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鵺~ぬえ~ - 四

2015/02/16 14:09

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「いたぞ!」
 幾つめかの辻にさしかかった時、克己と和馬は上空に追い求める姿を発見した。
 二人は既に見失った鵺を、残った強烈な気を頼りに追いかけていたが、思いのほか鵺の飛ぶスピードが遅かったため次第に距離は縮まり、追いつく事が出来た。予め追いつかれる事を前提としてゆっくり飛んでいたのかもしれない。その証拠に、咲也は追手の姿を見ても全く動じず、
「早かったな」
 そう言っただけだった。
「咲也、目を覚まして。一緒に帰ろう」
 克己の必死の呼びかけにも、咲也の返事は一言で済んだ。
「やだね」
「可愛く無いお返事だこと。おい、克己坊。今は何言ったって無駄だ。力ずくで鵺から引きずり降ろすしか無い」
 和馬は身構えて臨戦態勢を整えている。
 鵺が威嚇の声を上げた。過日、片腕は奪ったものの、和馬に痛い目に遭わされ逃げられた恨みは忘れていないらしい。
「今度は片腕だけでは済まんぞ。鵺はこれでなかなかのスタイリストでね、標的に傷をつけずに綺麗に屠る。でも君だけは別だ。八つ裂きにしてくれると言ってるよ」
 笑わない顔で咲也がくくく、と笑う。
 その言葉に克己はある事に気がついた
(傷を付けずに……そうか、雲母さん達もこいつにやられたのか!)
 和馬は別の事に気付いた。
(この喋り方……麗夜の野郎にそっくりなんてもんじゃねえ、そのもの本人だ。術で操ってるんじゃ無く、直接咲也君にのり移ってるのか? では先程の麗夜は偽物)
 あのような状態で残して来た俊己を案じていたが、相手が本物でないなら何とかなる。心を読んだかの様に咲也は笑みを浮かべた
 その眼が緑に妖しく輝きはじめる。
「ふふ、察しがいい。だが俊己が無事とは限らんぞ。今頃は雑霊共が押し寄せてる頃だ。幾ら奴が使い手とは言っても身動きが取れなければどうするかな? おっと、君の父上もそうだったな」
「貴様――――!」
「義恭と同じに俊己もどうやら私に協力してくれそうに無い。君も邪魔だよ、和馬君。
 坊やは出来ればこの子の機嫌取りの為に殺したくないのだがね。私個人としても。だがその力、子供といえど侮れぬ。逆らわぬと言えば助けてやるが、どうかね?」
「まっぴらだよ!」
 克己に激しく返され、咲也は肩を竦めた。
「そう言うと思った……ぬえ!」
 咲也=麗夜が一喝すると、待ってましたとばかり空を一蹴り、二人めがけて牙を剥いて飛び掛かって来た。
 すでに和馬は人指し指と中指のみを伸ばした剣印を胸前に結び、呪文を呟いていた。
 がぁっ!鵺の巨大な口が迫る。
 ひょい、と和馬は身軽に躱すと数メートル跳躍して着地し、すかさず九字を切った。和馬の力と鵺の力がぶつかり合い、互いにどちらも壁に体当たりをかけたみたいに跳ね返った。半日以上に及ぶ戦いで鵺の行動パターンを知り尽くしている。そして鵺も和馬を。
 鵺はすぐに立ち直って、前足を振りかざし今度はその鋭い爪を克己に向け薙いだ。
「はっ!」
 克己は燕の様に身を翻し、同時に何かを鵺めがけ投げた。夜目にも白い物体はかわらけ(素焼きの杯)だった。
 小さな円盤は目標に向かって正確に飛び、鵺の眉間に命中した。
 きぃいん、と何とも筆舌し難い声をあげ、鵺は後ずさった。鵺にすれば塵に等しい大きさのかわらけでも、神前で清め、精一杯の克己の気を込めた一撃は効いたらしい。
「やるじゃねえの!」
 と和馬。
「ふふ、まだまだこれから」
 と咲也……麗夜の声。
 鵺の目の輝きが赤から金色に変貌を遂げた。どうやら本気で怒ったらしい。
「今度はせいの、で行くぞ」
「うん」
 克己と和馬は左右二手に別れ、鵺に向かって走った。
「せいの……!」
 たん、と大小の影が同時に宙に舞った。
「はっ!」
 克己の気を込めた白い円盤が空を切る。
「波夷羅」
 和馬の手からも白い物が飛んだ。人型の薄い紙。それは紙切れとは思えぬ高速でまっすぐ飛ぶ間に奇怪な姿の小さな鬼に変わった。
 二人の手を離れたかわらけと式神は真っ直ぐ鵺に向かった。狙いは眼だ。
 しかし当たらなかった。鵺はその巨体に似合わない敏捷な動きで躱すと、前足で克己のかわらけを叩き落とした。
 和馬の式神はすんでの所で逃れ、すかさず立ち直って三本指の手を突き出した。その指先から体の何倍もある長い爪が伸び、眼は外したものの鼻面に突き刺さった。そのままずぶずぶと深く押し込む。
「よし!」
 和馬と克己が会心の笑みを浮かべた。
 しかしそれはすぐに凍りついだ。黒い血らしい液体を滴らせ、にやりといやらしく笑ったのは鵺だった。
