HOME

 

失踪~しっそう~ - 八

2015/02/16 13:44

page: / 86

 また人家の無い辺りに差し掛かり、克己が絶望と疲れで顔を覆って道端に座り込んだ時、前方から来た車がクラクションを鳴らした。
 けだるげに顔を上げると、車は克己の前で止まった。白のマークⅡ。父のと同じ車。
「おい、克己坊じゃねえか。どうした、こんな所で?」
 助手席の窓から人懐っこい童顔がのぞいた。和馬である。運転席には俊己が見えた。二人は式神の異変に、大急ぎで帰ってきたのだ。
 父の顔を見て安堵した途端、克己は堪えきれず泣き崩れてしまった。今まで忘れていたものが、どっと雪崩の様に押し寄せてきたのだ。咲也の事、雲母の事、咲也と一緒だったという少女の事、不安、絶望、後悔……入り乱れてもう何がなんだかわからない。一つ一つでも泣きたいくらいどうしていいかわからない程重大な事柄ばかりだった。咲也を探さなければという、当面の最優先事項があったから今まで何とか忘れていられたのが、頼れる者の姿を確かめた瞬間、緊張の糸が緩み全てが関を切って押し寄せたのだ。
 慌てて二人が車を降りて駆け寄る。
 小さな子供の様に道端に泣き伏せてしまった克己を、俊己が抱き起こした。縋りつき、胸に顔を埋め、声を押し殺して泣く息子の姿から俊己は事の重大さを慮った。見かけは頼り無げたが、芯の強いしっかりした息子だ。多少の事ではとり乱したり、こんなに泣いたりはしない。父親でさえこんな様子は始めて見た。余程の事があったに違いない。
「何があった? 泣いていてはわからん」
 克己は激しくしゃくりあげて何か言おうとするが、詰まって言葉にならない。取敢えず車に乗せ、それから事情を聞く事にした。
 しばらくはとても喋れる状態では無かったが、俊己と和馬に見守られ、泣くだけ泣いたら少し落ちついたらしく、しやくりながらも克己は話しはじめた。
「咲也……咲也がいないの。連れていかれたんだ」
「咲也君が? どういう事だ? お前がついていたのにか?」
「ううん、僕と母さんが出てる隙に……」
 克己は病院から電話があった事、雲母が何者かに襲われ重傷を負った事、咲也を一人残して出た事を説明した。
「帰ってみたら咲也がいないんだ。どこ探しても……結界の中だし、和馬さんの式神もいるから少しの間なら大丈夫だと思ったのに。それに咲也は自分から外へ出たりはしないよ。外へ出たら危ないこと知ってるから。結界も破られて無かったし、家の中何も壊れてない。なのに……なのにいないんだ」
 また泣き出しそうになるのを必死で堪えて克己は黙って聞いていた二人の反応を窺った。
 俊己と和馬は難しい表情でしばらく口を閉ざしていたが、やがて和馬が思い出した様に、
「留守中にあった事は俺の式神が見てたろう。そいつに訊いてみよう」
 克己は慌ててポケットから瀕死の妖怪を出した。更に弱ったらしくもうほとんど輪郭がぼやけている。それでも和馬の大きな手に乗ると元気を取り戻して肩に飛び乗り、耳元に何か囁いた。
 和馬が式神から話を聞いている間、克己は俊己に耳打ちするように、小さな声で続きを話した。
「咲也を見たっていうおばあさんが、咲也が女の子と二人連れだったって言ったんだ。その女の子が僕に生き写しだったって……」
 俊己の顔色がさっと変わった。
「まさか……そんな筈は無い!」
「僕だって信じられないよ。でもおばあさん嘘言ってる様には見えなかったし……」
 二人の会話を知ってか知らずか、そこで和馬が声を掛けた。聞き終わったらしい。
「何て言ってます?」
 克己が訊くと、和馬は渋い顔で頭を掻いた。
「こりゃ俺の失敗だったな。こいつを残したのが裏目に出ちまった」
「え?」
 和馬……式神の説明ではこうだった。

