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蜩~ひぐらし~ - 一

2015/02/16 08:22

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 訪問者は腰まで届く黒髪を無造作に編んで束ね、葬式帰りかと思うような真っ黒のワンピースを着た、二十代後半の少しやつれた感じがするが充分に美しい女性で、客間にきちんと正座をして俊己を待っていた。
 彼女は雲母(きらら)と名乗った。
「わしに用とか」
「はい。京都に何か起こっているのはお気づきですね?」
「うむ。今もその話をしておったのだ」
「誰と?」
「息子達だが……あんたは何者かね? まず身分を明かして貰ってもよいと思うが」
 俊己の仏頂面に、雲母はその名に相応しく微笑んで、
「申し遅れてすみません。私は橘雲母。占い師です」
 彼女は西洋占星術と、インド、中国などの東洋の秘術をとり入れた特別な方法で人の運勢や未来を占うのだという。専門は夢占で、相談者の夢から隠された真実を探るのだ。
「占い師の橘……聞いた事がある。そうだ百パーセント当たると評判の、あの人か」
「お恥ずかしい。百パーセントなんて事は、占いにはありませんわ。でも知ってて頂けて光栄です」
「その有名な占い師が、わしみたいな名も無い神社の宮司に何の用かね?」
「ご謙遜を。日本屈指の除霊師でいらっしゃる貴方が。今日相談にうかがったのは、占いで良くない卦が出たため。少し前からこの京都に不可思議な事が頻繁に起きはじめ、異常な数の火事もあって、これはおかしいと思っていました。そしてこのところ、私の元に訪れるお客さんの夢占でみな、同じ結果が出てしまうのです。こんな事は普通、ありえない事ですわ。そうでしょう?」
「うむ。で、どんな卦が出たね?」
「占った人達全ての未来が、暗い影に恐怖と不安、絶望を抱き、怯えながら生きていかなくてはならないと出たのです。若い人も、歳をとった人もみな同じ」
 雲母は苦笑いで、ひょいと肩を竦め続けた。
「私の夢占の方法には実は二通りありまして、一つは相談者の夢から占うもので、通常はこちらを使います。もう一つは、私が占いたい事を念じながら眠って夢を見る方法……余程の事が無い限りこれは使いませんが。緊急なのでやってみました。夢で未来に飛んでみたのです」
「未来に飛ぶ……」
 俊己が目を丸くした。
「はい。夢というのは10%の空想、20%の外的な力、70%の現実……過去、未来現在から成っています……私の持論ですけど。現実の部分が多いから私の様な占いが出来るのです。夢の中では、肉体という便な物に煩わされる事も無く、自由に時間さえ越えられるのです。過去にも、未来にも」
「……」
「未来で私が見た京都は、まったく違った街になっていました。ほとんど外見は同じなのに、暗い影が支配する死の都に変貌を遂げていました。悪霊、死霊が蘇り、魑魅魍魎が跋扈する魔の都に。そう遠い未来ではありません。ごくごく近い未来に、です」

 沈黙がどの位続いたろうか。真剣な面持ちで真っ直ぐ見つめ合っていた男女の内、女の方……雲母がふと、廊下と隔てた襖に視線を移した。警戒に身を引き締める。
「誰かいますわ」
 俊己も気がついていたらしく、頷いて、
「盗み聞きとは行儀が悪いぞ、克己」
 襖に向かって溜息混じりに言う。するとそっと襖が開いて、愛らしい顔がのぞいた。
「――――ばれてた?」
 克己である。少年の姿を確かめ、雲母も警戒心が解けたらしく胸を撫で下ろした。
「息子さんですの?」
「克己といいます。無礼を許してやってください。こら、謝らんか」
 俊己につつかれて、克己は慌てて何度も頭を下げた。
「ごめんなさい。気になったものだから」
「いいのよ。はじめから堂々と入ってくれば良かったのに。ここの家の人なんだから」
 雲母に微笑まれて克己は真っ赤になった。
(わあ……素敵なひと)
 ごほん、と俊己が咳払いして、
「お前一人か? 咲也くんは?」
「母さんと一緒に置いてきた。さすがに二人も押しかけるのもどうかと思って」
 俊己がもう一度咳払いして、雲母が困った様な顔でくすくす笑った。一人も二人も変わりはしない。だが、こうもぬけぬけと言われると、あきれるより微笑ましい。
「橘さん、息子も一緒でもよいかね? これも無関係ではない」
「勿論。お見受けするところ、そちらもかなりの霊能力をお持ちの様子。噂の瀬奈家のお血筋、お見事ですわ」
「見ただけでそこまで判るとは、こちらこそ見事と言わせてもらおう、占い師殿。親のわしが言うのも何だが、克己はわしも及ばん優れた素質を持っている。まだまだ修行がたりんがね」
「頼もしいですわ。お幾つ?」
「十六歳です」
 克己が答えると、雲母は少々意外そうな顔をした。もう少し下かと思ったのだ。克己はもう慣れてしまったので別段気にもしない。いつも良くて中学生、酷い時には小学生に間違われる。
 束の間の和やかな雰囲気の後、三人はまた表情を引き締め、本題に入った。
「……どこまでお話しましたっけ?」
「京都が死の都になると」
「そう。近いうちに……もう始まっていると言った方が正しいですわね。何か大きな驚異が襲って、この街は変貌するのです。その結果、驚いた事に京都は再び国の中心、首都に返り咲くのです。表立ってでなく、裏の世界の――――魔界の首都に」
「魔界の首都……」
 瀬奈親子の反応を確かめ、雲母は続けた。
「あなた方に説明は不要かと存じますが、世界は私達の暮らす現の世だけでなく、別世界、魔界……黄泉の国ともお呼びかしら? また違った世界があります。世界中に張り巡らされた霊的ネットワークによって、この世界と魔界とのバランスが保たれていることはご存知ですわね? ヴァチカンをはじめ、様々な宗教の重要な役割を占める都市が、魔界の驚異から現の世を護るため精神的な防衛圏を築いているのです。日本では首都東京、出雲、伊勢、奈良などと並んで……いえ、現在ではそれ以上にこの京都が大きな位置を占めています。ただ歴史があるだけでは無く、だからこそ京都は特別なのです。その京都の防衛圏が崩れ、魔界の手に落ちることがあれば、どうなるか――――」

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