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大いなるもの - 七

2015/02/17 10:13

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「見えたぞ!」
 鵺の背に乗った、克己、俊己、和馬の一行は、ついに麗夜のいる場所……京都駅ビルの手前まで辿りついた。
 当初、鵺が彼等を乗せるのを躊躇ったわけ……“裏切り者”である鵺を狙っての、妖魔、物の怪達の攻撃は苛烈を極めた。最強の妖獣鵺には蚊ほどのものでも無いにしても、背に乗っている人間達はたまったものではなかった。振り落とされないよう必死で掴りながら、秘術で応戦して、なんとかここまで耐えて来た。
「まさか……こんな所にいたなんて」
 闇に浮かぶ近代的な建造物に、思わず克己が呟いた。
「俺も知った時は驚いたよ。思いもよらなかったもんな。一番場違いで、考えてみれば一番相応しい場所……この建物は、市民や観光客には評判がいいが、手放しで祝福されてはいないからな。だてに、宗教家が反対を叫んでたわけじゃない。知られてはいないが、理由は景観だけじゃないんだぜ。京都の上空に張られた結界は、創建当時の東大寺西大寺の塔の高さ。それを近年、京都タワー、ホテルと、次々に破ってきた……開発整理で壊された地上と共に、もうぼろぼろだったところに、とどめを刺したのがこいつだ。高さだけじゃない、場所が悪いんだ」
 和馬が指差す先、巨大なガラスの棺……克己はこの建物にそんな印象を受けた。
 咲也と共に、東京から列車で帰って来た時着いたのはここだった。二十日ほど前の話。つい先日の事の様にも、もう何年も前の様にも感じられる。確か、観光がてら、百貨店の方や大階段、渡り廊下などを咲也に案内してまわったんだ。緑化された屋上にも行った。その時はどんな印象を抱いたろうか……考えてみて、その部分の記憶が曖昧なのに、克己は驚いた。すでに何度も行った後にしても、何の感慨も受けなかったはずは無い。
「あの時……もう始まってたんだ」
 克己がぽつりと洩らしたその時――――
(――――!!)
 鵺が叫んだ。
 一瞬、何が起きたのか三人にはわからなかった。叩き付けられる様な激しい衝撃が襲い次の瞬間には空中に放り出されていた。
「うわあぁっ!」
 数十メートルの高さから真っ逆さまに落下していくその僅かな時間、克己は自分でも不思議なほど冷静に状況を分析していた。鵺が見えない壁にぶつかったのだという事、これが致命的な状況である事……しかしわかったところでどうしようも無い。地面に叩き付けられる……克己は目を閉じた。
(ごめんね、咲也)
「摩虚羅!!」
 和馬の声を聞いた気がした。
 ……数秒後、克己は目を開けた。首が絞まって息が苦しいが、確かに生きている。
 三人は地面に叩き付けられる事はなかった。地面まであと数センチ、というところで宙に浮かんでいたのだ。息が苦しいのは襟首を掴まれてぶらさがっているからだ。
 そっと地上に降ろされ、上を見上げて、克己は命の恩人が誰なのかすぐに理解した。
 そこには奇妙なものが浮かんでいた。海月みたいな……というのが一番近いだろう。水色に透き通った何本もの手を持つ生き物。どこが頭で、どこが胴なのかわからない平べったい姿だが、金色の丸っこい三つの目と、ぽっかり開いた口が何となく愛くるしい。
「助かったよ、和馬くん」
 俊己が、克己より先に礼を言った。あの落下の間に、和馬が型代を放ったのだ。海月の化け物は和馬の式神だった。
「いや……ほっとする暇は無いみたいですよ。俺達はえらいところに落っこっちまったみたいだ」
 和馬の言葉通り、瀬奈親子は四方からは恐ろしいほどの殺気が迫ってくるのを感じた。
