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降臨~こうりん~ - 三

2015/02/17 10:30

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「よくぞ来た……と誉めておこう。だが一足遅かったな。見ろ!」
 克己達を迎えたのは、麗夜の一言だった。
 その指し示す先は咲也のいる祭壇。
「ああっ!!」
 咲也は運命に身を委ねる様に目を閉じ、祭壇に横たわっている。その儚くも美しい身体を、巨大で不気味な影が包もうとしていた。
「させるかっ!!」
 克己と和馬が祭壇に向かって走った。かわらけと式神と渾身の気を、それぞれ影に向かって放ち、呪文を呟きながら。
 麗夜は彼等を止めようともしなかった。止める必要がなかったから。
「うわあっ!」
 透明の、不気味な触手の様なものが伸び、二人の体は数メートルも飛ばされて床に叩き付けられ、その攻撃も尽く撥ね返された。祭壇まで近づく事すら出来ない。
(さくやハ渡サヌ!!)
 今度は鵺が影めがけて飛んだ。だが……
 きいぃん!
 またしても触手が伸び、鵺は悲鳴をあげて撥ね飛ばされた。
「ぬえ!」
 鵺ですらまるで相手にならない様だ。
「……無駄な事はやめたまえ。もう勝敗は決している。おとなしく運命を受け入れ、見守るがいい……咲也のように」
 魔法円から一歩も動かず、麗夜が冷たい声で静かに言った。
 咲也のように……逃げも恐れもせず、祭壇に横たわった咲也は、運命を受け入れたのだろうか?ここまで来て、なす術なく見ている事しか出来ないのか?
 克己は立ち上がる事も出来ず、唇を噛んだ
(そんな―――僕達は何のために!)
「咲也……さくや―――っ!!」
 血の出るような克己の叫びに、咲也が目を開けたのに、麗夜は気づいただろうか。その唇がかすかに動いた事に。

