HOME

 

鳥篭~とりかご~ - 四

2015/02/17 07:28

page: / 86

 小さな空飛ぶ鬼に先導され、瀬奈親子率いる一団は鴨川沿いを急いで南下していた。
 酷暑も疲れも忘れ、彼らの足はただひたすら駆け続けた。もうすぐ式神の告げた場所が見えてくる筈だ。
 とても走れない克己は、しかたなく俊己の弟子の若い術者に背負われて最後尾につけていたが、ふいに前進が止まったのに気がついて前を見た。
 目的地はまだだし、かなり遠くから感じていた鵺の気も一向に近づいて来ない。
 克己が背中から飛び降りて最前を行っていた俊己と葛西の元に駆けつけると、二人は呆然と立ち尽くしていた。
「どうしたの?」
「式神が……和馬君の式神が消えた」
「ええっ!?」
 慌てて克己は辺りを見渡したが、先程まで皆を案内しながら飛んでいた、奇怪でいてどこか主に似て愛嬌のある小さな鬼の姿は空の何処にも見いだせなかった。
 代わりに、何かがひらひらと克己の目の前に舞い降りて来た。
 足元に音もたてず落ちたのは、小さな人型をした白い紙切れだった。薄っぺらで、命の無いただの白い紙切れ。
 克己も俊己も知っている。あの妖しの生き物の、これが本当の姿だと。
「……」
 そっと克己が手を伸ばした時、一瞬早く風が紙切れを浚って行った。高く吹き上げられて何処へとも無く流されて行く白い紙片を、皆しばらく無言で見送った。
「……では剣君はもう……」
 言いかけた葛西の言葉は、克己の一瞥で呑み込まれた。
「縁起でも無いこと言わないでよ! まだそうと決まったわけじゃないじゃない! 幾ら鵺が強くても、和馬さんはそんなに簡単にやられたりしないよ。そうでしょ?」
 克己は縋るように父の顔を覗きこんだ。俊己は否定こそしなかったが、首を縦に振る事も無かった。和馬の実力を知っているが故に式神の異変は彼に衝撃を与えたのだ。
 小さな鬼の消失が何を意味するのか克己だって知っている。だが、信じられない。信じたく無いという思いだけでなく、何か違うと勘が囁いている様な。
「待って……待ってよ。何か違う気がする。和馬さんはまだ……だから急ごう!」
 必死に訴える克己の言葉も届かず、ここまで急いで来た勢いが一気にそがれて人々の足は止まったままだ。和馬ほどの能力者がこうも早くにやられてしまう様では、一体この先――――勝機など残されているのだろうか?そう思うと何もかもが虚しくなってきて、皆の足を重くするのだ。
 押し黙った俊己や葛西を余所に、克己は自分の勘を信じて、それを立証すべく目を閉じて掌を広げた手を伸ばした。
 ゆっくりと手が宙を探る。たちこめる濃霧の様に街中に満ちた妖気が邪魔をして見通しが利かない。様々な気を感じるが、一つ一つを識別するのは困難だ。それでもめげずに克己は見えない精神の触手を拡げつづけた。
「どうかね?」
 俊己が声をかけた時、克己の肩が微かに震えた。父をも凌ぐ克己の高性能のアンテナは覚えのある気を探り当てたのだ。
「和馬さんだ! さっき式神が告げた辺りに確かに。それも凄く……いつもと比べものにならない気を感じるよ! まだ無事なんだ!」
 おおっ……と、沈みかけていた一同から希望のざわめきが起こった。一転して、皆すでに再び駆けだそうとしている。
「でも……あれ? 鵺の気が全く感じられない。さっきまで何もしなくても怖いくらい妖気が出てたのに。まさか和馬さんが倒しちゃったんじゃ……」
「それはなかろう。あれは殺しも消しも出来ん。では鵺はあれだけ因縁の深い和馬君を放って去ったというのか?」
「ううん。鵺の気はさっきから感じてたけど、移動した気配は無かったし、もし動いたとしても和馬さんも追ってるはず」
「だが深手を負っていれば追えまい?式神が消えるほどダメージをうけたなら……」
「それにしては気が強すぎるよ。信じられないくらい強い。それに和馬さんだけじゃない。何人もの気が一緒になってるのを感じる……なんて言えばいいのかな、絡み合って強い一つの塊になってるって感じでそこにあるの。もし鵺が行っちやったんなら、もうそんなに気合入れてる必要無いじゃない」
「それもそうだな。では彼等がその力で鵺を封じているのだろうか? だが、増力した鵺をその矢も無く――――」
 そこまで言って俊己の表情が変わった。
「まさか!」
「?」
「確かにあの化け物を封じ込める手などあれしか無い。彼は剣の者……さぞ強い気が出ているだろうよ! ああ……だがなんという無謀な事を!!」
 式神が消えた時以上の驚きを見せる俊己に克己がわけを問うと、“鳥篭の術”の事が返って来た。和馬の父の義恭と昵懇だっただけあって、俊己は勿論その最強の技についてよく知っていた。
「そんなに凄い術なのか……」
「だが危険過ぎるのだ。こうなれば一刻も早く駆けつけねば! そして彼が持ちこたえておる間にその矢で鵺を射るのだ、克己。危険を承知で和馬君は賭に出たのだ。お前が必ず来ると信じて。こんな機会はもう作ろうとしても作れまい。彼の命懸けの賭、勝たしてやろうではないか。そして……一緒に麗夜を討ちに行かせてやるのだ。仇を討ちに!」
 彼等は再び駆けだした。前にも増して先を急いで。
 まだ強い和馬の気を克己は感じている。この気が消えないうちに辿り着かなければ。
(和馬さんがんばって! 僕達が着くまで絶対に死んじゃ駄目だ!!)