 降りたのは正面……七条烏丸側、駅ビルの中央の入り口の手前。いつもは列車の乗降者や観光客、買い物客、学生達でごったがえすこの場所に、今日は人間は見当たらない。だが、逆にいつにも増して賑やかであった。辺りを埋め尽くして、犇めき合う禍々しい異形の影達。蒼い顔の死霊、醜怪な妖怪、牛頭馬頭の鬼、動物霊、自然の精霊……この日を、この地が彼等の手に還る事を、彼等の世が来る事を祝福するために、そして麗夜がそれを実現するのを手助けするために、街中から集まって来ているのだ。
 彼等にとって、人間は邪魔者だった。いや邪魔なのは人間達だけでは無い。鵺もまた、さっき見えない壁にぶつかって撥ね飛ばされた衝撃で、克己達とは少し離れた場所に落ちていた。殺意と呪詛の混じった何万の視線が、三人と裏切り者の妖獣に集中する。
「まずいな……」
 動くこともままならない。次第に迫ってくる妖しの壁。こっちが動いた途端に襲いかかって来るのは目に見えている。
 ちら、と空を見上げて克己は焦った。虹色の雲の渦が広がって、空を覆い始めている。それは魔界の扉が開こうとしているのだと、本能的にわかる。
 もう時間が無い――――焦っているのは鵺も同じだった。
(コイツ等ヲ抜ケテモ、コノ先ニ魔法ノ防御壁ガアル。先刻、衝突シタ壁ダ。我ハソレニ穴ヲ開ケ、通レル様ニスル。ソレマデオマエ達ダケデ戦エルカ? 覚悟ハヨイカ)
 鵺が言った。声を潜めるかわりに直接三人の頭の中に声は響いた。人間達に気を遣っているのか、身動きがとれないのは鵺も同じだった。自分が動けば襲ってくるぞ、という意味の『覚悟はいいか』らしい。
「やるしかあるまい」
 渋い表情で俊己が言った。
「みたいだな」
 と、和馬。ちら、と克己に二人の視線が向けられる。合図を待っている目だ。
 克己に迷いは無かった。
「……覚悟はいいよ。鵺、たのむ」
 がああぁっ!
 克己の合図に、鵺が吠えた。周りで息を潜めていた妖魔達から、さざなみの様に沸き上がる声。
 行カセヌ……邪魔ハサセヌ……
 鵺が跳躍し、克己達の前に降りた。
(我ノ後ロニ続ケ。少シハ盾ノ替リニナル)
 そう言い残して、鵺は押し寄せて来た妖魔達をものともせず、まっすぐに入り口に向かって走り始めた。
「僕達も行くよ!」
「おう!」
 三人も鵺の後に続く。どおっと周りから一斉に妖しの群れが押し寄せてくる。和馬の式神、俊己の護符、克己のかわらけがそれぞれ宙を舞い、妖怪や鬼を薙ぎ払う。祝詞と真言に死霊は消滅した。もともとここにいるのは上にあがる事を許されなかった低級な魔物。一つ一つの存在は恐るるに足りない。しかし圧倒的な数は尽きる事を知らず、消されても払われても、またすかさず次が現われる。何度も何度も。唯一の救いは、鵺のいる方向だけはさすがに手薄な事くらいか。だからなんとか少しずつではあるが前に進む事は出来たが、苦戦である事にかわりはない。鵺のいる入り口までのたかだか二十メートルにも満たない距離が、どれほど遠く思われたことか。
 一方、鵺も苦戦していた。麗夜の張った見えない魔法の防御壁に辿り着いたものの、この最強の妖獣の魔気を持ってしても、なかなか破る事が出来ないのだ。克己達が追いついて来たとしても、この壁が破れなければ先へは進めず、ここで周りを囲まれる事になる。時間が無いのに……魔界の王が召喚されてしまったら、咲也は……。焦る鵺に、更に追い討ちをかけるように、雑魚どもが攻撃をしかけて来る。利きはしないがうっとおしい。集中出来ない。
 空はもう一面魔界の雲に覆われている。時折走る稲妻も、獣の咆哮にも似た風の音も、街の鼓動も、何もかもが時が満ちた事を告げている。魔界とこの現の世が繋がる時……

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まいるどタブレット小説 Ver1.13