土の湿った匂い、完全な夜が訪れる前の名残の薄明かり。
「ここは……」
 明らかに何処かの山の中だ。しかもこの場所には見覚えがある……
「待っていたよ」
「!」
 冷たい声と同時に、気配も感じさせず目の前の木の陰からふわりと人影が現れた。その人物は薄青に沈む森の精霊そのものだった。
「おや、一人か。あの坊やも連れてくればよかったのに」
「……」
 俊己は何も言わなかった。いや、言えなかったのだ。目の前の人物は確かに見知った旧友の姿。彼に誘われてここへ来たのも確かだ。だが……
「久しいな。二十九年ぶりか?」
 そう親しげに語りかけるのは、昔と何ら変わらぬ姿。その事が俊己は信じ難いのだ。
「ふふ、そう驚ろかなくともよかろう? 君が私を見間違える事の無い様、君と一緒だった頃と同じ姿で来たのに」
「……麗夜? 本当に麗夜なのか?」
「ああ。正真正銘生身の人間だよ。年をとる事はあの時からやめてしまったがね。俊己、本当に会いたかった……一時も君のことを忘れた事は無かったよ」
 美しい仮面のような顔に、僅かに人間らしい表情を浮かべ、麗夜は目を細めた。
「わしもだ。なぜもっと早く現れなかった?」
「いろいろあってね。しかし君は老けたな。……もう父親になったのだからな」
「――――それほど時は過ぎたのだよ、麗夜」
 二人は向かい合ったまま黙り込んだ。空白の長い月日を埋めるかのように。
 しばらくしてぽつりと麗夜が問うた。
「俊己、ここを覚えているか?」
「ああ。忘れもしない。お前がいなくなったあの場所だ」
「そう。一つ言っておくが、私はあの時の事で君や義恭を恨んではいない。あれは誰のせいでもなかった。私が未熟だったに過ぎん」
「……」
 俊己が過去を麗夜に対する負い目として背負っている事を知っていての前置きだろうか。
「ではなぜここなのだ?」
「あてが外れたか? そうだな、君は私を倒し、あの少年を取り戻しに来たつもりだったか。だが残念だが私の塒に案内するわけにはいかなくてな」
「……」
「ここは、私の全てが終わった場所であり、始まった場所……君と過ごしたあの日々は私にとって今でも一番大切な記憶。それが終わった場所。そして今の私に生まれ変わったのもここ。今日、君とこうして再会し、新しい君との関係をはじめるのもここが相応しいと思ってね」
 ほんの少し、懐かしい目で麗夜は足元を見下ろした。数メートル先には小さな岩の裂け目が口を開けていた。
 俊己は複雑な心境だった。相討ちになってでも……と覚悟を決めてきたはずだった。だが徐々にその覚悟が萎えていくのを感じて。……どうもこの場所が感傷的にさせるようだ。そう、俊己にとってもここは特別な場所なのだ。
(いかん、いかん)
 俊己は心の中で首を振った。これも麗夜の思惑なのかもしれないと思いなおして。
 再会を懐かしむのもここまでだった。俊己は本題に入った。
「……麗夜、わしも先に一つ言っておこう。克己や皆には叱られそうだが、わしは正直なところお前と戦いたくはない。和馬君に言ったそうだな。今でもわしの事を友人と思っているとな……わしも出来ればそう思いたいのだ」
「それは私に協力してくれるという事か?」
 麗夜の顔に微笑が浮かんだ。それは邪気の無い笑みだった。
 だがすぐにそれは消えた。
「いや……今のままお前がこの街に、いや現(うつつ)の世全てに危害を成すのであれば、わしはお前と対峙せねばならん。瀬奈の家の名においても。だがもしこれ以上何もせず、咲也君も無事返してくれるというのならば、友のままでいられる」
 大方予想してはいたものの、俊己の答えは麗夜が聞いて面白ものでは無かった。
「そう言うと思っていたよ。だが一つ訂正しておかねばな。私は決して、この世に危害を加えるつもりで今回の計画を実行しているのでは無いという事を」
「危害を加えるつもりが無いと? 今の状況を見れば納得がいかん。お前程の能力者ならば、魔からこの世を護る、この街の霊的な防衛圏が崩れればどうなるかはわかるだろう?」
「その言葉、私こそ返したい。君程の能力者が何故わからぬのかと。魔界がこの世に干渉する事が何故いけない?」
「……人と魔は相容れぬ存在だからだ」
 難しい質問にそう答えたものの、俊己とてそう思っている訳では無かった。一言で答えられる内容では無い。麗夜はその心理を読んだように、
「ありきたりな答えだ。本心からそう思っておるまい? まあいい、言葉には出来んな。 だが、今の世の中が正しいと思っているか? 人間だけが我が物顔でのさばり、科学の名のもと機械で何もかも操り、母なる星を汚しているこの世の中を」
「……」
「私はあの後、君達が想像もつかぬ体験をさせてもらったよ。おかげで自分の使命を見出す事が出来た」
「使命?……それがお前がこの街を魔界に変えようとする理由なのか?」
「そうだ。私の使命はこの世界の全てを変革すること。今の間違った世を正しい方向へと導くこと。この特別な街はその時を待っているのだよ。千二百年の眠りから目覚め、真の姿を現す日を」
