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夕立~ゆうだち~ - 三

2015/02/16 07:39

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 縁先から涼しげな風鈴の音が響いてくる。開け放した障子、よく冷えた麦茶のグラス、軒に立て掛けられた葦簾。クーラーは無いが古い日本家屋の中は快適だ。入れ替えたばかりなのか、まだ井草の良い香りのする青い畳のひんやりした感触を味わいたくて、咲也は仰向けに寝転がった。克己も倣って、隣に少し小さめの大の字を書く。
 二人とも木綿のじんべえ姿で、微かに石鹸の匂いをさせている。着いてまず、風呂場に放りこまれて汗を流したのだ。さっきまでの暑さが嘘のようにすっきりした。
 天井を仰いだまま、手にした団扇をゆっくり顔の前で動かして、咲也が独り言でも言うみたいに呟いた。
「……いいなぁ。こういうのってさ」
「?」
「何か落ち着く。人んちなのに……小さい時、よく岡山のばあちゃん家に連れてってもらったんだ。藁葺き屋根の田舎の家。ばあちゃん、俺の事すごく可愛がってくれて、俺もばあちゃんがすごく好きでさ……もう、何年も行ってないけど、やっぱり何か落ち着くんだよな。この家も同じ感じがする」
「それはよかった。咲也、さっきは借りてきた猫みたいだったから心配してたけど。居心地悪いのかなって」
「さっきは緊張しちまってさぁ。克己の母さんあんなに若くて美人だとは…… めちゃ、びっくりした」
 真剣な口調で、頬さえ赤らめながら人並み外れた美貌の主が言うものだから、克己は苦笑した。余程母の方が驚いているに違いない。
「まあ、若いことは間違い無いけどさ。僕、母さんが十九の時の子だから」
「ひえぇ。じゃあまだ三十五? ウチの康子さんよりひとまわりも若い!」
 康子さんとは継母の事である。決して咲也は彼女の事を「母さん」とは呼ばない。
 くすくすと克己が笑い声をたてる横で、咲也は足を上げ勢いをつけて体を起こし膝を抱えた。乱れて頬にかかる髪が妖艶で、その美貌を見慣れている克己ですらどきっとした。その容姿には不釣合いな、ぞんざいな口調なのが玉にキズだが。
「それに親父さんも、やっぱ、何か違うな。厳格そうって言うか、威厳があるっていうか……こう、ニガ味走っててさ、渋いんだよね。ああ落ち着いた目で見られると、何か照れる……じゃねえや、恐縮しちまうね」
「別に威厳なんか無いと思うけど。頑固でしかめっ面しいだけのおっさんだよ」
「でもさぁ、俺、嫌われたんじゃねえかな。親父さんに……」
 彼が紹介された時、克己の父、瀬奈俊己は無表情に咲也を頭の先からつま先まで値踏みでもする様に見た後、にこりともせず難しい顔になって「うむ」と一言洩らしたきり黙り込んでしまった。ただその目はひたと咲也の目を見据えていた。克己が何か言いかけたが、こういう時の父に口出しすると後が怖いのをしっているので止めにした。重苦しい沈黙はどのくらい続いたろうか。先に目を逸らしたのは咲也だった。別に見られたとて後ろ暗い所は無いが、心の奥の奥まですべて見透かされてしまう様な気がした。そんな視線だった。
「どういうの? なんかさあ“娘さんを貰いに来た男”ってこんな感じって思った」
 と、いう咲也の感想に、克己は思わずぶっと吹き出した。
「じゃあなに? 僕はお嫁さんなわけ? やめてよ。気持ち悪い」
「んなわけねえだろが!物のタトエだよっ!きっとこんな感じかなぁ……なんて思っただけだよっ」
 耳まで真っ赤になって抗議する咲也を、からかう様に団扇でつついて、
「もう少し喩えが無い? 咲也のお茶目さん。心配しなくても、父さん咲也の事気に入ったみたいだよ。あれで結構我侭でね、気に入らないと思ったら、顔も見たくないって人だから。あれだけ一生懸命咲也の事を観察してたところを見ると、歓迎してるんだよ」
「…… だといいけど。俺は押しかけのお邪魔虫ですから」
「まだ言ってる。そんな、遠慮してる様にも見えないよ」
 普通、遠慮している人間は、人の家でいきなり寝転んだりしない。
「正直言って、一歩踏みこんだ時から遠慮なんてしてない。何か体中の力が抜けたみたいですごく楽なんだ。ずっと居たいくらい」
 ぺろっと舌を出して咲也は白状した。
 それをみて、克己はまたくすくす笑って、先に咲也がしたように足を頭の上まであげてぽんっと起き上がった。身が軽い分、彼はそのまま座らず中腰になって立ち上がった。
「ここは雑霊が入って来ないからね。身体の負担が減ったのさ。咲也は異常体質だもの。気がついて無いだけで、外ではすごく、精神的にも肉体的にも疲れてるんだよ……例えばさ、知らない人にいつもベタベタ触られてるのってすっごく嫌じゃない。咲也の場合、魂が四六時中その状態なんだから」
「げー。そういう風に説明されるとつくづく自分って可哀相なヤツだと思う……」
「本当によく今まで生きてこられたね。世界七不思議の一つだよ。普通だったらとっくにとり殺されてるか、発狂してるよ」
「俺ってそんなに神経太いのかしら」
「だろうね」
 軽くあしらって、咲也の抗議の声を背に、克己は縁先へ歩いていった。
 つい先刻まで、青一色だった空はどんより重い鉛色に変っていた。雲が来たのだ。だが陰ったぶん涼しくなるどころか、暑くなった気さえする。湿度が増したせいだろうか。
(雨がくるな)
 克己は黙って縁先に立っている。
 ごろごろ……猫が喉を鳴らす様な音が、次第に大きくなってきた。
(湿っぽい風……嫌な風だ。それに何故だろう。胸が騒ぐ。結界の中だというのに)
 カッと、空が白く光る。
「克己? 」
 咲也も立ち上がって克己の横に来た。一瞬克己の顔を覗いて、その視線の先に同じく目を遣る。空はまたストロボを焚いたみたいに瞬いて、すぐ後に大きな雷鳴が響いた。かなり近いようだ。
「夕立、思ったより早そうだね」
 克己が小さく言った。
「ああ。一雨来れば少しは涼しくなるんじゃないかな」
 けっして天気の事だけを言ったのでは無かったのだが……そう思いつつ、克己は自分にも正体のわからない不安を胸に収めた。
「――――だといいけどね」

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