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百鬼夜行~ひゃっきやぎょう~ - 七

2015/02/16 13:55

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 当時、俊己は神職の資格を取り、父の跡目を継ぐための修行中の身だった。瀬奈家の特異な立場上、また見聞を広めるためもあって俊己が選んだ師は修験道系の霊能者だった。同じ様な理由で、和馬の父義恭も同門に名を連ねており、そこで二人は知り合ったのだ。
 師には妻との間に、霊力に恵まれなかった長男と、まだ幼い珠代という娘の二人の子供がいた。そしてもう一人、腹違いの息子がいた……それが麗夜だった。
 誰にでも過ちはある。師、天穂慶篤(あまほよしあつ)は技を究めるため欧州に視察旅行に出た折、魔術を使う女と関係を持ったのだ。ほどなく、彼女は彼の子を身籠った。慶篤が帰国したのち、彼女は男の子を出産した。
 十数年後、その子供は母を亡くし、父を頼って日本にやって来た。既に父には家庭もあり妾腹の子供には冷たかったが、かといって身に覚えがある以上、放り出す事も出来なかった。
 また、その子供は他に類を見ない程の美貌もさることながら、父と母から受け継いだ素質には目を見張るものがあった。正妻との間の子供達は霊能力が弱く、天穂家の行く末を慮った慶篤は、その子……麗夜に弟子と共に修行を積ませ、後には正式な跡継ぎに、と考えるに至った。
 父の期待に応えようと、麗夜もそれは熱心に精進した。
 そして数年後、入門してきた俊己、義恭と出会う事になる。彼等は歳が近い事もあってすぐに意気投合した。
「三人、仲が良かったよ。とても……修行はきつかったが、毎日が刺激的で楽しかった……そう、あの日までは」
 そろそろ俊己と義恭の修行期間も終わりに近づいたある日、三人で山の奥深くに除霊の技を磨く修行に出た時の事だった。
 京都市の北に位置する山岳地帯。妖怪や天狗の伝説のあるその辺りは、習練の場にはもってこいの所だが、地の底に通じるとも、異界との連絡口だとも言われている穴がある。小野篁が閻魔大王のもとへ行き来するのに使ったという井戸の話は有名だが、京都には他にも数多くそういった伝説の残る場所があり、そこもその一つである。俊己達もその穴には決して近づいてはならぬと、師からきつく言い渡されていた。
 勿論、彼等は師の言葉を充分心得ていた。だが修行に夢中になる余りか、それとも見えない力に引かれてか、三人は知らぬ間に穴へ近づいていたのだ。
 そして……足を滑らせそこに落ちたのは麗夜だった。
「……親父から聞いた事があります。地獄の入口……そこに落ちた者は決して助からないとも、異界に出るとも――――」
「左様。見た目はそう深くもない小さな岩の裂け目。麗夜は岩に掴まり、下までは落ちなかったが、わしと義恭が引き上げようとしても、どうしても助けられなかった。最後に見たのは闇の奥から伸びた無数の手に引きずり込まれて行く姿だった。今でもその時の助けを求める声が耳に残っている――――」
 その後、捜索隊も出されたが、結局麗夜はそれっきりみつからなかった。
「……行方不明のまま時が過ぎ、今では戸籍上、死んだ者として扱われている。天穂の家には形ばかりの墓もある。まあ、生死は確認されておらぬから、有りえぬ事ではないのかもしれんが……まさかその麗夜が生きておったとはな――――」
「……」
 沈黙。
 克己と和馬は父達にそのような過去があった事を知り、驚かずにいられなかった。
 だが、まず矛盾に気付いたのは和馬だった
「ちょっと待って下さい。それはもう何年も前の事でしょう?」
 和馬の言わんとする事を俊己も察した。
「……かれこれもう三十年近くも前の話。当時わしが20になったばかりで、麗夜はわしより一つ上だったから……とすると、君が会ったのは……」
「確かに生身の人間でしたよ。どうやらその時から歳はとって無い様ですけどね」
