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百鬼夜行~ひゃっきやぎょう~ - 四

2015/02/16 13:50

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「待っていた」
 男にしては美しいが、背中を氷柱で撫でられる様な声が言って、和馬は身構えた。
 ドアから現れたのは世にも美しい人物。
 先刻向かいの建物から道を挟んで見た青年だ。間近で見ると一層その人並み外れた美貌が際立って、和馬は呆気にとられた。だが、間近で対峙すればこそ、見かけに騙されたりはしない。相手から感じるのは聖天使の如き姿とは裏腹の、黒い妖気だ。
 彼は咲也を連れていた。
「ずっと様子を伺っていただろう? 外は暑いのにご苦労な事だね。剣和馬君」
「……名前まで知ってやがるのか。お前が親玉の妖術使いか?だったら親の仇だな。まさか外国人だとは思わなかったけど」
「親玉などと言わないで欲しいね。それに私は外国人では無い。れっきとした日本人だよ。この街の人間だ。麗夜と呼んでくれたまえ」
「……いつから俺に気がついてた?」
「悪いが始めから気がついていたよ。上手く気配を消してくれていたが、化け物には見えなくても私には見える」
「気が付いていながら何故今まで放っておいた? 馬鹿にしてんのか?」
 和馬は屈辱に頬を紅潮させて美しい部屋の主を見据えた。
「馬鹿にするなどとんでもない。剣流二十三代目継承者の君の実力は承知しているよ。
 家族をあんな目に遭わされても、まだ私に逆らう愚か者だという事もね……私はこれでTPOに気を使う質でね。君と同じ理由だ」
「へえ、人目を気にするのかい? まあいい。その坊やに何の用があるかは知らないが、おとなしく返してくれると有り難いんだがな。そうすりゃ今日のところは、親の仇だって事は忘れて黙って帰るよ」
「そうはいかん。やっと手に入れた宝物だ。返して欲しければ力ずくで取り戻したまえ。出来るものならね。だがこの子は帰りたくないと言ってるよ」
「何だと……!」
「そうだね、咲也君?」
 怒りに燃える和馬を尻目に、麗夜は愛おしそうに咲也の髪を撫でた。咲也は何も言わずこくりと頷いて、和馬から逃れるように一歩後ずさって麗夜の腕に縋った。
 和馬は咲也の様子がおかしいのに気が付いた。はじめて見た時から綺麗な子だとは思ったが、元気な少年らしい物腰や表情豊かな人懐っこい性格に中和されてか、そんなに意識はしなかった。だが今の咲也は浮世離れして見える。それはおとなしすぎるからだろう。目もどことなく虚ろで焦点が合っていない。無表情にぼんやりと立つ様は、催眠術にでもかけられているみたいだ。だとすれば頷いたのも自分の意思ではあるまい。
「その子に何かしたのか?」
「さて。どちらにしてもこの少年は渡せないよ、和馬君。替わりを探そうにも、これ程までの霊媒となると他におりはすまい。鬼は瀬奈氏の所からこの子を連れてきたらしいが……出来ればあの一族だけは、本気で敵に回したくはないのだがね。おいおい説得して味方につけようと思っていたくらいだ。だが私の意に反して化け物達は勝手に手を出すし、占い師ばかりか剣の生き残りの君までも瀬奈につき、探し求めてやっと見つけた相応しい霊媒もあの家に関係しているとは……やはり避けては通れんようだ。だが幾ら京の闇の歴史を司って来た一族の末裔、日本屈指の徐霊師とはいえ、血の薄くなった現代では恐るるに足りぬ。君の家同様、私の計画の障害となるのであれば始末してしまってもいい」
「……」
 和馬は両親達の最後を思い起こした。あの惨劇を繰り返そうというのか? 俊己や珠代、そして克己――――彼等をあんな目に? この目の前の人物なら躊躇わずやるだろう。今までも結界が破られ、人一人が殺されている。あれが本心でなかったとすれば、本気でかかって来られたら幾ら俊己といえど太刀打ち出来るだろうか?
 その心理を読んだ様に麗夜は、
「まあ、おとなしくしていてさえくれれば、私としては瀬奈家を味方にしたい考えに変わり無い。瀬奈俊己とは知らぬ仲でも無いし京を完全に目覚めさせたあかつきには利用価値の大きい一族だ。息子はこの子の大切な友人だそうだし、主役の依童を悲しませて儀式に差し支えても困る。どんなに自我を消す術をかけても深層までは及ばない。こんなに無防備な霊媒でも強い感情は身を護る障壁に成り得る。儀式には邪魔だ」
 少しも感情を篭めない冷たい声で無表情に肩を竦めて言った。
(依童? 儀式? 京都を目覚めさせる……)
 事の重大な核心を喋った麗夜の言葉に、和馬は『咲也が鍵を握っている』という雲母の予言の意味を悟った。
 何より『俊己とは知らない仲では無い』と言った言葉が気になった。
「瀬奈さんと知り合いなのか?」
「まあね。向こうはどう思ってるか知らんが今も友人だと思ってるよ。ついでに言うと君の父上もそうだった……だが剣義恭は私を理解しようとせず、歯向かって来た。悲しい事だよ」
 勝手な事を――――とかっとなるのを必死に押さえて和馬は唇を噛んだ。
「……麗夜さんとやら。そんな大事な事をぺらぺら喋っていいのかい?」
「帰って瀬奈氏に伝えるか? 別に構わんよ。そういう事だからおとなしくしてろと伝えてくれたまえ。無事帰れたらの話だが」
 美しい仮面の様に無表情な顔がほんの少し笑みを浮かべた。意地の悪い微笑み。
「やっぱ、簡単には帰れないよな」
「そういう事だ」
 和馬は背後に恐ろしく強い殺気が近づいて来るのを感じていた。足音はしないが、ぐるるる……と獣の唸る声が少しずつ近づいて来るのを。
 未だかつて感じた事も無いほどの強烈な妖気が和馬を捕らえる。
「どえらい物騒なペット飼ってるね。あんた」
「なかなか可愛い奴だよ。ふふ、君が気に入った様だ。まあ仲良くしてくれたまえ」
 それだけ言うと、麗夜はくるりと背を向け、ぼうとした咲也を連れて歩き出した。
「待て!!」
 咲也を取り戻そうと、和馬が動いた瞬間、背後の化け物が耳を劈く声で吼え、一飛びして頭上を超えて、和馬の目前に立ち塞がった。その隙に咲也を連れた麗夜は隣の部屋へ悠々と消えた。
「くそっ……!」
(お遊びはこれまでだ。さあ逃げるがいい。だが、そいつから逃れられるかな? 君は前から邪魔だった。手加減はせんよ)
 嘲笑う様に冷たい声が頭の中に響いた。
 ぐるる……と獣が唸る。
 印を結んで小さく呪文を唱え始め、和馬は臨戦体制に入った。まずは相手の動きを封じるため、ありったけの気を送ったが、和馬よりも更に巨大な妖獣は生臭い息を吐きながらじりじりと間を詰めて来る。
 凄まじい妖気! 昼間苦戦した瘴鬼との比では無い。
 動きを封じる気さえものともせず、近づいてくる怪物にさすがの和馬も恐怖を覚えた。
「何をやっても無駄そうだな。じゃあ……」
 印を解き、くるりと怪物に背を向け、
「仰る通り逃げるとしよう!」
 だっ、と和馬は駆け出した。
 妖獣と和馬の死闘が始まった。

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まいるどタブレット小説 Ver1.13