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鳥篭~とりかご~ - 八

2015/02/17 07:33

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「……一! 解け!!」
 合図と共に、生身の術者が数珠を振り下ろした。経典の巻が空を舞った。“鳥篭”から陽炎のごとく立ち昇ったのは術者達の魂。
 ぱぁん!
 柏手を打ち鳴らした様な音を響かせ、青白い光の檻は弾けて小さなパーツに分かれた。
 中から鵺がその姿を露にした。
 瀬奈の人々の手が一斉に上がり、ある一点を指差した。
「今だ!!」
 俊己か、その他の術者か、克己自身の声かそれとも全員の声かもしれない。叫び声と、克己が矢を放ったのとは、ほぼ同時だった。
 煌く軌跡を描き、破魔矢は見事、鵺に命中した。克己の狙った一点に。瀬奈の人々が差した一点に。鵺の首筋に。
「やった!」
 “鳥篭”から開放されたと気づいた瞬間の急所への一撃。これには、さすがの鵺も何の防御も対応も出来なかった。
 きぃいいいんん――――!!
 鵺の咆哮が、大気も、大地も、何もかもを震撼させた。
 吠え、のたうつ妖獣に人々が後ずさって身構える中、克己だけはゆっくりと鵺に歩み寄っていった。暴れる鵺に巻込まれたら危険だと、止めようとするまわりの術者を制したのは俊己だった。その目は、我が子を信じてやってくれと、訴えていた。
「……はやひ、つとみやよて、りちなゆそな、まや、ゆいのたりやな。かいれか、きにか、くわんぬ、てもて……」
 克己の口から、流麗に流れ始めたのは謎の言葉だった。その声を聞いた途端、鵺はぴたりと暴れるのを止めたではないか。
「おお……!」
 見守る人々から感嘆の声があがった。だが克己の言葉の意味を理解出来た者は、誰もいなかった。皆、真言、経、祝詞、各種の呪文を知悉している者ばかりだ。異国の言葉を使う者もいる。その誰もが解らない、聞き慣れない言葉。何処の国の言葉かすらも知らぬ。しかし、リズム、発音は明らかに日本語のそれだ。呪文の様にも、説得している様にも聞こえる、不思議な言葉。
「……つとみては、ゆいれひさ、くの、わくわてふぬ、りふとおてひ、きや……」
 父であり師でもある俊己ですら、はじめて聞く響きだ。こんな呪文を教えてはおらぬし我が子が独自に創ったとも思えない。そして俊己が驚いたのは、このような初めて聞く言葉の意味を、自分が理解できる事だった。
 実のところ、克己本人も驚いていた。なぜこんな言葉を知っているのか、その意味がわかるのか……だが、知っている。記憶の中にある。それは頭の中の記憶では無い、もっと深いところの記憶……身体を流れる血、細胞の一つ一つ、DNAの螺旋の中に刻まれた、一族の記憶なのか。
 一族といえば、克己のまわりにいた瀬奈の先祖達は、いつの間にか消えていた。
「くわふぬ、まな、くわんぬ、てもてな、きむまふわ、くの、わくわてふぬ……」
 克己はすらすらと、澱みなく唱え続ける。
 不思議な言葉に聞き入る様に、鵺は小首を傾げ、自分のすぐ目の前までやって来た小さな巫女を見おろしていた。次第にその巨大な身体からは力が抜け、後ろ足を折って腰を下ろし、しまいには“おすわり”の形で、行儀良く固まってしまった。
 再びどよめきが上がった。
「瀬奈さん、環ちゃん……いや、克己君はなんて言ってるんですか?」
 葛西が不思議そうに尋ねた。この誰にも解らない言葉を、俊己だけはわかっている事に気がついたのだ。
「……聞くがいい、大地と夜の闇から生まれし者よ。我、かの地より金色の蛇に跨りこの地に参りし者……その血を引く者なれば、証としての言葉、母たる大地の名においてこれから語る事、命じる事すべて、お前は聞かなくてはならぬ。それが世の理……」