「名を語る別人かもしれん」
 そうは言ってみたものの、俊己は本能的に本人だと確信していた。
「しかし……一体何を思ってこんな事を」
 はあっ、と俊己が大きくため息をついた後黙ってしまった横で、和馬が克己に囁いた。
「何かえらい事になってきたぞ。まさか身内の人間とはなあ……なあ克己坊、お前自分の叔父さん相手に戦えるか?」
 やや躊躇った後、克己はきっぱり言った。
「……冷たいかもしれないけど、そんな事言ってる時じゃ無いし、いくら母さんの腹違いの兄、僕の叔父さんって言っても、会った事も無い人に情も無いもの。それよりも僕には友達の方が大事に思える。相手が誰であろうと、立ち向かうよ」

 克己は割り切った様だが、俊己の心中はかなり複雑だった。
 この街を襲う異変――――─すでに多くの人々がその犠牲になった。若い弟子は鬼に惨殺され、女占い師は瀕死の重傷を負い、和馬の家族をはじめとして、何人もの霊能者達が消された。また、息子の親友はこの瀬奈の聖域から連れ去られ、今も篭絡されたまま恐ろしい儀式の道具にされようとしている……それらを引き起こした憎むべき相手が、かつて親友と呼んだ男……義兄だとは。
 できれば嘘であってほしい――――─
 今は小さな神社を護る宮司家としてひっそりと残るのみだが、瀬奈家は京の闇の歴史を司って来た一族。こういうオカルト的な驚異がこの京都に訪れる時のために、先祖より霊能力と秘術を受け継いで来たのであればそれを生かさなければ。危険な道を選ぶ事になるし、自分に何かあれば残される環達は……と思うと気が重いが、それが定めならば戦うしかない。
 だが……
『大人しくしていれば――――』
 微塵も心が動かなかったと言えば嘘になる。悪魔の甘言の様に、密やかに俊己の妻や子供達の事を考える父親の部分を揺さぶった。
 それに二十九年前のあの日、半ば見捨てる形で助けられなかった事が、今でも負い目として心に蟠っている。出来る事なら敵に回したくはない相手だ。
(何とかする方法はないものだろうか?)
 俊己の迷いを見ていたかの様に、翌日の朝一通の封書が届いた。何者が運んで来たのか庭に出た俊己の目の前に、空から舞い降りて来た白い封筒。中には一枚のカードに流麗な文字で書かれたメッセージが。
  “上手く逃げおおせた和馬君から伝言を受け取ってもらったことと思う。
  かつての友、今や義弟だ。貴君にまで剣義恭の轍を踏んで貰いたく無い。
  ここは理解を深めるためにも直接会って話がしたい。
  本日十九時に待っている”
 内容は一方的な招待状。待っているというわりには場所の指定も、差出人も何も無い。しかし言うまでもなく麗夜からである。
 なめた真似を……と怒りが湧いたが、それが迷いを打ち消した。
 望むところだ。あれこれと考えるよりも、直接会って真意を問うた上、説得して諌められるものならば、それでいい。それが駄目ならばその時は――――─
 夕刻、俊己は密かに瀬奈家を発った。
 場所は書いて無かったが、手紙をよこして来たタイミングから、和馬から聞いているだろうから、あえて書かないという事だろう。
 だとすれば目指す場所は決まっている。
 手紙を受け取った事、麗夜に会いに行く事は誰にも告げていない。妻にも、克己にも、和馬にも。云えば止められるに決まっているし、克己などは一緒に行くと言いかねない。麗夜に話し合うつもりなど最初から無く、これは俊己を待ち伏せて排除する為の罠かもしれないのだ。いや、今までのやり方を考えれば、そうである可能性の方が高いといえるだろう。第一、たとえ話し合ったとしても、良い方向に進むとは考えにくく、その場で戦う事になるかもしれないのに――――それでも馬鹿正直に出向いて行く自分に、俊己自身も内心、呆れていた。
 今でも友と呼んだ相手を信じているのか、それとも焦りか……
 召還の儀式とやらまでに、どれ程時間的余裕があるかわからないが、人目を気にする様では、まだ麗夜は本格的には動き出していないと考えられる。推測するに、霊力の最も強くなる十五日前後。だが時間があればこそ、手遅れにならない今のうちに何とかしたい。そして一刻も早く、咲也を開放してやりたい。たとえその場で麗夜と刺し違える事になろうとも……
