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環~たまき~ - 六

2015/02/17 07:06

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 その日、京都は賑やかだった。
 マスコミはせわしなく行き交い、前代未聞の珍事を報告するのに必死だ。テレビなど、ニュースの時間になるとどこも京都が映っている程である。
 また、その画面の映像が問題だった。雅びな古都の佇まいは白一色に彩られ墨絵の様な幽玄の美を見せている――――雪。
 今朝、余りの寒さに目覚めた人々は見た。外は全て、通りも町並みも、何もかもが雪と氷に閉ざされているのを。気温も氷点下を割り、戸外へ踏み出そうものなら吐く息はおろか身体まで凍ってしまう。しかし今は八月。盆間近の、猛暑真っ盛りの時期ではないか。
「東京の今朝の気温は三十一度。北海道ですら汗が滲む程の暑さです。しかしご覧下さい!ここも同じ日本です。日本のほぼ中央、京都はこのように只今九時現在、なんと氷点下十二度。こうして立っていても手足の感覚がありません。この寒さで、昨夜駅や路上で寝ていた人々を始め、家の中にいた人達にも多数の犠牲者が出ました。現在も交通は完全に麻痺し、学校や会社でも対応を見合わせている模様。なお、同じ近畿の近接する地方では全くいつも通りの真夏日になっており、異常気象というにも余りにも極端なこの事態に、気象庁も頭を悩ませている状態で――――」
 テレビの画面には、防寒着に身を包んだレポーターが巨大な温度計を手に、震えながら報告するさまが映っている。
「いよいよだな」
 季節外れに引っ張りだされたストーブを囲み、俊己、和馬、雲母、そして少女……克己は外の異常を伝える映像に見入っていた。彼等はこうなる事を予め予測していたため、さしたる驚きも見せない。
「まあしかし律儀というか……きっちり京都市だけらしいぜ。隣の亀岡市や宇治市、向日市でもカンカン照りだとさ。境目なんかたった一歩の差で温度が五十度近く違うんだからビックリだよな」
 もこもこの小山が呆れた様に言った。俊己に借りようにも、着られる服が無かったため、毛布にくるまった和馬である。修行で真冬に冷水を浴びるのも物ともしない俊己や、鍛え抜かれた肉体を誇る和馬ですら、この寒さは堪える。暖房の効いた部屋にいて、幾ら温かくしていても体の中から冷えてくる様な、そんな寒さ。ただの冷気で無い事など分かりきっている……冷気で無く霊気なのだ。
 克己が少し震えて肘を抱いた。
「今は氷の時……雲母さんの言った通りになったね。で、次は――――」
「炎の時よ。おそらく正午過ぎには一気に50度近くにまで気温が上がるわ。縮小版だけど、世界の創世のプロセスを街規模で逆行しているのよ。お年寄りや子供には酷ね。また犠牲者が出るわ……」
 雲母が悲しそうに目を閉じ、首を振った。
 一昨日の朝、克己が環の肉体を借り、奇跡の生還を遂げた後、彼等はすぐ次の手を打つべく行動を開始した。雲母を始め、和馬も深手を負っているため静養が必要だったし、霊力を使い果たした俊己はもはや戦える状態に無い。克己もまだ環を思い切れず、慣れない体への戸惑いもあったが、時に猶予は無い。気力で何とか立ち上がらざるをえなかった。
 まず、和馬と雲母が未来を占い、この来るべき時への前奏とでもいうべき異変を察知したのだ。勿論知っていて沢山の犠牲者が出るのを見過ごすつもりは無かった。一時でもいいから街を避難するか備えをするよう、俊己の呼びかけに応じた葛西達他の霊能者が、市民や観光客に注意を促し警告したが、正気を疑われこそすれまともにとりあう者は皆無に等しかった。中には気に懸ける者もいたが、行動には至らなかった。この様に明らかな異変の最中にあってさえ、集団意識に慣れてしまった現代人は常識にしがみつこうとし、周囲から浮いてしまう事を最も恐れるのだ。行政クラスにも働きかけ、協力を要請したが考慮するとの答えはあったものの何の動きも見られなかった。
「……冷たいかもしれんが、これで少しは目が覚めたろう。後は個人の勇気ある判断に委ねる他無い。このニュースを見れば今まで半信半疑だったお偉方も動くだろう」
「だといいんですけど。強制避難勧告でも出してくれないかしら。十中八九、今夜召還の儀式が行われる。月齢、星の配置、気の流れ……何を取っても大きな魔法を使うのに適した日だわ。和馬さんと私の占いでも一致した。お盆……全ての霊力が最も強まり、異界とこの世の境が無くなる時だし。ところで皆さん準備の方はよろしくて?」
「うむ」
 と一言、俊己。
