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環~たまき~ - 四

2015/02/17 07:03

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 もし誰かが環の言葉を無視して襖を開け、中を覗いていたなら、同じ顔をした少年と少女が身動きもせずに並んで横たわっているだけの、奇妙で不思議な光景を目にして戸惑った事だろう。少年は既に息絶えているのだから仕方無いとして、少女もまた元の眠りの世界に戻ってしまっただけだったのか?
 いやそうでは無かった。
(何だかすごく気持ちいい……)
 克己は闇の中を漂っていた。
 突然苦痛から開放され、ふわふわした心地良さに包まれたかと思うと、周りで聞こえていた声が遠ざかり、何もわからなくなった。
 次に気がついたら車の中で、雲母を見舞った時に出会った医者に抱かれている自分の体と、それに取りすがって泣いている雲母、和馬、父の姿を真上から見下ろしていた。その瞬間、理解出来た。
(そうか、僕は死んだんだ……)
 母が悲しむだろうな……と思うと心が痛むが、自分が死んだ事には、不思議と悲しみは感じなかった。
 何か別の力が克己を捕らえ、緩やかに彼は上昇していった。“お迎えが来る”とよく言うが、これがそうなのかもしれない。
 霊視の出来る俊己や和馬も戦いで疲弊しきっていて、その上何とか克己を助けようと、心霊治療を試みて力を使い果たしてしまったためか、克己が見えていないらしい。彼等に密かに手を振り、克己は流れに身を任せた。
 そして闇に包まれた。
 糸の切れた風船の様克己は闇の中を漂っていた。振り仰ぐと、闇の彼方に温かい光が見え、克己は吸い寄せられるみたいにその光に向かった。
「待って!まだ行っては駄目!」
 その時、何処からか声……思念が飛んで来て、誰かに引き止められた。
「誰?」
 振り返って、克己は驚きの声を上げた。
「環……姉さん!」
「何驚いてるのよ。当然でしょ?今の私は実体では無いもの。あんたもね。魂だけよ」
「ああ、そうか。でも僕は死んだからわかるけど、環はどうして?」
「克己だってまだ完全に死んだ訳じゃないわ……それに私が来た訳じゃ無い。克己の方がここへ来たのよ。私はいつでもここにいるんですもの」
「え? どういう事?」
「……詳しい事は後。今は急ぐの。いいこと、決してあの光に近づいては駄目。必ず戻って来るからそのままそこにいるのよ」
「あっ、待って! 環ったら! どこ行くの?」
 返事は無かった。環はふっと消え、克己は再び一人ぼっちになった。
 遠い光は克己を誘う。心の底からあそこに行きたい……そう思った。だが環に言われた様に、克己は光が引っ張ろうとする力に何とか抵抗し続けた。
 その間、克己は知るよしも無かったが、体は自宅に戻り、環が突如起きだして大人達を驚かし、彼女は謎の言葉を残して克己の体と部屋にたて籠もったのだ。
「良かった。いい子ね、まだちゃんと居た」
 再び闇の中に環が戻って来た。
「環……」
 これは実体では無いとはいえ、始めて活き活きと動き、話す環を見て、克己は嬉しさと戸惑いを感じた。同じ日に生まれた姉弟なのに、互いに言葉を交わした事が無かった。今が始めて。それがこんな形だなんて……
 環も複雑な表情で自分と同じ顔を見つめ、そっと克己を抱きしめた。魂だけの存在の筈なのに、不思議と感触があって温かかった。
「何だかおかしな気分だよ」
「私もよ。克己とこうして向かい合ってお話するなんてね。嬉しいけど、本当は出来ればこんな所に来てほしくなかった……」
「ここは何処? まだあの世じゃ無いの?」
「違うわ。ここは物質的な世界とあの世の境よ。あの光の向こうが死者の国」
「ふうん……」
 ふと、克己は気がついた。自分の身体は死んだのだからこんな所にいるのはわかる。だが環は? 彼女は生きている。それに……
