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環~たまき~ - 二

2015/02/17 07:00

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 夜は終わった。
 太陽が星を追い払い、光が闇に替わって世界を白く染め始める……朝の訪れ。
 しかし、ここでは未だ夜が続いていた。
 どこかの建物の一室である。だが上下左右の別も無く、どの位の広さがあるのかもわからないこの不思議な空間は、果てし無く広がる闇と、絢爛たる星々が支配しているのだ。
 その闇の中、照明も無いのに自らが光を発する様に浮かび上がった一人の人物。聖天使を思わせるその美貌……麗夜。
 その視線の先にはこれも宙に浮いているみたいな寝台が一つ。闇に対照的な純白のシーツの上には、もう一人の麗人が一糸纏わぬ姿で若々しい肢体を投げ出して横たわっていた
 咲也である。その瞳は見開かれ、虚空を映しているばかり……再び麗夜に拉致され、心体の自由を奪われたのだ。
 だが、彼にとっては幸いかもしれない。自分の意思で無かったとはいえ、化け物に命令を下して親友達と戦い、傷つけ、取り返しのつかない結果を招いてしまった。
 出来るものなら自分を呪い殺したい程の後悔や罪悪感、怒り、悲しみ……何も感じ無くなったのだから。
「何故そんなに泣く?」
 麗夜が少し困った様に呟いて、そっと咲也の頬を撫でた。
 触れられても反応を示さないところを見ると先程嗅がせた薬が効いている様だ。にも係わらず、咲也の虚ろな瞳からは白々と涙が流れ続けた。
「……釈明する訳ではないが、私は本気で君の友達を殺すつもりなど無かった。確かに敵に回せば俊己よりも障害となる可能性のある芽だが、私とて人の子、自分と同じ血の流れる甥を手に掛けるのは辛い。父親と剣和馬はともかく、あの子は軽く脅して安全圏に遠ざけるか、出来れば手なづけて味方にしたかった。君の姿での申し出なら聞くかと思ってね。しかし……正直驚いたよ。君にかけた魔法は玄人でも解けぬ強力な魂呪縛の法。その上、私自らの意識を憑依させていたというのに、君は私を追い出し、術まで破った。そこまであの子を想っていたとはね……」
 答える筈の無い、聞こえているかも怪しい咲也に麗夜は語り掛け、愛おしそうに少年の頬を伝う涙を指で拭った。その表情は妙に人間的な感情に溢れていた。だがそれも一時、
「済んだ事は仕方が無い。いっそ良かったのかもしれん。君にとっても、私にとっても」
 何か思いついた様に独り言ちて、浮かべたのは悪魔の微笑だった。
 冷たい美貌が咲也の耳元に近づき囁く。
「いいかね、よく聞くんだ。君はもう元には戻れない……自分のした事を思い出すがいい。君は大事な人間を死なせたのだ。そう君が殺したのだよ。あの少年は」
 ぴく、と咲也が震えた。
 麻痺した頭でも一番痛い所に触れた麗夜の言葉は効いたらしい
「手を下したのは鵺。だが命令したのは君。これは言い訳も逃げ隠れも出来ない事実」
(やめろ――――止めろ!)
 抑圧された咲也の意識が心の中で叫ぶ。しかし声にならない。
「苦しいか? それは君もそう思っているからだ。罪は償えぬ。君には友人の死を嘆く資格も無ければ、私に楯突く道理も無い。もう君と私は同じ穴の狢なのだよ」
 麗夜は咲也を抱き起こし、肩を握りしめて揺さぶり、淡々と言い放った。
 本当は克己の不幸に咲也は何の罪も無いのだ。彼の自我を奪い、操り、鵺に手を下す様命令したのは麗夜であり、麗夜に克己を殺す意思がなかったのであれば、あれは事故ではないか。和馬を庇って飛び込んだのは克己本人なのだ。それでも咲也自身が罪悪感を抱いている限り、麗夜の言葉は有効だった。
(俺が克己を――――)
「う……ああ……!」
 咲也が頭を抱えた。強烈な葛藤と自責の念が理性を押し潰し、限界まで見開かれた目は狂気に裏返った。
 かくん、と咲也の頭が落ちた。耐えきれず気を失ったのだ。
「それでいい。狂ってしまうがいい。何もかも忘れて……」
 咲也を再び寝かし、麗夜は人工の星空を見上げた。星は緩やかに流れている。
「星の配置が変わった……日は近いな」
 麗夜は少し疲れた様に呟いた。
 事実、彼は疲れていた。いかに彼が使い手であっても、生きた人間への魂の移動は高度で危険な大技。留守にした方の体はその間殆ど死んでいる状態のなるのだから、戻った後もすぐには復調出来ない。そして――――
「さて、どうなる事やら……」
 麗夜は無造作に咲也の横に体を横たえた。魔法使いのしばしの休息の時間だった。


※別に作者の趣味や麗夜が良からぬ事をするために咲也を脱がしたワケではありません。死や血、他人との接触は「物の穢れ」であるので、神聖な場所には持ち込む事が出来ないからです

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まいるどタブレット小説 Ver1.13