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百鬼夜行~ひゃっきやぎょう~ - 九

2015/02/16 14:01

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 暦はすでに八月に入った。
 本拠地と思しいビルに突入を敢行して空振りをくらってからというもの、克己達は相手の居場所はおろか、手掛かりも掴めぬ状態で日増しに不安と苛立ちを覚え始めていた。
 しかし、幸いと言えるかどうかは不明だが相手方も動きを見せず、俊己の指示で霊能者が常に見張っているのが効果を上げたのか、妖火による火事も起こらない。京都の魔界化は相変わらず進行しているが、当初の勢いががここへ来て停滞期に入ったのか、目立った被害も報告されず、ほぼ平穏に時が過ぎた。だが、その平穏さこそ、嵐の前の前の静けさの様な気がして不気味に思われた。
 沈黙が破られたのは、克己が京都に帰って来てから丁度十日が経った日の事。
 その日も朝から真夏の太陽が照りつけ、昼近くには36度を越える猛暑となった。もともと、盆地の中にある京都は、冬は底冷えがして寒く、夏はフライパンの様に暑いが、腕を動かしただけでも汗が吹き出し、脳味噌までうだる様な熱気に、人々がすっかり無口になってしまった昼下がり。
 突然、それは起こった。
 午後二時三十分。克己と和馬は左京区岡崎の国立京都美術館にいた。
 魔性のはびこる近頃の京都。霊能者や除霊師は猫の手も借りたい程大忙しだ。俊己の元にもひっきりなしに除霊を要請する電話が鳴り響き、救いを求める者を放って置くわけにも行かず、克己や和馬も手伝い、こつこつ数をこなしている。
 勿論、元を絶たねば湧き水の様に次から次ぎに出て来てキリが無いし、麗夜の居所をつかみ、咲也を取り戻すという重要な役目があるものの、それも行き詰まっているのが現状。小さな手掛かりでも見つかれば……という思いが彼等を支えていた。
 別方面へ赴いた俊己と分かれて、二人は美術館の喋る絵を黙らせて来たところだ。正体は絵に憑いた悪霊だったが、大勢の人が怖がり、職員が失神する騒ぎになって除霊を依頼して来たのだ。思ったより低級な霊で、消すのに十分もかからなかった。
 時、まさに二人が建物から出て来た瞬間。
 どぉん!と大きな鈍い音が地響きをたてて響き渡った。
「何?!」
「爆発か?」
 驚いた二人はすぐさま音のした方へ走り出す。音の出所は近く、平安神宮の方だ。
 全力で通りを走り抜ける。大きな赤い鳥居の前は既に人だかりが出来始めていた。それをかき分け、広い境内に踏み入れた。
「ああっ!!」
 見るなり克己が叫んだ。
 炎。
 朱と白の荘厳な建造物は火を吹いていた。
「何て事だ……」
 和馬が思わず呟く。
 呆然と立ち尽くす二人をあざ笑う様に、炎は夏の空に高く立ち登ってゆく───
 俊己は大原にいた。
 彼も同じ音を聞いた。静かな山里に谺する無粋な破壊音を。そして見た。緑の山を背に赤い火柱が立つのを。
 同じ時刻、京都の至る所で爆発が起きた。極派による時限爆弾を使った同時テロ。
狙われたのはどこも皇室に縁のある場所で、有名かつ重要な史跡、寺社仏閣。幸いどこも全焼は免れ死傷者は出なかったものの文化財などに被害が出、なにより人々に深い精神的な傷跡を残した。
「ほら、見てごらん。馬鹿共が盛大に花火をやってる」
 卑下した様に鼻で笑い、冷たく彼は言った。
 京の街を一望する高みから、下界の騒ぎを見下ろす二つの美しい人影。言うまでも無く麗夜と咲也である。
 咲也は麗夜に肩を抱かれて人形の様に大人しく立っているだけで、語り掛けられてもぼうっとして焦点の定まらぬ目には、何の感慨も浮かばない。
 気にした様子も無く、麗夜は愛しそうに咲也の髪を撫でて語りかけ続けた。
「あれは化け物達の仕業では無いし、私が命令を下したわけでも無い。まあ少しは煽ったがね。世の中には、真理の為とか言いながら筋の通らぬ事をする愚か者がゴマンといてね……まったく、自分の思想を訴えるのに物を破壊したり暴力に訴えたところで、買うのは反感ばかりで何の進歩も無いのに」
 自分の事を棚に上げて矛盾した事を言っているのだが、つっこむ者はいない。咲也は呆としたままで、聞こえているかさえ怪しい。
「だが、そんな奴等がいるおかげで、昔から街や人間達を護って来た精神防衛圏は瓦解した。また、そうしたのは人間達自身。今、長きにわたって抑圧されて来たこの土地の真の住人達が目覚めるのを、止める力は無いのだよ。真に結構な事ではないかね?」
 珍しく興奮した様に、やや熱っぽく麗夜は語った。考えてみれば何もわからない咲也に難しい話をしても独り言を言っている様なものだ。またそうしたのは麗夜自身だった。
「まあいい。霊的な動きにばかり気を取られていて、まさか人間がこのような考え無しの行動を取るとは瀬奈俊己も思いもしなかったろう。ふふ、驚愕する顔が見える様だ」
 今度の言葉には、咲也は反応を示した。聞き慣れた響きを識別したのだ。だが混濁した意識では、意味までは思い出せない様だ。遠くを見たまま、眉を寄せて必死に何かを思い出そうとしている。
 咲也の唇が微かに動くのを麗夜は読んだ。
「そう、瀬奈。先日、俊己と会ったが息子を連れていた。君の親友だそうだね?」
 咲也の目に一瞬尋常な光が差した。
「……かつ……み……」
 掠れてはいるがしっかりした発音。
 麗夜は、ほう、という顔をした。咲也には自分の意思で喋れ無いほど、強い催眠術をかけてある。それを一瞬でも破るとは余程の感情が動いたのだ。
「そんなに仲がいいのか。見かけは小さな可愛らしい坊やだが、なるほど、君みたいな危っかしい霊媒を邪霊から守って来ただけあって、父親や剣和馬に負けず劣らずの使い手だよあれは。血は争えぬな。計算に入れていなかったが、さてどうしたものか……」
 麗夜は人形の様な咲也の表情にちらりと目を遣り、眼下に広がる京の街に向き直って、しばらく立ちのぼる黒煙を見ていた。
 やがてその顔に笑みが広がった。世にも美しい、世にも冷たい微笑が。

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