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鵺~ぬえ~ - 七

2015/02/16 14:15

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 悲痛な叫びと共に和馬めがけて白い円盤が飛んで来た。
 際どいところで躱したものの和馬は大きく均衡を崩し、小刀は咲也を大きく逸れた。
 克己だった。立つのがやっとの状態で、腹を押さえ、よろけながらも克己は最後のかわらけを和馬に向かって投げたのだ。
「何をする?!」
「お願いだからやめて! 咲也を殺さないで。後生だから……」
「馬鹿っ、そんな事言ってる時じゃ……」
 決死の覚悟を挫かれて、隙が出来た和馬を鵺は見逃さなかった。
 しゅるっ! 鵺の尾が和馬の首に伸びた。
「ぐっ!」
 先に奇怪な猿面のついた蛇の様な尾は、ぎりぎりと和馬の首を締め上げる。
「だ……から、言った……ろ?」
 夜目にも和馬の顔色が変わっていく。
「和馬さん!」
 自分が窮地に立たせた和馬を助けようと、飛び出そうとした克己だったが、体がいう事をきかない。動けない克己をもう一つの鵺の顔が襲った。
 牙を剥いて唸る妖獣の角が光る!
「うわっ!」
 今までに増して凄まじいエネルギーの波を防ぐ事も出来ず、克己は吹き飛ばされた。
「か……つみ……」
 朦朧となった意識の中で和馬は最後の力をふり絞り、いままさに頭に齧りつこうとしている鵺の尾の顔めがけて小刀を突きたてた。
 刃は尾の鵺の右目に刺さった。
 ひいいぃぃ――――!!
 耳を覆いたくなる絶叫が空気を振動させた。首を締めあげていた尾が緩み和馬は開放されたが、大量の返り血を浴びた。強力な毒液がかかった場所は、服地のみならず皮膚をも溶かされ白煙を吹き上げた。
 激痛に身を捩る和馬を、これも激痛にのたたうつ鵺の尾が弾き飛ばす。和馬は激しく地面に叩きつけられ、しばし意識を失った。
「くっ……!」
 和馬がようやく身を起こした時は息がかかる程の至近距離に鵺の金色に妖しく光る眼が迫っていた。
「なかなか手こずらせてくれたな。褒めてやろう。だが終わりにしようじゃないか?まずは君からだ。こいつは執念深いんだ。それに一度喰って味を覚えたらしい。格の高い術者は旨いんだそうだ」
 咲也=麗夜が鵺の背から冷たく言った。
 ぐるる、と鼻先で鵺が唸る。
「……」
 和馬は動く事が出来なかった。手を伸ばせば最後の一枚の御符もある。しかし同じ手は二度と通じないだろうし、鵺の体液がかかり白煙を上げている背中は徐々に蝕まれ、気が遠くなる程の激痛が襲っていた。第一少しでも動けばその瞬間バクリだろう。
 絶体絶命。
 克己はショックで気を失っていたが、やっと気がつくと和馬の危機を知った。
(和馬さん!)
 鵺が前足を振り上げた。
「やれ」
 短く咲也が言った。
(もうだめか……)
 眼を閉じた和馬めがけて鋭い爪が振り降ろされる!
「咲也!! やめて――――!!」
 ざくっ……肉を切り裂く鈍く嫌な音をたてて、血飛沫が飛び散る。
「なに……!?」
 咲也=麗夜が驚愕の声を上げた。

「何だあれは?!」
 北に向かってまっすぐ走って来た車が幾つめかの交差点にさしかかった時、運転していた医師が急ブレーキをかけて叫んだ。
 後部座席に乗っていた雲母と俊己も見た。
 不規則に点滅する信号、街灯に照らしだされたのは、台風にでも襲われたみたいに目茶苦茶に破壊された街角。そして、その真ん中に見覚えのある禍々しい巨大な怪物の影。
「鵺!」
 雲母と俊己が同時に叫んだ。
「あれが? では……」
 医師が何か言うより前に雲母が駆け出す。
「先生、瀬奈さんを頼みます」
「橘くん! 待ちなさい!!」
 まともに動けるのが不思議な重傷患者の筈なのに、医師が追いつけない程の素早さだった。
 夢で見た不吉な結末。その通りになる事だけは避けたい……その思いだけが彼女を動かしていた。
 かつて俊己が言った。未来は変えられるものだと。
 そう、変えなければ……だがここまでが彼女も驚くほどの正確さでその通りに進んで来ただけに、未来にも選択の余地は残されていない気がして雲母は焦った。
(どうか間に合って! 神様!!)
 雲母は心から神に祈った。そして恨んだ。
 未来を見る事の出来る力を与えられた事を。
 雲母は鵺の後ろから忍び寄った。奇怪な姿が間近に迫る。蛇の様な尾、縞模様の脚。間違いなく自分を襲った獣。だがその背に跨がっている繊細な人影は――――
(咲也君!)
 後姿で顔は見えないが、彼女にはわかった。本人に出会う前から夢に出て来た咲也……彼女が見ていたのはまさにこのシュチュエーションだったのだ。
 だが何か様子がおかしい事に雲母は気がついた。鵺も咲也も彫像の様に動かない。雲母が近づいてもまるで気がつかない様だ。そっと回りこんで咲也の向いている方向を見た。
 片腕の大柄な青年が鵺の前にいた。
 会った事は無いが雲母は彼が味方だと知っている。
 全身傷だらけの巨人。彼もまた、咲也達と同じく動かない。彼は放心した様に一点を見つめていた。咲也と鵺の視線もまた。
 三組の視線の先には克己がいた。
「ああ……」
 糸が切れた様に雲母は地面に崩折れた。
(遅かった――――)

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