「ねえ、環? 環はずっとここにいたって言ってたよね?」
「ええ。生まれた時からね。よくわからないけど、きっと身体は克己と同じ世界に生まれたけど、魂は何かの弾みでここに置いてけぼりになっちゃったのね」
「……」
 環は当然の事の様に明るい口調で言ったが克己は酷く衝撃を受けた。言いようの無い悲しみと姉に対する憐憫……魂だけの存在だが涙が出るとすれば克己は泣いていたろう。
 自分が何も知らずぬくぬくと育っていた時環の魂は親の愛も知らずこんな寂しい所に有りつづけたのだ。死者でも生者でも無い存在として……何という悲しい定めなのか。
「ずっと、ずっと一人っきりで……?」
「……そんな顔しないで。私は別に悲しくなんかないのよ。お父さんやお母さんの声もちゃんと聞こえるし、外で何が起きてるかも知ってる。半分繋がってる克己を通して、私は外の世界を知る事が出来るの。克己の見たもの、触った物、感じた事……学校でどんな生活をしてるか、お友達がどんな人かも……全部、全部知ってるのよ。それにね、ここだって一人っきりってわけでも無いし。ほら、よく見てごらんなさい。他にも大勢いるわ。あれはたった今生死の境を彷徨っている人や、死んでも未練やしがらみから離れられずに、あの光の向こうに行けない人達の魂。それが最近あの入口が厄介な事になってるらしくて、ここも随分賑やかになったわ」
「厄介な事?」
「そう。本来ならお盆やお彼岸の決まった時しか、向こうからはこっちへ来られない筈なのに、今は続々と遠い昔に死んだ人や、魔界の化け物までこっちへ流れて来るの。そのかわり、こっちからは向こうへ行きにくくなってるらしくて、安らかに死んで成仏する筈の人まで死者の国に行けないのよ。ここも外と同じく異変が起きてるわけ」
「死んでも状況は変わらないのか……」
 以前、和馬も『最近死んだ者も成仏出来ずに京都に溜まっていってる』と言っていたし街に溢れる霊の数の余りの多さは克己も知っている。こんな所にまで麗夜の仕掛けた途方も無い計画は進んでいるのだ。
「まあ、あなたほどの霊格なら障壁も関係無くあの世にいけるでしょうけど……それはともかくとして、ねえ克己? あなた咲也さんをあのままにして行ってしまうつもり?」
「えっ……」
「この騒動をどうにかしろとか、この世の全ての人の為とか、そんな大それた事は言いはしないわ。でも咲也さんはどうするの? あのままじゃあまりにも可哀相じゃない。助けてあげてほしいの。克己だって命懸けでもって誓ったんじゃなかったの?」
 環にまっすぐに見つめられて克己は目を伏せた。何とか出来るものならしたい。しかしもう――――
「咲也さんが、魔界の王を受け入れる依童になれば、彼の身体は残っても、魂はここにだって来られないくらい、跡形も残さず消滅してしまうでしょう。そして、あの人は別人……いえ本当の魔物になってしまうのよ。そんなの私は嫌よ。克己だって嫌でしょ?」
「当たり前だろ! でも、僕にこれ以上どうしろと? 手下の化け物さえ倒せなかった僕に何が出来る? こんなに無様に殺されて、大事な人を救う事が出来なかった無力な僕に!」
 自分に対する怒りと絶望的な悔恨がこみ上げて来て、克己はつい環に当たった。あまりの激しい勢いに、環はびくりと身を縮めた。
「ごめん……環に怒ったんじゃ無いよ。自分に嫌気がさしてるんだ……」
 環を気使って萎んでしまった克己に、環は悲しい微笑みを浮かべて首を振った。
「可哀相な克己。あなたはもう充分戦ったわ。本当はもう何もかも忘れて、ゆっくり休ませてあげたい。でも……私は克己がどんなにあの人の事を思ってるか知ってる。霊になっても、あなたはあの人を忘れられずにここを彷徨うでしょう。永劫に、行く事も帰る事も出来ず――――」

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