「一体、何語です?」
「この国の言葉だが――――遠い遠い昔々、古代の日本語。物の怪、妖魔と人、神が共にあった時代……神代(かみよ)の言葉」
「神代の言葉……」
 頷きながらも、唖然とした表情で葛西は、克己の方に再び目を向けた。少年の魂を持つ少女……存在自体が奇跡とも言えるのだ。たとえ神話の時代の言葉を話そうと、そう不思議では無いのかもしれない……そう納得することにした。その少女は、息も掛かる程の至近距離まで近づいて、なおも鵺に語り掛け続けた。
 今度は皆にも解る言葉で。
「鵺、今までの事を全て許して、忘れるからなんて優しい事は言ってあげられないけど……沢山の人間をお前は傷つけ、殺して来たもの。僕自身、お前に一度殺された……でもお前だって被害者だって事もわかってる。他の妖魔達同様、こんな時代に放り出されて、さぞ戸惑い、生まれ故郷を変えてしまった人間に怒りを覚えたろうね。わかってる……わかってるんだけど、僕はお前に命令しなくちゃいけない。そしてお前は従わなければならない。昔の様に、結界に封じて眠らせてやる方が、いくらかお前には楽かもしれない。でもそうはさせてやらない……鵺、どうか力を貸して。あの魔術師を倒すには、お前の力が必要なんだ」
 鵺は大人しく聞いている。現代語を理解出来るのはわかっているし、矢を射り、主たる身の証を立てる、古代語の挨拶を克己がした以上、鵺の本心はどうであれ従うであろう。しかし無表情な猿面の瞳は、決して気を許したわけでは無いぞと、じっと鋭く克己を睨みつけていた。
 最後に一言だけ、克己は呟いた。祈るように、縋るように。それは鵺に向けられた言葉では無く、独り言だったかもしれない。
「お願い……咲也を取り戻して……」
 小さな声だった。他の誰にも克己の最後の呟きは聞こえなかったろう。だが、鵺にはその声が届いていた。
 突然、鵺が動いた。驚く人々を尻目に、頭を下げ、前足を伸ばして大地に伏せた。その仕種は、主の命令を待つ従順な犬の姿にも、スフィンクスみたいにも見えた。
(――――オマエノ命令ニ従ウ――――)
 克己の頭の中に声が響いた。それは鵺の声だった。
(アノ魔導師ヲ倒ス事デ“さくや”ヲ取リ戻ス事ガ出来ルナラバ)
「鵺……」
 その一言で克己には理解出来た。この鵺もまた、同じだと。環、徳治、神木……そして自分。皆、咲也に魅せられ、彼のために命までもを懸ける。ああ、この孤高の獣王、鵺でさえも。あの自分という存在すら守る術も持たない、たった一人の少年に……考えた瞬間、克己はふと、疑問を抱いた。
 一体、咲也のどこに皆がそこまで惹かれるのだろうか?確かに咲也は美しい。だが、容姿だけでいうなら、他にも見目麗しい人間は大勢いる。例えばどう贔屓目に見たところで、咲也より麗夜の方が美しいと克己でさえ思う。では性格かとなると、今回の騒動の張本人である麗夜は別格としても、咲也だって素直で優しい、ごくごく普通の少年というだけで、別段人格者というわけでも無い。大体、克己はまあ置いておいても、他の誰もが皆そんなに深く咲也と付き合ったわけでも無く、細かい所まで知っているはずもないのだ。なのに何故……克己自身も含めて、なぜ咲也を護らなければならないと、心から思えるのだろうか?鵺のような物の怪ですら咲也の名を聞いて心動かされるのだろうか?
 ……その克己の疑問に答えが示されるのは、もう少し後の事だ。
(アノ魔導師ヲ倒シニ行ケバ良イノカ?)
 鵺の声で、克己は現実に引き戻さた。
「え……あ、うん。そうだよ。でもお前だけじゃない。僕達と一緒に……」
 そこで克己は気づいた。“鳥篭”を解いてからも、和馬が全く動いた気配が無い事に。
(和馬さん――――?)

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まいるどタブレット小説 Ver1.13