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大いなるもの - 六

2015/02/17 10:11

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 またしても沈黙が落ちたが、今度はそう長くは続かなかった。麗夜はもう先の答えを求めるのを諦らめたのか、それとも何かを納得したのか、彼の興味は次へと移った。
「もう一つの質問が残っているが」
「“咲也”とは何か? それは、あなたに麗夜とは何? って訊いてるのと同じだと思うけど」
 咲也はとぼけたが、麗夜は許さなかった。
「そういうのを、屁理屈と言う」
「そんな恐い目で見ないでよ。冗談の通じない人だなあ……わかったよ……いい? “咲也”とはね……」
 麗夜に睨まれ、渋々といった呈で咲也は話し始めた。
「あなたと同じ……かな」
「私と同じ?」
「そう。あなたは魔界と契約を交わし、この街を手始めに、世界を魔族、妖魔の支配下に置こうとしている。実現すれば、人間達にとっては恐怖と絶望の世界となるでしょう。でも、もしかするとそれは、正しい事なのかもしれない……昔、まだ人間が、神や妖魔や自然の精霊達と共存していた頃……この街が出来た頃まで、まだ世界は、この星は綺麗だった。それが、人間が科学の力を借りて主導権を握った時から、この星は急速に汚れこれ以上無いくらいにくたびれてしまった。人間は自らの肉体の滅んだ後……霊魂の存在すら否定し、自然にも心がある事を忘れ、都合のいいように形を代え、この世界の他の住人である妖魔の住処の闇も、灯りによって払拭してしまった……今、世界中で起きている異常気象も天変地異も、すべては自然や妖魔、存在を否定された目に見えない物達の怒りと嘆きがもたらしている事すら、人間達は気がつかない……このままでは世界は、この星は滅んでしまう――――そして、魔界とこの現の世は表裏一体。表が滅びれば裏もまた。それを憂いた魔界側は、自ら打って出る事にしたんだ。でも強い力を持った純粋の魔界の住人達は、こっちでは長時間活動する事が出来ない……魚が陸で生られぬよう、空気がなければ人が生きられぬように。そのためにあなたが選ばれた。彼等を迎え入れられる環境を造るために。まずは、最も条件の揃ったこの街に……ちがう?」
「……その通りだ。ついでに言うと、魔界側は千二百年以上も前からここを選んでいたのだよ。そう、平安建都以前からな」
「そこまでは知らなかったな。だから、この街は特別なんだ……ええと、話を戻すね。ともかく、あなたは選ばれた。魔界に。でも先刻も言った様に、世界は表裏一体。魔界に選ばれたあなたがいるならこちら側にも選ばれた人間がいるはずだ。それが瀬奈の一族……正確には瀬奈克己個人だ。あなたが人以外の存在によって、この世界の未来を救おうとしているのなら、克己はあくまでも人の手によって……さらに言えば、人と自然、妖魔が共存する事によって、未来を決めようとしている。もっとも、克己本人はあなたほど信念を持って行動してはいないだろうけど、結果的にはそういう道を辿っている。これはあなたが行おうとしている事より、遥かに難しく、実現するかも怪しい。でも、正しい事なのかもしれない。そして、あなたが正しいかもしれない。かもしれないって言うのが肝心なところだよ。あなた達は未来の選択肢として選ばれたんだ。この街、この世界の行く末の……そして……もう一人、選ばれたのが“咲也”なんだ」
 長い説明を終え、咲也は一旦息をついた。見上げる空は、虹色の雲の渦が広がりつつあった。渦の中心部からは時折、音も無く稲妻が走り、時が近い事を告げていた。魔界の扉が開く時まで。
「儀式はいいの? 扉、開いちゃうよ」
「大丈夫だ。もう少しだけ君の話を聞く時間くらいある」
 麗夜は動かなかった。今更、空を見上げなくても状況は把握しているのか、彼の言うように、まだ時間に余裕があるのか。それとも……咲也から一時も目が離せなかったのか。
「あといくつか聞いておきたいのだが」
 麗夜は真摯に訊ねた。冷酷な魔人も、知の探求心には正直だった。これも一種の職業病みたいなもので、もともと宇宙の秘密を紐解き、真理を知るのが魔術師。そして、自分が知らない真実を、知っている者が目の前にいる。最後まで聞かないと気が済まないのだ。
「何?」
「私は魔界に、瀬奈克己は現の世に。では、“咲也”は何に選ばれた?」
「魔界と現の世の両方に」
 咲也は即答した。内容の重さに比べて、あまりのあっけない答えかたに、麗夜は一瞬ひるみかけたが、めげずに続けた。
「……“咲也”も未来の選択肢の一つなのか?」
「違うよ」
 これも即答。
「では……何の為に選ばれた?」
 おそらくこれが最後になるだろう問いに、さすがに咲也も即答はしなかった。まっすぐに麗夜の緑に輝く瞳を見据え、しばらく間を置いてから、ようよう口を開いた。その表情はとても悲しかった。まるで……“咲也”自身のように。
「……見届けるために。世界がどちらの未来を選択するのかを。そして……選択された未来が実現するよう、手助けするために。あなたが勝利するならば、魔界の王を迎える器となって、魔界の支配する未来を手伝う事になる。克己があなたを阻止して勝利を収めるならば、その先の困難な道程を助けてゆく事に……“咲也”の現世での意志は関係ない。どちらかを自分で選ぶことも、決める事も許されない。公平に、選択された事実を受け止めなくてはならない……そのために、この場に選ばれたんだよ」
「……」
 麗夜は何も言わなかった。言えなかった。人間らしい感情は押し殺してきた彼も、こみ上げてくる、この目の前の少年に対する憐憫の情を押さえるのは無理だった。
 “咲也”とは何と悲しい存在なのだろうか。
 どちらかを自分で選ぶ事も、決める事も許されない? だが知っている。許されるのならば、どちらを選ぶのかを。意志は関係ない? だが知っている。咲也がどれだけ克己の事を想っているか……
 思いは、麗夜の表情にも出ていたらしい。
「……そんな顔しないでよ。あなたらしくも無い。言ったでしょ? あなたが正しいのかもしれないって。なら、いいじゃない。その憐憫が迷いになって、あなたの邪魔をするかもしれないよ」
 落ち着いた口調で諌められ、麗夜は複雑な心境だった。確かに咲也は公平らしい。
「そうだな……」
「そう。続けるんでしょ? 儀式を。あなたが勝利するのなら、願わくば僕以外の部分が目覚める前に……でないと、“咲也”が余計に憐れになるから」
 そう言って、咲也は自ら祭壇に向かって歩を進めた。
 虹色の雲の渦は広がり、もう一面に空を覆っていた。
 ついに、魔界の扉は開き始めた。

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まいるどタブレット小説 Ver1.13