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鳥篭~とりかご~ - 一

2015/02/17 07:20

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「うわあぁっ!!」
 断末魔の叫びを残してまた一人倒れた。
 立ちはだかる巨大な怪物……猿の頭部、狸の胴、虎の四肢、蛇の尾を持つという伝説の奇怪なキメラ――――ぬえ。
 額の角が輝く度、その鋭い爪、もう一つの顔を持つ尾が空を切る度、一人また一人と確実に仲間が減ってゆく。
(くそっ……前でさえ勝てなかったのに、もう人間の手に負えるようなレベルじゃなくなってる。麗夜どころか、このままじゃ京都はこいつに滅ぼされるぞ!)
 印を結び、懸命に真言を唱えながら和馬は唇を噛んだ。
 これで三度目の遭遇だが、前にも増して巨大に、そして強力になっている。この化け物は妖気を糧として成長しているのだ。そしてその力の源は無限に近い。
 俊己と克己より一足早く瀬奈家を発ち、麗夜の居所……召還の儀式が行われる場所をつきとめるべく、灼熱の街を駆け回った和馬は、ついにそれとおぼしき場所を発見したのだった。確証は無いし、前に空間を操る麗夜の術中に嵌まった失敗もあるが、今度は十中八九間違いないだろう。今まで考えもしなかった場所――――およそ魔術や妖魔とは無縁に思えるし、この歴史的遺稿も数多く残る京都の中にあって、最も場違いで近代的な物の象徴のようなそこには、街中に満ち満ちた妖気が全て集まりつつあるのだ。
 一刻も早くこの事を知らせなければ。濃密な妖気が電波を遮断するのか携帯も使えない。いや、携帯どころか電話や車、およそ人の作った機械らしきものは全て炎の時以降使えなくなった。移動は徒歩以外に無く、交信手段は無い。
 瀬奈親子は一足遅れで街を下って来、和馬は南から上がって、途中で待機していた味方と合流して、最終的には八坂神社の辺りで集結する予定だった。だが、そこまで行き着く途中で鵺に出くわした。
 それまでも行く手を阻む化け物は数限りなくいたし、いずれ出てくるだろうという事は計算の上だったが、鵺のパワーアップぶりは予想を遙かに上っており、おまけに、虫の居所でも悪いのか……この化け物に感情があるとして……ひどく不機嫌な様子で、前は僅かなりとも理性らしきものすら感じさせ、相手を見て襲っていたものが、今は因縁の和馬を目の前にしても的を絞るわけでも無く、鵺お得意の傷を残さない内部の破壊も精神攻撃も無し。触れるもの目に付くものは全て誰それ構わずの無差別攻撃だ。問答無用の凄惨を究める方法で。
 河原は今や地獄絵図の様相を呈していた。
 俊己の弟子をはじめ、全国から応援に駆けつけた屈強の術師の集団が味方についているにもかかわらず、二十人近くもいたのが、動ける者はもう和馬を含めて七人だけになってしまった――――わずか数分のうちに。
 すでに和馬が瀬奈親子に事態を伝えるべく式神を飛ばしたが、応援はまだ来ない。
 動きを封じる御札も気もものともせず、唸り声をあげながら近づいて来る妖獣に、傷だらけの男達は身を寄せて胸前で印を結んだり数珠を握りしめてそれぞれの型で攻撃に備えているが、こちらから仕掛けるどころか、鵺が発する凄まじいほどの妖気と殺気に押されじりじりと追い詰められて行く。後ろは急勾配の土手。もう逃げる所は無い。
 鵺はすぐには襲って来ず、追い詰めた獲物達の怯える様を楽しみ、蔑むみたいにゆっくりと、だが確実に歩を進めて来る。いっそ一思いに飛び掛かって来られた方がどんなに気が楽だろうか。
「もう駄目だ……みんな死ぬんだ……」
 一人の霊能者がうわずった声で呟き、突然狂った様に笑いだした。無事生き残った内では最も若い、和馬と同じくらいの青年だった。極限の緊張と恐怖に耐えきれず気がふれてしまったらしい。ひきつった表情で涙を流し、声をあげて笑いながら、彼は駆け出した。
「馬鹿っ! やめろ!!」
 和馬達の制止も聞かず、若い霊能者は仲間から離れた。
 冗談じゃない、あんな化け物に人間が勝てるはずが無い! 逃げるんだ、死にたくない! 臨界点を超えた恐怖が、状況を判断する力も術者としてのプライドも捨てさせた。彼は鵺に背を向け、逃走にかかった。よろめき、転びそうになりながら土手を駆け登って行く。
「――――!」
 下から誰か何か叫んでいるが、もう彼には意味が無かった。草を掴み、滑りながらも化け物から遠ざかる事だけに必死だった。
 鵺は追わなかった。だから彼は土手を99%上がりきる事が出来た。あと一歩、そこで前方を見上げ、彼の鼓動は停止した。
 鵺は追わなかった。だが、群れから飛び出した獲物を見逃す程甘くもなかった。空さえ飛べるこの妖獣は、瞬時に相手の前方に回り込み待ち伏せていたのだ。悪意の篭もった高い知性が成せる、一番効果的で確実な絶望のもたらしかた。
 爪の一薙ぎ。見上げる和馬達に赤い雨が降り注ぎ、哀れな若い霊能者は空を勢いよく飛んで再び仲間の元に帰って来た。首から上だけが。引きつった笑顔を張りつけたまま、丁度こちらを向いて着地した生首。それが残りの相手にどれだけの精神的ダメージを与えるかまで鵺は知っていたろうか?
 切迫した死の影が人間達の心を覆った。
 次は誰の番だ?自分か?全員まとめてか?
 妖しく輝く鵺の金色の目は、嘲笑う様に人間達を見下ろしている。
「……」
 全身に血飛沫を浴びて斑に染まったまま、和馬も目の前の生首に目を落として立ち尽くしていたが、その心の中で琴の弦が切れたみたいな音が弾けた気がした。やがてゆっくりと顔を上げると、和馬は鵺を睨みつけた。
 巨体に似合わぬ優しげな童顔は何処かに消えて、殺気すら漂う厳しい顔つきに変わっている。克己や俊己との打合せもあるし、居所をつきとめた今、何があっても咲也を取り戻して麗夜のもくろみを阻止し、この手で親の仇を討つまでは……と前に出るのを控えていた和馬だったが、もはや忍耐も限界だ。
 和馬がついに踏み出した。

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