HOME

 

失踪~しっそう~ - 三

2015/02/16 13:41

page: / 86

 社の前に出ると、誰もいなかった。何という足の速さか。周囲を見渡すと、家の垣根の所にまた白い人影が隠れた。
 遠くからくすくすと声だけが聞こえる。
 走って後を追いながら、この笑い方に覚えがあると思った。
(そうだ……克己の笑い方だ)
 克己がいつもはにかんだ様にこんな笑い方をする。そういえば小柄だった。
 庭に入っても誰もいない。家も静まり返ったままだ。
「克己、帰ったのか?」
 声を掛けても返事も無かった。
 これはもしかして克己に担がれているのでは……と思い、咲也は家中捜し回った。
 しかし、帰った形跡は全く無い。第一、履物が無いではないか。
「おかしいな……」
 薄気味悪くなってきて、また元の縁側に戻って座った。何だったんだろう? 霊的なものだろうか? 咲也は呼ぶ事は出来ても見る事は出来ない筈だ。気のせいだったのだろうか?
 いや、違う。
(やっぱりいる!)
 後ろから視線を感じる! あんなに見て回っても誰も居なかったのに、振りかえらなくても障子の陰からこちらを見ているのがわかる。
 振り向かないでそのままいると、またくすくす……と笑い声が聞こえた。さぁっと鳥肌が立ってくるのがわかる。
 思い切って咲也は振り向いた。さっと相手が身を隠す。もう一度前を向く。また視線。
(何か腹立ってきたぞ……)
 今度は少しタイミングを外してフェイントをかけた。すると相手は一瞬隠れるのが遅れて少しだけ顔が見えた。
「およ?」
 咲也の緊張が一気にとけた。
 一瞬見えた大きな瞳は見間違えよう無い。
 咲也は溜め息をついて、悪戯っ子に声を掛けた。
「あのなぁ、冗談にも程があるぞ。脅かしやがって。本当に怖かったぞ」
 それでもまだ障子の向こうに隠れたままの人影は観念せず、出てこない。
「もうバレてるよ。かくれんぼは終わり。出てこいよ、克己」
(出てきたらお仕置きしてやる)
「違うもん」
 障子の向こうから声が返った来た。
「違うって、何が? 克己だろ?」
 そっと人影が出てきた。大きな瞳、あどけない面持ち。見慣れた親友の顔だった。
 しかしよく見ると、こんなに克己は色が白く無い。それに――――
「克己はまだ帰って無い。私は環(たまき)。ね、咲也さん、もっと遊ぼうよ」
 にっこり笑ったのは、おかっぱ頭に白っぽい着物の、胸元に微かな膨らみも感じられる少女だった。


 克己は深い絶望の淵に突き落とされた。
 口元に笑みを貼りつけ、瞬き一つせず目を見開いたまま、ベッドに横たわった雲母を見れば、体よりもむしろ心に取り返しのつかない傷を負っているのは明らかだ。
 彼女の変貌ぶりに、珠代は思わず顔をそむけた。哀れでとても見ていられない。
「体の方は全治2ヶ月って所ですな。しかし何か酷い精神的ショックを受けているらしく、運び込まれた時からずっとこのままなんです。幾ら目を閉じてもまたすぐにこうなってしまう。麻酔も効いている様だし、脳波を見れば完全に眠ってる状態なのですが……精神科医では無いから私には詳しくは言えませんが、反射的にこうなってしまう程、心の奥深い所まで強いショックを受けたんでしょう。余程怖い目に遭ったんですね」
 医師が静かに説明した。その目にも痛ましそうな光がある。それから彼は、ふと思い出した様に克己を見た。
「君は彼女がこんなになる原因に何か心当たりがあるのかね? さっき私に、人間以外の仕業だと思うかと訊いたね?」
 克己は頷いたが、医師に説明したものかどうか困った。物の怪の仕業である事は間違い無いだろうが、はたして他人は信じてくれるだろうか? 医師は超常現象を信じると言っていたが、この稀有な女占い師が京都の未来の秘密を覗いた為に何者かにマークされていた事や、この街に危機が迫っている事を……
「───僕にもわかりません」
「そうか……お知り合いがこんな事になられて辛いだろうが、私達も出来るだけの事はしよう。1日も早く元気になるようにね。大丈夫、心の傷は時間が癒してくれる」
「そうですね……」
 肩に置かれた医師の手の温かさと優しい言葉に、克己は知っている事を話さなかった後めたさを感じたが、話したところで所詮は理解されないだろう。そう思うとひどく孤独な気がした。
「あの……先生? 警察の人が、彼女がうわ言で誰か人の名前を呼んでるって……」
「ああ、鎮静剤を打つ前、何度も繰り返してました。その時は喋れるくらいだからもう少しましだと思ってたんだがね――――何て言ってたかな、えっと……確か……」
「さくや?」
「そう、その名前。警察は犯人か? なんて言ってたけど」
「違いますよ!」
 思わずむきになって声を荒げ、医師と珠代にしーっと制された。
「だろうね。恋人か誰か大切な人かい?」
「……まあ、そんなもんです」
「それを聞いて安心した。多少は正気が残っている証拠だ。ふむ」
 そう言って、医師は満足そうに頷いたが、克己の心は更に暗く陰っていった。
(一体、雲母さんは咲也に何を伝えたかったのだろう――――)
 雲母は霊に邪魔され、占いを出来ないばかりか一週間もまともに眠っていないといっていた。もしかして、家に引き返して来る前に故意にで無くとも眠りに落ち、無意識に夢占を行って、決定的な秘密を掴んだのではないか? それゆえこんな目に遭ったのでは……それは充分に考えられる。
 でもそこで何を見た?
 わからなかった未来が見えたのだろうか? 咲也に関して……彼女はこの街の危機に関して、咲也が鍵を握っていると言っていた。その意味がわかったのだろうか?
 しかし、もはや雲母はそれを語る事は無いだろう。彼女の心はおそらく、いまだ夢の中に閉じ込められたままなのだ。世にも恐ろしい悪夢の世界に。
(ふりだしに戻る――――か)
 命があっただけでも喜ばねばならないのだろうが、克己の混迷は深くなってゆくばかりだった。後は医師が言ったように、時が癒してくれるのを祈るしかないのか。
 病室を出る前、克己は雲母の枕元にお守りを置いた。いつも肌身離さず首にかけているお守り。もし、また恐ろしいものが彼女に襲いかかって来ても守ってくれるように。
「また来ます。早く良くなってね」
 狂気の世界に身を委ねた美女の頬にそっと手を触れ、克己はベッドに背を向け、そのまま振りかえらなかった。
 だから、笑みを湛えたままの雲母の目から、一筋の涙が流れた事には気がつかなかった。

page: / 86

 

 

HOME
まいるどタブレット小説 Ver1.13