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降臨~こうりん~ - 一

2015/02/17 10:19

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 エントランスホールは無人だった。
 大理石調の床、開放的な高い吹き抜けの天井、梯子を思わせるメタリックの梁、所々にあるオブジェ、はめ込まれたガラス……美しく、近代的で、それでいてどこかしら懐かしい感じのする、不思議な空間。克己も和馬も、人の気配の無いこの場所へ来たのは始めてだった。行き交う人々で溢れる賑やかな姿しか見た事がない。改めて建物だけ見てみると、その広さもさる事ながら、教会にも似た荘厳さすら感じさせられた。
 入り口の左手はホテルへのエスカレーターが、正面はJRの改札口、あとはデパートや屋上〈大空ひろば〉へ続く、中央の大階段への三方向への岐路。迷わず、二人は階段の方へ向かった。
 克己も和馬も、無言で進みつづけていた。息が切れ、足はもつれ、とても走っているとは言い難い状況ではあるが。それでも立ち止まらなかった。足を止め、口を開けば声を張り上げて泣き出すに決まっている。現に今も堪えているつもりでも、涙がひとりでに溢れ出て、二人の視界はぼやけていた。
 もう俊己の笛の音は聴こえてこない……単にここまで届いて来ないだけなのか、それとも――――
 克己は、今すぐにでも引き返したかった。しかしそれは絶対に出来ない。俊己の苦労が水の泡になってしまう。俊己だけではない。命懸けで鵺を捕らえた和馬、ここまで犠牲になった多くの術者や市民、そして環……皆の思いを無駄には出来ない。約束を守らなければならないのだ。そして、何よりも大事な使命が残っている。運命の半身……咲也を取り戻す。それが克己の使命なのだから。
 京都市全体で停電どころか、電池式のラジオ、携帯電話、車やガスレンジに至るまで、人の作った機械と呼べるものは全て作動不能に陥っている今、エスカレーターはもちろん動いてはいない。二階に辿り着き、数十メートルの吹き抜けの中、両方を伊勢丹の店舗に挟まれた屋上までの長い道程を見上げ克己も和馬も、ただでさえ疲れきった体が、余計重く感じられた。
 時間は無いのに……
「ま、おまえんちの階段と似た様なもんだ」
 和馬が言った。声は掠れている。
「……そうだよね」
 二人はそれっきり、しばらく口も開かず、黙々と上を目指した。最初の踊り場に辿りつくまででも、かなりの時間がかかった。実際は普通の人に比べれば遥かに早いのだろうが急がねばならない上、普段の二人の足を考えれば、倍以上はかかっているだろう。こんな事では間に合わない……焦りばかりが募るが、体はいう事をきかない。
 建物の中にいてもわかるほど魔界は近づいていた。吹き抜けの向こうから妖しい色彩の光が差し込んでくる。人の声も音楽も無い駅ビルにこだまするのは、二人の足音と息づかいと、遠い風の音だけ。
 無心に上を目指す二人は、ふと何かの気配を感じた。これは……妖気だ。
「待ち伏せか?」
 魔法障壁の中に入ってから、ここまで何者にも邪魔されなかったほうが不思議なくらいなのだ。もとより戦いは覚悟の上。
 三つ目の踊り場に何かいる……それぞれいつでも迎え撃てる体勢を整え、二人は足を止める事無く上り続けた。
 そして、問題の箇所に辿り着いた。だが、何も襲っては来なかった。そこに待っていたのは、思いがけないものだった。
「鵺……」
 張り出したテラスに設けられた、人けの無いオープンカフェに佇む巨大な獣の影。
「どうして……? 先に行ったんじゃなかったのか?」
(笛ノ音ガ聞コエタ)
 微かに鵺の猿面に表情が浮かんでいた。それは悲しい顔だった。
(二人ダケカ)
 訊かれて克己は頷くのが精一杯だった。
 また涙が溢れそうだ。ここで俊己の事を話すのは辛い……それに、鵺の表情から察するに言わなくてもわかっているに違い無い。
「そう……今は理由は言わないよ。それより急ごう」
(勿論ダ。時間ハ無イ。ダカラ待ッテイタ)
 そう言って鵺は二人に背を向け、もう一つ顔のある尾で「乗れ」と促した。
(一緒ニ行クト言ッタデアロウ。ソノ足デハ間ニアワヌ)
「おまえ……」
 克己には、再び乗った鵺の背中の感触は優しく感じられた。何人もの人を殺し、傷付けてきた恐るべき伝説の怪獣、鵺。霊でもなく同じ進化の上にある生き物でもない。だが、確かに感情も心もあるのだ。あれだけ敵対していた和馬ですら認めずにはおけなかった。
「お前さ……結構いいやつなんだな」
 和馬が言うのに、鵺は相変わらず不愛想に答えた。その背中がちょっと照れくさそうに見えたのは二人の気のせいだろうか。
(言ッタ筈ダ……オマエ達ノ為デハ無イ。さくやノ為ダト)
「そうでした」
(……行クゾ)
「うん」
「おう」
 鵺は床を蹴り、宙に舞いあがった。途端に数多くのかなり格の高い妖魔が邪魔をしにかかってくる。だが鵺の敵ではなかった。ここまで、何事も無く来られたのも、恐らく鵺のおかげだったのだろう。多少の刺客ではこの妖獣を倒す事など出来はしない。
『鵺の力を利用するのです――――』
 神社の御神木はそう言った。そう、ここまでだけでも、鵺を見方につけた事は充分役にたっている。後は……咲也を取り戻すのは自分の手で……克己は改めて心に誓った。宙に浮かび上昇するうち、彼等は外に出た。
 空が見える。魔界の雲に覆われた空が。
 鼓動が聞こえる。咲也の鼓動に合わせ、脈動する街の鼓動が。
 古代の劇場を思わせる、煉瓦色の大階段が目の前にそびえている。その上に……
目指す屋上〈大空ひろば〉に、咲也がいる。
 あと少し……だが、そう簡単には通して貰えなかった。麗夜の張った魔法の壁が再び立ちふさがって、行く手を阻む。
「鵺!」
(マタ破ルノミ!)
 鵺は渾身の力を込めて、障壁を破りにかかった。
 これが、おそらく麗夜の最終防衛線。それだけに、かなり強力だ。さすがの鵺もかなり苦労している。
 焦る彼等の頭上で、空では劇的な異変が起きつつあった。
(ああ……間に合わない! 咲也――――)

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まいるどタブレット小説 Ver1.13