「バッチリ打合せ通り。既に全国から応援に駆けつけて来た能力者達も配置を済ませて待機してる。こっちも何時でも出られるぜ」
 と和馬。三人の視線が克己に集まった。
「後は克己坊……じゃねえな、克己ちゃんの合図次第さ」
 躊躇いがちに和馬が言うのに、克己は苦笑した。皆、未だこの少年の魂を持つ少女に対して、どう対応すればいいのかわからないようだ。頭では何が起こったのか納得出来ても目の前で息絶えるところを見、その手で埋葬したはずの人間と話しているというのは複雑な心境だった。おまけに、ほとんど外見は変わっていないとはいえ性別が違うのである。本人ですら戸惑っているのだから、他人なら尚のことだろうが……
「……何だか気持ち悪いな。今までと同じでいいよ。僕が女だって事は忘れて」
「とは言ってもな……おい、僕ってのも変だぜ、お嬢様」
「じゃあ、私とかあたしっていえばいい?」
「うむむ……」
 和馬と克己の掛け合いに、俊己と雲母の頬も緩み、緊張感が解けたのも束の間、
「……それより、本当に何もかも僕に任せてしまっていいの? ……ハッキリ言うけど荷が重すぎるよ。勿論、儀式を阻止して咲也を取り戻すためなら何でもするし、命だって厭わない。でも、僕には雲母さんや和馬さんみたいに先はわからないし、父さんみたいに相手に詳しくもなけりゃ、修行も積んでない。おまけに男だった時の僕ならともかく、環となった今、前と同じに力が使えるかもわからないんだよ。十六年もずっと眠ってた身体にしては驚くほど動くけど、歩くだけでも迷惑かけるのに……そんな僕に皆の指揮をとれと? 足手まといになりこそすれ、とてもじゃないけど責任持てないよ」
 克己が深刻な顔で沈んでしまった。
 いよいよ、京都の……いやこの世の運命をかけた麗夜との最後の決戦を前に、皆は克己にすべての希望を託したのだ。
「先がわからないのは皆同じなのよ。私も和馬さんも、もうここから先はわからない」
「え?」
「……前は、たとえ絶望的な未来であっても見る事が出来たのに、今は私の夢も炎の時から先には行けない。和馬さんの占いでもそう……でも、これは決して悪い事では無いわ。むしろ歓迎すべき事でなくて?時間の流れの中に何か今までとは違った新しい因子が加わって、未来が不確定になったのではないかって思うの。不確定の未来なら幾らでも変える事が出来るもの。では、その新しい因子とは何か考えれば、思い当たるのはあなただけ……あなたが環ちゃんと一つになって生き返ったって事。上手く言えないけど、あなたは可能性を秘めた未知数なのよ。だから私達、話し合って決めたの。その未知数の部分に賭けようって……」
 雲母がそう語ったのに克己は何か返したげだったが、言葉を出す前に、和馬が俊己みたいな口調で難しい顔で語り始めた。
「森羅万象、全てのものは陰と陽からなる。すなわち闇と光、黒と白、女と男、静と動、水と火……裏と表、相対するもの」
「?」
「――――で、何が言いたいかというと、考えてみたら瀬奈家の双子はまさにその陰陽に当てはまる。環ちゃんが女で静だったとすれば、克己坊は男で動。その相容れぬ二つのものが一つになった。つまり、何よりも誰よりも完全に近づいたという事だ。咲也君との間にもそれは言える。彼は、人が持っているべきものすら持たずに生まれた。だが克己坊は補えるそれを人より沢山授かった。-と+、これも陰と陽。そこへもってきて男と女になった……これだけ揃った二人が、一番中央に係わってるんだ。誰かさんが前に言ったよな? 咲也君が鍵だと。それならその鍵に合う扉はただ一つ、お前だけ。運命が咲也君とお前を対にしてこの世に遣わしたのなら、そこに事態を収拾できる希望があるかもって思うわけ。雲母お姉さんがさっき言った“可能性を秘めた未知数”ってのはそういう事だと思うんだよ」
 自分でもなかなか上手く説明出来たと、和馬は満足して克己を見た。その克己は、半ば呆然とした表情で受け取っていた。
「運命が咲也と僕を対にして――――」
 だめ押しで、俊己が克己の肩を抱き、珍しく優しい口調で言った。
「克己、責任などと難しく考えずともよい。お前が、こうすればいいと思うように動くだけでいいんだ。わしらはそれに従うのみ。どれだけ修行を積んだか、能力があるかは関係ない。どのみち誰にもどうすればいいかわからんのだ。ここはお前に賭けてみたい。どうかね?」
 ここまで言われて後に引けるだろうか?
 克己は小さくため息をつき俯いたが、やがて顔を上げると、厳しく表情を引き締めた。
「――――わかった。では合図を」

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