 かつみ……と。

 そして、魔王は降臨した。


 駅ビルは一瞬で変貌した。総ガラスの窓、屋根は音も無く砕け散り、きらきら輝いて舞い上がった。置かれている物全てが宙に浮き、観葉植物や花は一瞬で萎れた。中心地、屋上では、強風が吹き荒れ、コンクリート製の柱は飴のように捩じれて曲がり、展望用にアクリル版のはまった囲いは外側に捲れ、平らだった床は波打った。祭壇の蝋燭の炎は強風にも消える事なくその色を変え、妖魔達は歓喜しながら消滅した。
 凄まじいエネルギーの嵐が吹き荒れる中、和馬は克己を抱きしめて床に伏せていた。その二人を更に鵺が庇い、何とか彼等は吹き飛ばされずに済んでいた。だが、あまりにも強いエネルギーに晒され、意識は朦朧として、祭壇の様子など窺う余地もない。
 ……もっとも、克己にとっては見ない方が幸せだったろうが。
 麗夜は魔法円の中で呪文を唱えながら、一時も祭壇から目を離す事無くその瞬間を見守っていた。
 魔王が降りる姿……それは淫靡な、ともいえる妖しい光景だった。
 不気味で巨大な影が、未だ穢れを知らぬ少年の肢体を捕らえ、無数の触手は腕を押さえ口をこじ開け、足を押し開き、あらゆる部分からその体内へと侵入して行った。苦痛を感じるのか、咲也が声も無く悶え、身を捩る。影が体内の奥深くへと進むにつれ、咲也の苦悶は激しくなり、身体は弓の様に反りかえって、その仰け反った白い喉、下腹部が不自然に波打ち、裾のはだけた襦袢から伸びた足は痙攣を起こしたみたいに震えた。
 ……数十秒後、巨大な影は完全に咲也の中に消えた。
 嵐が止んだ。
 尽き果てたように咲也は動かなくなり、麗夜の呪文も止んだ。
「……」
 克己と和馬が気付いた時、全ては静寂に包まれていた。変わり果てた屋上に、ただ一つだけなんら変わる事無くあるのは、祭壇だけだった。蝋燭の火さえ消えず、並べられた魔術具も乱れず、多少髪や着衣に乱れはあるものの、横たわって目を閉じている咲也にも変化は無い様に見える。
 動かない鵺の下から這い出て、始めて彼等はここで起きた事の凄まじさを知った。生きているのが不思議なほどだった。
(無事……カ……?)
 弱々しく鵺が訊いた。自分達を守ってくれたその妖獣の姿を見て、克己と和馬は声も無く立ちすくんだ。
〈大いなるもの〉魔気をまともに受けた鵺は見るも無残な姿になっていた。額に角のある猿面は半分ほどが抉り取られた様に失われ、縞模様の足は片側の前後どちらも折れ、皮一枚で繋がっているだけ。胴体も毛皮がぼろぼろに裂け、鱗に覆われた蛇みたいな尾は、途中でちぎれて先に付いていたもう一つの顔は無くなっていた……そんな姿で人間達の安否を気遣っているのだ。下に庇った二人に、強力な酸である血の一滴もかける事無く。
「鵺……!」
 克己の目から涙がこぼれた。その涙を見て鵺が半分だけの顔で、
(娘、ナゼ泣イテイル? 何処カ痛イノカ?)
「……僕は大丈夫だよ。お前が身を呈して守ってくれたから……そんな……そんなになってまで!」
(ナラバ何故泣ク事ガアル?)
 更に訊く鵺に、自分も涙を浮かべて和馬が言った。
「お前のために……鵺、お前に済まないと思って泣いてんのさ、この子は」
(我ノ為ニ泣イテイル? 何故? 人間ノ考エハ解ラヌ事バカリ。スマヌ。命令ノ途中ダガ……さくやヲ取リ戻シテハイナイガ……少シ……休マセテクレ……)
 立っているのが不思議だった鵺が、ぐらっと傾いた。不死の妖獣もさすがにこれだけのダメージを受ければその身を維持するのは無理の様だ。その巨体は輪郭がぼやけ、霞みはじめていた。
 鵺はもう充分役にたってくれた……克己は泣きながら、何度も頷いた。
 それを確かめると、鵺の姿はふうっと薄れ消えはじめた。もう殆ど形を失った鵺に、克己が最後に言葉をかけた。
「鵺! 死なないよね?」
(我ハ死ナヌ―――少シ……眠ルダケ。魔王ハ降リタガ、マダ完全ニハさくやヲ支配シテハイナイ……さくやヲ……我主ヲ……頼ム)
 鵺は金色の霧に変わり、消えた。そのいた場所に、からん、と音をたてて床に落ちた物がある。
 小さな石の矢尻。瀬奈家の御守。
「……鵺、一緒にいようね」
 克己は矢尻を拾い上げると、涙を拭いながらそれを懐にしまった。
 これで、味方はとうとう和馬だけになってしまった……皆、後を託していなくなる。環も俊己も――――鵺までも。
 召喚の儀式を阻止する事は叶わなかった。魔王はすでに咲也の中……克己は間に合わなかった。だが、
(魔王ハ降リタガ、マダ完全ニハさくやヲ支配シテハイナイ)
 鵺はそう言い残した。まだ咲也の魂は消滅していない。僅かだが……今までにもまして時間の猶予は無いが、望みは残っている。
 鵺を失った悲しみに浸る間も無く、克己は顔を上げ、キッと表情を引き締めると、全ての悲劇を引き起こした犯人……麗夜を睨んだ。
 その麗夜は、鵺の消失するのを待っていたたかの様に、克己に睨まれてはじめて魔法円から出、祭壇を背にしてゆっくりと歩み寄りながら口を開いた。
「裏切り者も消えた。さて、後はどうしたものかな?」
 克己と和馬は身構えた。
「もう魔王は咲也に入った。阻止出来なかった地点で、君達の成すべき事は徒労に終わったのでは無いのかね? だが、ここまで来た勇気と努力には心から敬意を表するよ……だから私は君達を死なせたくは無い。未来は決まった。もう戦う意味など無いはずだ。ここは大人しく私につくと言うのであれば、魔界の支配する新しい世界で、君達を厚く遇するが……どうかね?」
 麗夜は妙に優しい表情を浮かべ、克己達の方に手を差し伸べた。その人間離れした麗姿からは、敵意も悪意も感じられなかった。
 言われればその通りなのだ。召喚の儀式を阻止できなかった地点で、克己は戦いに負けているのだ。だが……
「前にも言ったよ。まっぴらだって。死んだって魔界の手先になどなるものか。それに……戦いはまだ終わってないよ!」
 克己は麗夜の申し出を拒否した。
 そして和馬も。
「あいにく、執念深いたちなんでね。親の仇と馴れ合いたくはないのさ」
 二人に拒絶された麗夜は、僅かに肩を竦めただけで、別段怒った様子もなかった。こう答えられる事など、お見通しだったかもしれない。微笑みを浮かべたまま、しかし冷たい声で、
「……愚かな事よ。よかろう。王なる者の前で無粋な真似はしたくないが……彼が完全に目覚める前に、せめて私が手を下してくれる」
 それは、麗夜直々の宣戦布告だった。

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