 咲也は克己の言いつけ通り、外へ出ること無く境内の中で大人しく待っていたらしい。そこへ克己そっくりの環と名乗る少女が現れしばらくは中で二人して話したりしていたがやがて環の方が、外へ出ようと咲也を誘った。だが勿論、咲也がそんな誘いに乗る筈も無い。しつこくせがむ環に、
「何と言っても絶対駄目。克己に叱られるもん。それに俺だって怖い目には遭いたく無いからね」
「なによ。克己、克己って、そればっかり。顔だけじゃなくて中身まで女みたいね」
「お前な、言っていい事と悪い事があるぞ」
「凄んだって怖くないわよ。外へ出るのも怖いくせに。男女の弱虫」
 そこまで言われて黙っている咲也では無い。
「上等じゃん。付き合ってやろうじゃないか。弱虫かどうか見てみろよ」
「そう来なくちゃ。大丈夫よ、私だって克己と同じ様にお化け退治くらい出来るのよ。さっきから気になってたけど、この部屋にも一匹いるわ。証拠に私の力見せてあげる」
 環は梁から様子を窺っていた式神を咲也に示した。
 式神は偽りとはいえ命を与えられたもので霊感の弱い咲也にも見えた。無気味なその姿を見れば、まさかそれが自分の身を守っている存在だとは思えなかったのだろう。
 式神も勿論、引き下がってはいられない。咲也を危険な目に遭わせる訳にはいかないのだから。和馬の命令は絶対だ。環を敵と見なしてかかっていったが、それが逆に咲也に誤解された。環は咲也を庇うように見せかけて式神を倒し、安心した咲也は男の意地も手伝って、環に導かれるままに危険な外へ出てしまったのだ。

「……」
 重苦しい沈黙。
 咲也が自ら結界から出た事はわかった。しかし、俊己と克己が訝しげな表情で押し黙ってしまったのは、説明の中に出てきた少女の事が信じ難かったからだ。
 一方、これで納得のゆく事もある。式神が克己を見て襲って来た訳、あの老女の不思議そうな顔。もし本当に少女が環なら間違えても仕方が無い。
「ねえ瀬奈さん、克己坊そっくりだっていう環って女の子、誰なんです? 式神の話じゃ、外からは何も結界を破って入って来なかったってことだし。じゃあ最初から中に居たわけですよね?」
 和馬に尋ねられ、俊己は諦めた様に目を伏せ、渋い顔で頷いた。
「……環はずっとおったよ。中に――――環はわしの娘、克己の双子の姉だ」
 ついに俊己は隠していた事実を暴露した。
「双子……それなら似てるのは当然ですね。でも何で紹介してくれなかったんですか? 食事のときも、その他家族が揃ってるときもいなかったし」
 俊己と克己は顔を見合わせて、何とも形容し難い複雑な顔をした。和馬はそれを見逃さなかった。
「あの……?」
「紹介しようにも、環は生きてはいるが死んどるのも同じ。生まれてこの方、身動き一つせず、喋ったことも無い。弟の克己に合わせて体は成長するが、ずっと眠ったままなのだ。医者の話によれば先天的な自律神経系統の異常が原因だそうだが、よくわからん」
「……」
「わしが常に神社に結界を張り巡らせているのも、実は環を守る為。血を分けた克己と同じく霊感体質は受け継いでおるから、目に見えぬもの達の干渉を受けやすいのだ。代々、我家系は物の怪に因縁がある。真っ先に狙われるのは無防備な環だろう。だから、いつも守りを固め、人目につかぬよう隠してきた。……しかし合点がいかん。そんな瞬き一つ出来ない娘がどうやって咲也君を連れ出せるというのだろう?」
 また沈黙。
 三人とも薄々ながら、何か他の存在が介入したであろう事には気がついた。何かが環を操っていた事に。だが結界の中には……
 はっと克己が顔を上げた。
「鬼……」
「え?」
「父さん、鬼だ! 徳治さんを殺した絵馬の鬼がまだ中にいたんだよ! 外へ逃げたとばかり思ってたけど、姉さんに憑依して息を潜めてたんだよ。だけど自由に出入りできる人間の許しを得ないと、自分じゃもう一度張られた結界の外へ出られないから、咲也を自分から外へ出るように仕向けて一緒に出たんだ!」
 西洋では、その家の者がすすんで招き入れた吸血鬼や悪魔には十字架も呪いも効かないというが、日本でも古来から御札や経文を恐れる妖怪や悪霊も、一度許しを得ると簡単に出入りできてしまうものらしく、数々の民話や伝承に記録が残っている。その習性を克己達は現実として知っていた。
「そうか! わしとした事がぬかったわ」
 結界を張る際、鬼がまだ中に居る事に俊己が気がつかなかったのは仕方が無い。絵馬は最初から神社にあった物。常にあって当然の妖気が潜んでいても異常だとは思わなかったのだ。それは克己も同じだった。
 和馬は目の前で繰り広げられた家族の最後を、親子は徳次の惨殺された現場に残された巨大な手型を思い出し、総毛立った。
 あれが咲也と環をどうかしたら――――
 考えたくも無い光景が目に浮かぶ。
 徳次、和馬の家族、そして雲母……今までの犠牲者の惨劇を見るがいい!
「早く! 早く二人を探さなきゃ!!」
 克己の悲痛な叫びに、俊己は思い切りアクセルを踏み込んだ。

page: / 86

 

 

HOME
まいるどタブレット小説 Ver1.13