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夕立~ゆうだち~ - 四

2015/02/16 08:11

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 縁先に立った二人の横を走っていく者がいた。浅葱色の袴をはいた二十歳すぎくらいの純朴そうな青年で、御神酒徳利をのせた三方を危なっかしく掲げている。彼は克己の前まで来ると、ぺこり、と頭を下げて何か言いかけたが、咲也の方を見て頬を赤らめると、慌ててまた走り去った。
 その様子を見て、克己が笑いながら咲也を肘でつついた。
「憎いねこの色男は。彼、さっきも咲也に魅とれてたよ。綺麗な人ですね、だって」
「お前なぁ、男にモテたってしかたないだろうが……ところであの人誰だっけ?」
「もう、着いてすぐ案内してくれたでしょ。住み込みで弟子入りしてる徳次さんだよ」
「弟子?」
「そ。うちは普通じゃないって言ったろ? 神社っていうより道場ってカンジ? 父さんはああ見えて、その道じゃ有名な除霊師でね。全国から霊能力を持った人が修行に来るんだ。今は彼一人だけだけど」
「へえ、なんか知らんがカッコいいな。おじさん尊敬しちゃう」
「咲也もついでに鍛えてもらえば?まあ、モノにはならないだろうけど」
「ひどい言われようだな……」
 咲也が溜息混じりに言った後、ふいに体勢を崩してよろめいた。
 慌てて克己が支えに手を出す。
「どうしたの?」
「いや……何でもない。何か急に後ろから引っ張られた気がしただけ。気のせいだとは思うけど……また何かいる?」
「まさか――――」
 自分より強い力を持ったはずの父の結界の中である。いかに咲也が異常な程の霊媒質とはいえ、どんな霊もそう易々とは近づいて来られるものではない。一応辺りを見回してみたが何も見えなかった。だが微かに気配を感じる気がする。
 またあの胸騒ぎが蘇ってくる。
「――――何もいないけど……」
「やっぱ気のせいかな」
「咲也、疲れてるんじゃない? 大丈夫?」
「うん。ぜんぜん平気」
「もっと京都を案内してあげようと思ってたけど、今日はゆっくり休んで、また明日にしようね。雨も降りそうだしさ」
 言って間も無く、いきなり大粒の雨がそれこそ“バケツをひっくりかえしたような”という喩えそのままの勢いで降り始めた。雷はますます激しく鳴り、叩き付ける様な一際大きな音はすぐ近くに落ちたようだ。
「まあ怖い。ひどい降りになって来たねぇ」
 耳元で女性の声がして、咲也が驚いて横を見ると、知らぬ間に克己の母の珠代が立っていた。彼女は先程は和服姿だったが、着替えたのか清楚なワンピースを着ていて、さっき見た時よりも若々しく、とても自分と同い年の子供がいる様には見えなかった。
「いつも学校でうちの克己ちゃんと仲良うしてもろて。おおきに」
「……いえ、こちらこそいつもお世話になってます。家にまでお邪魔してしまって」
 姿勢を正してぎこちなく言う咲也を見て、克己が吹き出した。珠代も微笑んで、
「そんなによそよそしゅうせんと。自分の家や思て、ゆっくりしていっておくれやで。
 咲也ちゃん」
 そう言って小さい子供にするみたいに、咲也の頭を撫でて、ふわりと去っていった。その後ろ姿を見送りながら、咲也はぽかんと呆けたように突っ立っていたが、くすくすと克己の笑い声が聞こえて我に返った。
「……何がおかしい?」
「だって、咲也まっ赤なんだもん。うちの母さんって、咲也の好みのタイプ?」
「克己!」
 克己は殴られる前にたっと走って逃げ、くるりと振りかえって、
「咲也ちゃん」
 と、だめを押した。
 怒る気力も抜けて、溜息をついた咲也の横に克己が戻ってきて、その肩に頭をもたせ掛ける。悪戯な子猫みたいな行動。
「おちょくってごめんね」
「いいよ」
「夏休み中、ずっといてくれる?」
「うん。おばさんが美人だしね」
 ひとしきり笑ったあと、二人は黙り込んだ。
 見上げる空に桃色の稲妻が走った。すぐ近くに落ちたのだろうか。地響きをたてて大きな雷鳴が後を追う。しばらく黙って雨が降るのを見ていたが、飽きてしまったのか部屋へ戻りかけた。その時――――─
「ぎゃあああぁっ――――!!」
 ガシャン、という壺を割るような雷鳴と、恐ろしい人とも獣ともつかぬ声が、境内中に響きわたったのはほぼ同時だった。
 二人は顔を見合わせた。
「何だ今の? 悲鳴?」
「御社の方からだ」
 たっ、と克己が走り出すのを慌てて咲也が追う。縁側とはいってもこれはぐるりと建物を囲むように続いている周り廊下で、古い日本家屋によくある造りだ。その廊下を二人は駆け抜け、声のした方へ向かった。
「――――!!」
 角を曲がった途端、克己は悲鳴をあげそうになった。向こうからも人が走ってきて、鉢合わせたのだ。もう少しで衝突するところだった。急停止した克己の背中にぶつかって、咲也はひっくりかえりそうになった。
 相手も酷く驚いたのか、腰を抜かしてしまったらしく、へたへたと廊下にしゃがみこんでしまった。ずぶ濡れだ。
 それは克己の母、珠代だった。
「母さん――――心臓止まるかと思った」
「か……克己ちゃん――――」
 珠代は息子の顔を確かめるなりその腕にすがりついた。溺れる人が助けを求める様に。その面は蒼白で、尋常ならざる様子だ。
「克己ちゃん……」
 もう一度、彼女は息子の名を呼ぶと、ぽろぽろと涙を流して泣きだした。
 克己は驚いて、
「落ちついて。ねえ、母さんどうしたっていうの? さっきの声は一体――――」
「お……に」
 克己の問いが終わらないうちに、珠代は小さく呟いた。
「え?」
「おに。鬼や、克己――――鬼が絵から出てきたんよ!」

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