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大いなるもの - 八

2015/02/17 10:16

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「鵺! まだ穴は開けられないのかよ!?」
 和馬の声が飛んできた。三人はもうそこまで追いついて来ていた。
(モウ少シダ! ダガ邪魔ガ多スギテ集中デキナイ! ナントカシロ)
 急かされたのが和馬だったせいもあって、苛立ちを隠せない鵺は思わず愚痴った。
「わかった。僕達が雑魚をくいとめるから、その間に頼む! お前だけが頼りなんだ」
 克己の声に鵺は少し冷静に戻って、再び額の角に気を集中した。焦ると余計に無駄な時間を費やしてしまう事に気がついたのだ。後方は人間に任せ、今は障壁を破る事だけに専念しなければ。
 今度は行き止まり、そして鵺を守るという条件も加わって、克己達は一層苦労を強いられる事になった。三方から迫ってくる妖しの壁は少しずつ、だが確実に厚みを増し、その攻撃も熾烈になって行く。いつしか三人の顔や手足に傷が目立ち始めた。
 ひとまず小さな結界を張って妖魔をくい止めるが、相手の数を考えれば破られるのは時間の問題だ。
「鵺、急いで――――」
(モウスグダ……)
 金色に輝く鵺の額の角の先、一見何も無い様に見える空間に、微かな揺らぎが生じた。
(ヨシ、開クゾ!)
 ゆらぎは大きくなって、見えなかった魔法の障壁がうっすら輝き、その姿を現した。ビル全体を包むように、薄いビニールか水の幕を張ったみたいな感じだ。その一点、鵺の角の先には、水に広がる波紋にも似た環が現われ、それはやがて穴となった。
「!!」
 魔法障壁が破れ、鵺がその穴に飛び込んだのと、克己達の結界が破られたのは、ほぼ同時だった。
「うわっ!!」
 鵺に続こうとした三人を、妖魔の波が一気に飲み込む。振り返った鵺には彼等の姿は見えなかった。
(今行ク!)
 助けに戻ろうとする鵺に、克己の声が飛んできた。
「戻るな! 時間が無いんだ。お前だけでも先に行って! 咲也を……早く!!」
(……ワカッタ)
 鵺は振り返りながらも駆け出した。一緒に行くことが命令だったはずだが、これも命令だ。逆らうわけにはいかない。それに……
(さくやヲ助ケル。オマエ達モ必ズコイ!)
 鵺がエントランスに消えるのを見届けながら、瀬奈親子は以前、麗夜に同じ状態にはめられた時にも使った秘術で、何とか体勢を立て直していた。
「此ノ方ニ入レ!」
 頭上にかざした、御幣のついた神聖な縄の輪の中に魔物達は次々に吸い込まれてゆく。だが、その効力もつかの間。何といっても数が多すぎる。おまけに魔の力が増幅し続ける今、聖の力は弱まりつつある。再び、結界を張って身を守るのが精一杯だが、これでは前と同じだ。
 克己の顔に焦りと憤りがうかがえた。
「……」
 俊己は懐を探り、小さな固い感触を確かめると、心に秘めていた言葉を切り出した。
「克己、和馬君。しばらくお前達と鵺だけで麗夜と戦う覚悟はあるか?」
「父さん?」
「……もっと早くに思い切ればよかったのだがな……許してくれ。今更で悪いが、こやつらはわしが惹つける。隙を突いて一気に鵺を追え。もう時間が無い……魔界の扉が開き始めた」
「しかし……! 幾ら貴方でもこいつら全部を相手に一人ではとても無理だ!」
 和馬が首を振った。
 珍しく俊己は悪戯っ子の様に笑って、
「わしとしては先に楽な方を選んですまないと思っとるのだよ。奴を相手にする方が余程危険だ。ここにいる雑霊どころではない、本物の魔界の住人が味方しとる。こっちの味方といえば鵺だけだ。いいかね克己?」
「覚悟は出来てるよ。でも父さん――――」
 父がずば抜けた力の持ち主だという事は承知しているが余りに相手が多すぎる。それに惹きつけるというからには何か危険な事をするつもりであろう。
 心配そうに見上げる我子の幼い顔に、俊己は厳しい表情で答え、華奢な肩に手を置いた。
「よいか、克己。先に言った様に、奴は生易しい相手では無い。わしはお前達にそんな奴と戦えと言っておるのだ。無責任だと思われこそすれ、心配される義理は無い。こちらが片づけばわしもすぐに後を追う……なに、わしも簡単に死にはせん。麗夜に直接会って説教するまではな。だからそれまで何とか持ちこたえろ。咲也君を……あの子を魔王に変えてはならん。これはお前の第一の使命であり、環達との約束なのだろう? さあ、行って見事約束を果たしてこい!」
「……はい!」
 力強く返事をした克己に迷いは無かった。俊己は満足そうに数回頷いた後、一歩前に進み出た。その懐から小さな石笛を取り出し胸前に構えたのは克己達には見えなかった。
「合図をしたら振り返らず真っ直ぐ行け」
 静かな俊己の声に克己と和馬は頷いた。
 口の中で何か呟いた後、
「走れ!!」
 俊己が叫んだ。
 一気に克己と和馬が駆けだした。どおっと妖しの者達が押し寄せて来る!その時、

 ひょぉぉ――――……

 物悲しい笛の音が響いた。と、同時に攻撃がぴたりと止み、走りつづける克己と和馬の足は何の抵抗も無く早まった。
「お前たちはこっちだ!」
 背後で俊己の声がした。そしてまた笛の音。その音に導かれる様に、怒濤の勢いで霊達は俊己の方へ流れ、克己達の前が開けた。すかさず二人は、鵺の開けた魔法障壁の穴に飛び込んだ。
「あの音はまさか……!」
 克己が振り返った。
 俊己の姿は完全に霊達に包まれ見えない。だが悲しい笛の音だけは響き続けている。
「振り向くな! 親父さんの意を無駄にするんじゃない!」
 和馬に叱咤され、克己は目を閉じ、足を早めた。
(あれは螺蛭(つみびる)の魂(たま)返りの笛……本来、死にかけた人の魂を引き止める為の道具だけど、余計なものまで呼んでしまうため、効果は絶大だけど余りにリスクが大きく、禁じられ、封印されていた魔具……和馬さんが使った鳥篭の術と同じ、禁じ手)
 克己は父から、かつて宮廷に仕えた歴代の術師達が、この笛を使って帝の命を取り留めようとしたのだと聞かされた事があった。そして逝こうとする魂だけでなく、その音に惹かれて出てきた物の怪や鬼に、吹いている間無防備になる術師が何人犠牲になったかも。ましてそのリスクがあるが故に、俊己はここでその禁断の笛を、用途外の目的で使うのだ。妖魔達のど真ん中で。その結果は明らかだ。
 ……俊己はそんな危険な物まで用意していたのか。こうなる事を予想していたのではあるまいか?
 克己達が見えなくなるまで、俊己は笛を吹きつづけるだろう……命の続く限り……
 克己と和馬は込上げてくる熱いものを必死で堪え、振り向かず真っ直ぐ走り続けた。
(父さん、どうか無事で――――)
 京の闇に、哀しい笛の音は流れ続けた。

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