 更にもう一方の手も突き刺そうとした式神に異変が生じた。鵺の体に刺さった方の手が白煙を上げている。きいきいと鳴いて慌てて爪を引っこ抜くと、先は溶けた様に無くなっていた。鵺の体液は強力な酸らしい。追い打ちをかける様に傷口から血が吹き出して霞の様に広がり、それを浴びた式神の全身はみるみる溶けて無くなった。
 克己が間髪入れず、悪霊を調伏する気合と共に、一度に三枚のかわらけをそれぞれに最大限の力を込めて投げた。生き物の様に白い杯は鵺の周りを飛び交い、一枚が鵺の横面に当たった。二枚目は顎。三枚目は――――
「しまった!」
 それは二秒にも満たない間の出来事だった。まっすぐ眼に向かった三枚目を鵺が頭を下げて避けたため、外れたかわらけは背に乗った咲也めがけて飛んだ。小さな素焼きの杯とはいえ、気を込めた武器だ。当たればどうなるか……克己は目を閉じた。
 しかしかわらけは咲也に届かなかった。
 まるで表情を崩さない白い美貌の寸前でかわらけは止まっていた。
 目を開け、それを見た克己は咲也に当たらなかった事に安堵する暇も無く、空寒い恐怖が背中を走り抜けるのを感じた。
 不気味な口がかわらけを受け止めていた。それは蛇に似た鵺の尾だった。ぬめぬめ光る鱗に覆われた尾の先のもう一つのミニチュア版の鵺の猿面。
 ばりばり。
 小さな鵺の顔は、牙を剥いてくわえたかわらけを噛み砕いた。そして本体と同じく、その小さな顔もにやりと笑った。
「化け物め……」
 苦しげに和馬が呻いた。式神をやられてダメージを受けた様だ。
「和馬さん!来たよ!!」
 受け手に回っていた鵺が仕掛けて来た。頭を下げ額の短い角を向けて、闘牛の様に突っ込んで来る。
 二人は手をかざし、ありったけの気を鵺に向かって放出した。その時。鵺の角が凄まじい光りを発した。
「わあっ!!」
 克己と和馬が吹っ飛ぶ。
 凄まじいエネルギーだった。舗装道路が捲れ、信号は狂った様にめまぐるしく赤や青に点滅し、標識やガードレールがひしゃげた。寝静まっていた付近の住人達の内、何人かは二度と目を覚まさないだろう。
 それぞれ路面や建物のシャッターに派手な音をたてて叩きつけられ、克己と和馬はしばらく、ぴくりとも動かなかった。
「ふふ。大言を吐いたわりにたわいない」
 鵺の背で咲也が笑った。
「まだ……だ」
 衣服はあちこち破れて髪は乱れ、傷だらけになりながらも二人は立ち上がった。身体中の骨が悲鳴を上げている。
「ほほう。鵺の魔気を受けてまだ立てるか。褒めてやろう」
「……褒めてもらっても嬉しく無いね」
 唇の血を拭いながら和馬が悪態をついた。
「可愛くないな君は」
「お互い様だ」
 咲也と和馬のあまり緊張感の無い会話の後再び鵺が仕掛けて来た。
 エネルギーの波が荒れ狂う。
 精神の奥まで切り込む妖気によろけながらも、克己はぼろぼろになったシャツのフードの紐を引き抜いた。祓詞を唱えつつ、その紐で輪を作って頭上にかざす。
「此ノ方ヘ入レ!」
 克己の声と共に、鵺の放った妖気の波は輪の中に吸い込まれていく!
 代々伝わる瀬奈家の秘術中の秘術。輪は異界への入口となり、妖気を送り返すのだ。
 本当は神聖な縄でおこなう技で、ありあわせの紐で上手くか、克己自身も自信がなかったが、何とか成功した。ついでに言うと、俊己もその頃、同じ技を使って何とか窮地を免れていた。
 しかしやはり紐は弱く、すぐに切れてしまった。それでも鵺を驚かせ、消耗させるだけの効果は上がった。一気に放出した気を吸い取られ、充填するのには時間がかかるのか、鵺はおとなしくなり、角の光が消えた。
「今がチャンス、と言いたいけど……下手に傷をつけて血を流せばこっちも溶けちゃうし、後ろにも顔があって死角は突けない。魔を調伏する呪文も効かない。こいつを斃すには一体どうすれば――――」
「何か切り札があるんじゃなかったのか?」
「あっ!」
 克己は父の言葉を思い出した。
(御守りを渡してあるだろう?あれの中身は先祖が鵺の魔力を封じた破魔弓の矢尻)
 いつも身につけている御守り……
 胸元を探って克己はしまった、と思った。
 持っていない!病院で雲母に渡したのだ。まさかそんな大事な物とは思いもせずに。
 考えてみれば、鵺に襲われ気のふれた雲母は克己が訪れた直後元に戻った。それはあの御守りのせいだったのだ。雲母の心に残った鵺の魔力を打ち消したからだ。確かに効果はある切り札なのに、それが今手元に無い。
(なんて事だ……)
「どうしよう! 今持ってないよ!」
「んな阿呆な!」
 呆然となる二人に、鵺が飛び掛かかる!

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まいるどタブレット小説 Ver1.13