 決意を胸に、俊己が目的地に着いたのは、まもなく指定の十九時という頃だった。
 和馬が言っていた様に、街のど真ん中だ。まだ日は暮れきっていないが、そろそろ街の灯り、車のライトが目立ち始める時間帯。仕事、学校を終え家路を急ぐ人々、これから夜の街へくりだす若者達、地下鉄、市バスの乗降客……人通りも多い。そんな中、俊己は一つのビルの入口に立った。
 入っている会社、隣接する建物との位置関係から見ても、和馬から聞いた場所に間違いなさそうだ。少し気に懸かったのは、和馬は街に開いた穴の様に、まったく気を感じないと言っていたが、別にそのような異常は見て取れない事だった。この時間、すでにどの階も営業を終えているのか人の気配は少ないが建物自体が発する気も周りと変わり無い。
「……」
 僅かに引っ掛かりを感じながらも、俊己は入り口のガラスの扉に手をかけた。鍵はかかっていなかった。
 覚悟を決め、一つ息をついて中に入ろうとしたその時、
「やっぱりね」
 背後からため息まじりの声がして、俊己は慌てて振り返った。
 よく見知った愛くるしい顔が、ぷうと頬を膨らませて不機嫌そうに立っていた。
「克己!どうして……」
「僕が後をつけてたのに気がつかなかった? どうも様子がおかしいって思ってたら案の定だ……ずるいよ父さん、黙って一人っきりで来るなんて。乗り込むつもりなら応援を呼ぶか、せめて僕達に言ってほしかったよ。気をつかったつもりなんだろうけど、そんなのってないよ」
 怨むような目で見上げられて、俊己は返す言葉に詰まった。
 完敗だ。克己が後をつけていた事にはまったく気がつかなかった。内緒で出てきたつもりだったが、気づかれていたとは。
「そう怒るな。いや……黙って出て来た事は済まなかった。謝るから」
「謝ってもらっても困るけど……別に僕は怒ってるんじゃないよ。心配してるんだ。父さんがすごく強いのは知ってるよ。でも、でも……和馬さんの怪我を見たでしょ? あんな化け物もいるんだよ。そこへたった一人で乗り込むつもり?」
 心の底から心配しているのがわかる息子の口調と眼差しに、俊己の覚悟は揺らいだ。
 だがここまで来た以上――――
「……克己、黙って行かせてはくれんか。わしはどうしても麗夜に会わねばならん。奴を止めねばならんのだ。友として、義弟として……説得して聞いてもらえるとも思えんが、咲也君を一刻も早く開放するためにも、行かねばならんのだ。わかってくれ」
「なら僕も一緒に行くよ」
「いや、それは……」
「危ないから駄目? それとも足手纏いだとでも言う?」
 先回りで克己に返され、またしても俊己は言葉に詰まったが、その時、
(一人でなくてはならんとは言っていないよ俊己。その子も連れてくればいい)
 どこからともなく声が聞こえた。それは記憶の中にある、聞き覚えのある声だった。
「?!」
 慌てて辺りを見渡したが、それらしい姿は無かった。
「どうしたの?」
 克己が首を傾げている。克己にも聞こえていなかったところをみると、どうやら俊己の頭の中に直接響いた声だったらしい。
「いや……」
(見ているのか麗夜? だが克己を連れていくわけにはいかん……)
「克己……すまん!」
 一瞬の間を置いて、俊己は息子を軽く突き飛ばした。克己は転びはしなかったものの、よろめいて後ずさった隙に、すばやく俊己は扉をくぐった。
「父さん!」
 すぐに後を追った克己だったが、扉は開かなかった。ガラス張りだから中は見えている。俊己が鍵をかけた様子も無かったのに。いやそればかりか……
 俊己の姿がない! たった今入って行ったばかりなのに。ドアを潜った瞬間に消え失せたみたいに。
「父さん……?」
 克己は開かない扉の前で途方に暮れるしかなかった。

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