 そいつは考えていた。
 大地と夜の闇を親として生まれ、嫉妬、憎悪、怒り、悲哀……そんな人間や街が発する様々な負の気に育まれて、比べるもののない存在になったこの自分……他の地球上のどの生き物……いや妖怪、魔の物にさえ眷属……自分と同じか、それに近い者がいるのに、我が身には一族など存在しない。
 不覚をとって千年近くも眠りについていたけれど、その永い眠りから目覚めさせてくれた者がいた。彼はこの無二の存在である自分の力を認め、必要とした。だから、恩に報いて手を貸すのも悪い気はしなかった。酷い時代に目覚めさせてくれたものだ……と恨みもしているけれど。
 千年の時の流れは逆らいようがなく、世界は、京の都は変わり果てていた。
 昔、まだこの身が若く完全でなかった頃も京の都は人間達のものだった。計算され、整備された街は確かに人間の造った街だった。だがその頃は、これほどまで人の数も無く、夜ともなれば完全な闇が訪れ、整えられていても道は自然のままだった。人は自然や人以外の存在を恐れ、敬う事を知っていたし、あの頃、確かに妖魔も街の住民として人と共存していたではないか。
 自分もまた、京都を愛しているのだ……この都の大地から生まれいで、闇の側面の住民として……だから、母なる大地をアスファルトが覆い、ネオンや街灯が、父である闇を追い払うこの時代は、耐えがたいのだ。
 だが、代わりに成長の糧となる妖気や人間達の負の感情だけは、昔よりも沢山満ちている。他人を蹴落とそうとする競争社会のど真ん中で渦巻く、数多くの暗いどろどろとした感情、ストレス――――それらはこの身を育み、魔力を増大させる。今や並ぶ者もいないほど強大に成長しきったこの身は、もう神であろうとどうすることも出来ない筈だ。
 そう、自分は強い。
 なのに何故、今窮屈に閉じ込められて、身動きもとれず、もがいているのか?
 たかが人間に。この爪の一閃、牙の一噛、ほんの僅かに気を送ってやるだけでも死んでしまう様な、小さくか弱い生き物に。
 人間の魔力とはこうも強力だったのか?
 ……考えてみれば、こうなるより前に既に我を捕らえた人間がいた。封印を解き、眠りから開放した、あの魔導師ではない。もっと無力で儚く、自分という存在をまもる術すら知らぬような、脆弱な人間達のなかでも最も無防備な魂をもつ、そんな一人の少年。
 少年は、この誰にも服従しない、孤高の闇の獣王の心を捕らえたのだ。魔力でねじ伏せたのでもなく、特別の技を持つわけでもないのに、である。
 さくや……咲也。
 そう、その名は一時も忘れはしない。ただ一人、主と認めたあの美しい少年。
 常に共にあって、見つめていたい。だが、それを邪魔するのは、戦い、今、この身を捕らえている人間達だけではない。我の封印を解き、我を従えた気でいるあの魔術師も。確かにあの力は強大で、凌ぐ事は易くないが、いつまでも言いなりになっている程こちらも甘くは無いぞ――――
 しかし、今、不覚にも捕らわれの身となり身動きとれぬ状態をどうしてくれよう?
(さくや……)
 そいつ――――鵺は考えていた。

page: / 86

 

 

HOME
まいるどタブレット小説 Ver1.13