 内容はかなり壮大であるにもかかわらず、麗夜は冷たい声で淡々と語った。その事が一層、彼が本気だと物語っている様に俊己には思えた。
「悪いが麗夜、わしには理解できんな。確かに人間は間違っているかもしれない。だが長年に渡って築き上げてきた人の営みというものもあるのだよ。わしが今願うはただ一つ。この街が、この世が平静であること。それを守り続けること」
 そう返した俊己を、見る麗夜の目が少し厳しくなった。
「所詮君もその程度か……平凡な生活に慣らせれて大局を見る目を失ったという訳か。義恭も同じ事を言った」
「義恭と同じに殺すか? わしも」
「……悲しい事を言ってくれる。私に手を下せと? 無駄だとは思うがもう一度訊く。私に協力して、この世界を新しい秩序のもと治めてゆく気は無いかね?」
「無いな。ではこちらも無駄とわかっているが、もう一度言おう。咲也君を返してはくれんか? あの子がいなければお前の行おうとしている儀式とやらは出来んはずだ」
 真っ直ぐ見つめ合う二人の間に、見えない壁が築かれたかに思えた。
 しばらくの沈黙の後、麗夜が冷たく言った。
「……交渉は決裂だな。残念だ。やはりここは何かが始まる場所なのだな。今から私は君を友とは思わん」
 これは宣戦布告だ。俊己は身を引き締めた。こうなるのはもとより覚悟の上。
「ふっ、俊己、そう構えるな。私とて君をここに連れてきた事で、返還を求める少年に会わせない事はフェアじゃないと心得ている。ここで戦っても君に意味はなかろう?」
「……咲也君はどうした?」
「あの子は替わりの無い大事な体だからね。大切にしまってある。心配するな。儀式までは傷一つつけるつもりは無い。……さて、君の可愛い息子が心配してお待ちかねだよ。今日のところは帰るがいい」
「……・」
 思いがけず俊己は命拾いする事になった。
それは俊己にとって屈辱的ではあった。説得も咲也を取り返すことも出来ず、戦う事すらかなわず帰されるのだから。だが悔しいが麗夜のいう通りここで戦っても意味が無い。
 俊己が唇を噛んだ時、ふいに辺りの景色が一変した。足元の感触も柔らかい山の下草ではなく、コンクリートタイルの固いものに変わった。そこは本来入ったはずのビルの中だった。
「!」
 目の前に立っていた麗夜の姿も無い!
(ふふふ……今度会う時は容赦しないぞ)
 頭の中に声だけが響いた。
「父さん!」
 麗夜の替わりに、目の前に立っていたのは克己だった。その表情は顔全体が疑問符で一杯という感じで、半ば呆れ返っている様でもあった。
 締め出され、困り果てていたところを、中から出てきたこのビルの社員と入れ違いに何とか入って来たのだ。不思議な事に、幾らもがいても開かなかった扉には鍵は掛かっていなかった。ビルの中を隈なく捜し回っても俊己どころか、和馬の行った部屋らしい場所さえ見つけられなかったのだ。その上、目の前で消えてしまった父が、たった今またしても突然現れたのだから、もう何が何だかさっぱりわからないといったところだ。
「ああ、父さん無事? どうなってるの?何処に行ってたの?」
「……麗夜と会っていた。ここでは無く、遠い処でな」
「?」
「どうやら麗夜は時空すら自在に操るらしい。入り口は確かにここだが、扉を潜った途端違う場所に繋がっていた様だ。今はその繋がりを絶ってしまったのだろうな」
「時空を操る……じゃあ、和馬さんが行った部屋もやはりこのビルじゃないのかな?」
「やはり?」
 克己は俊己がいない間に、この建物の中を見て回った事を告げた。
「命が懸かった瀬戸際だったから、和馬さんの思い違いじゃないかとも思ったんだけど……和馬さんはエレベーターで8階に行ったって言ったよね? でもこのビル、7階までしか無いんだよ」
「……・」
「念のため、屋上も行ったよ。そこでこれを見つけた」
 克己は俊己にある物を示した。それは子供の稚拙な紙細工のような、白い人型の紙切れだった。
「これは和馬君の式神の型代……」
「うん。だから和馬さんがここに来た事は間違いないと思ったんだけど、各階の様子も説明とは随分違うし、それらしい部屋も見つからなかった。ワンフロア全部消し去るなんて普通なら出来っこ無い。でも、和馬さんもエレベーターに乗った瞬間、今の父さんみたいに気付かないうちに別の場所に行ってたんだったら……」
「納得がいくか。だがそれならば、麗夜の本当の居所はわからんな」
「……」
「すまぬ。克己。咲也君を取り返すどころか姿さえ見られなかった……麗夜を説得する事も何も――――」
「父さんが無事で帰ってきただけでも充分だ。大丈夫、咲也は無事だから。僕が絶対取り返すから」
 そうは言ったものの――――
 それにしても、時空を操る程の力を持っているとは。克己も俊己も麗夜のその恐るべき実力を見せつけられて、すごすごと帰るしかない自分達が情け無かった。
(麗夜――――なんて凄い奴が相手なんだ! ああ、咲也……僕は本当に君を取り戻せるのだろうか?)

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