失踪~しっそう~ - 九
2015/02/16 13:45
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時間が経つにつれ、三人に焦りの色が濃くなってきた。
どのくらい探したろうか。
神社の近辺はもとより、行けそうな範囲はすべてあたった。同じ所も何度も見てまわり神経を集中して残っているかもしれない鬼の気を探り、最後には和馬の占いまでも駆使して咲也と環の行方を追ったが、一向にみつからなかった。
日が西に傾き、景色に金色の色彩を帯びだして風に涼しさが混じってきた頃、彼等は最初に合流した地点に戻ってきた。
時計を見ると6時少し前。和馬が式神がやられた事で体の異常を訴えたのが1時少し前だった。ともに無防備な霊媒の咲也と環が、結界を出てから既に5時間は経っている。今の京都の状況から考えればそれだけでも充分危険なのに、二人を連れ去ったのが、あの徳次をひと叩きで圧死させてしまった怪力の鬼だという事実は、克己達にもはや致命傷ともいえる精神的ダメージを与えた。
誰からともなく絶望の溜め息が漏れる。
「何てこった。これだけ探しても手掛かりも掴めずか……」
和馬の童顔にも疲れの色が濃い。
克己は口もきかずに俯いたままだ。時折、白く血の気が引くほど強く握りしめた拳に歯を立て、呪文の様に咲也の名を呟いていた。それが正気を保つ唯一の方法であるかの様に。手には既に血が滲んでいる。
「とりあえず家に帰ってみよう。もしかしたら無事に戻っているかもしれないし、知人に連絡を取って助力を頼んでみよう」
俊己の言葉に二人は意義を唱えなかった。気休めに過ぎないとわかっていても。
ああ、せめて無事かどうかさえわかれば。
(咲也、環……お願い無事でいて……)
程なく、彼等は神社の石段の下に着いた。
憔悴しきって帰って来た三人を、意外なものが待っていた。
石段の横の低い壁にもたれかかるように、白い小さな人影。
「あれは……!」
「環!!」
克己と俊己が同時に叫んだ。
力なく肢体を投げ出して、石壁にもたれた白地の着物の人物は、透き通るほど白い肌と市松人形のようなおかっぱ頭を除いて、克己そのものだ。目を閉じ夢見る様な安らかな顔。動きはしないが微かに規則正しく上下する胸から、呼吸しているのがわかる。紛れも無く眠り姫……環だった。
「いつの間に……」
この前は何度も通っているし、先程通った時もいなかったのに……
「環だけか? 咲也君は――――」
咲也の姿は無い。上だろうか?だが一緒だったなら、環一人をこんな所に残す筈は無い。
「おい! これを見ろ!」
和馬が指さした環のすぐ横の石段を見て、克己達はあっと声をあげた。
ざっくりと石段に刻み込まれた三筋の溝。それは一目で爪痕だとわかった。
そして、その回りに点々と散らばっている赤い色彩は――――─
血。それも新しい。まだ乾いてもいない血痕だった。
慌てて環を調べたが、どこにも傷は無い。
だとすればこれは……咲也の血?
克己の視界がぐらっと傾いた。
「う……そ」
頭の中に壁に貼り付いた無残な姿が浮かぶ。しかしその顔は徳次では無く、美しい少年の顔だった。
ふうっと気が遠くなって、体が宙に浮いているような感覚が克己を包んでいく。
「嫌……いやだ!!」
遠くで自分が叫んでいるのが聞こえる。
倒れる前に和馬の太い腕が支えた。
「おい、しっかりしろ!」
揺さぶられ、覚醒して現実に舞い戻り、克己は密かに和馬を恨んだ。気を失ってしまえばどんなに楽だったろう!
「落ちつけよ! まだ死んだとは限らないじゃないか。残ってる血は少ない。怪我はしてるかもしれないが、この程度じゃ致命傷とは断定出来ない」
「でも、でも……!」
「お前さんは頭のいい子だが、あの綺麗な坊やの事になると何も見えなくなるらしい」
取り乱した克己をふわりと受け流す様に、奇妙なくらい落ちついた様子で和馬はかがみ込み、克己の目の高さに合わせた。子供みたいな愛嬌のある顔が、静かな優しさを湛えて克己に語り掛けた。
「考えてみな。殺したんならわざわざ死体を持ってくほど奴等は賢くない。それは証明済みの筈だぜ?しかも同じ鬼だ」
「あ……」
克己はやや落ち着きを取り戻した。そう言われてみれば確かにそうだ。
「それに……占い師が言った事を覚えてるかい?」
「――――咲也が鍵だって……?」
「そう。彼女は未来を見てきたんだろ? 未来に咲也君はいたんだ。今死んだら彼女の言った事は全て嘘だって事になる。俺はそうは思わない。親父さんと俺は今日、敵の瘴鬼と戦った。あんなのがぞろぞろ出てくる様じゃ本当にこの街は魔界に変わりつつあるんだって実感したよ。当たってるんだよ、占いは。有難く無いけど、この際信じなきゃ仕方ない。だからお前も信じろよ。どんな目的かわからんが、連れ去られても生きてるんなら取り戻せるチャンスが残ってるってこった」
和馬は軽く克己の肩をぽんと叩いた。力は入っていなかったが、克己はすとんと膝を着いてしまった。叩かれてというより力が抜けて崩れたという感じだ。
地面に膝をつき、ぼうっとした様子で、
「……そうだよね。生きてるよね。咲也が死んだりするはず無いもんね」
そう自分に言い聞かせる様に、克己は何度も繰り返した。和馬は頷きながら痛ましそうな目で見ていたが、やがて俊己の方を向いて表情を引き締め、
「瀬奈さん、もう環ちゃんの中には何もいませんか?」
「うむ。確かめた。完全に出ていった」
「じゃあ、とりあえず彼女を上に。それから街中の味方になりそうな者に連絡を入れて下さい。南の方にも守りをつけて警戒する様に。あなたの頼みなら皆信じて従うでしょう。お願いします」
「君は?」
「俺は残った爪痕と血から咲也君の行方を追います。まだそう時間は経ってないし」
既に和馬はポケットから白い紙切れを出している。式神に使う形代だ。
「君一人でかね? 危険だ」
「大丈夫、無茶はしません」
力強く言って、和馬は人懐っこい顔で微笑んだ。しかしその目は覚悟を決めたような鋭い輝きを放っている。
「僕も一緒に行くよ!」
克己が立ちあがり和馬に縋りついたが、和馬は優しく肩を抱いてそれを遠ざけた。
「駄目だ。連れてけ無い。そんなに参ってるんじゃ、かえって足手まといだ」
「でも……」
「心配すんな。俺に任しとけ」
それっきり克己は相手にされなかった。
和馬は再び俊己に向き直り、
「環ちゃんは無事戻したのに、坊やだけ連れて行ったのが気になります。俺、考えたんですけど、もしかしたら最初は外へ出るためだけのつもりが、途中で敵の息がかかり、何か思惑があって咲也君を連れて行ったんじゃないかって。彼は二人といない特殊な体質だし、占い師の言葉も気になる……だから上手く追えば敵の本拠地を掴めるかもしれない」
自信ありげな言葉に俊己は頷き、もはや止めても無駄だと悟った。危険は必至だが任せる他ないようだ。
「くれぐれも気をつけろ。危険だと思ったら深追いはせず応援を呼べ」
「ええ」
和馬は返事した後、その場に安座し、呪力を集めて式神を呼び出す準備にかかった。
克己は心配そうにその様子を見ていたが、
「克己、ここからは和馬君に任せよう。さあ」
環を抱いた俊己に促されて、克己は仕方なく石段を登りはじめた。
邪魔だと言われようと、一緒に行きたい。だが悔しいが今は自分でもわかる程、精神的に参っていて、足手まといになるのは目に見えている。そうなれば、和馬や咲也を余計に危険な目に遭わせる事になるのが怖かった。
三分の一程上がって振り返ると、和馬は既に立ち上がって走り出そうとしていた。
その背中に克己は声を掛けた。
「気をつけて!」
巨人は振り向いてにっこり笑い、片手をあげて走って行った。小さな鬼を先導に。
(咲也、本当に無事でいて……和馬さん、お願い――――)
克己は祈りを込めて和馬の後姿が見えなくなるまでその場に佇んでいた。
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