HOME

 

失踪~しっそう~ - 十

2015/02/16 13:46

page: / 86

(星――――)
 目を開けると、真っ暗の空を背景に、無数の星が煌いていた。横を向いても下を見ても周り全てが果ての無い奥行きを見せる星の海だ。宇宙空間に浮かんでいるのだろうか?
(あれは牡牛座、乙女座、蠍座――――黄道12星座って言うんだよな。確か)
 そう思ってから、ふと彼は疑問に思った。
 そんなに星座に詳しかったか?
 もう少し意識がはっきりしてくると、その星座がおかしい事に気がついた。当然、素人でも何座なのか一目で判るだろう。なぜなら光の点を繋ぐラインと、ご丁寧にゆかりの獣や人物の絵が描いてあるのだから。その横にラテン語だろうが名前まで書いてあるのにはさすがに失笑した。こんな宇宙があってたまるか。マンガじゃあるまいし。それに浮かんでいる訳で無く、ちゃんと重力が働いてるし、自分が寝台か何かに横たわっているのだと理解出来た。
 起き上がろうとして、彼は悲鳴をあげた。胸の辺りから脳天に突き抜けるほどの激痛が走り抜けた。何とか身を起こしたが、思わず胸を押さえた手を見ると、べったりと赤く染まっていた。暗がりなのに不思議と見える。まるで彼自身が発光しているかのように。
 だが、痛みのせいで朦朧としていた意識が完全に覚醒し、今まで何が起きたのか、何故こんな傷を負ったのか、彼ははっきり思い出した。
「お目覚めかな?」
 ぞくりとするような声が響き、偽物の宇宙を誰かが渡ってくる。
 仄かに光る人影を見た瞬間、彼は、なんだここは天国だったのかと思った。自分は死んだのだと。微笑みを浮かべてやって来るのは紛れも無く天使ではないか。
(ああ、天国って地学の教科書みたいだったんだなぁ……)
 彼は変な感慨を抱いて、痛みも忘れてうっとりと天使に魅惚れた。よく自分も天使の様だなどと言われるが話にならない。ふわりと長い金髪、陶磁器の様に白くてきめ細かな肌、桃色の唇、緑の宝石を覆う風を起こしそうな長い睫毛……ふっと息を吹きかけただけで消え入りそうな繊細な雰囲気。何故か天使はダブルのスーツを着てネクタイを締めているが、それすらも気にならなかった。
「無理をしてはいけない。さあ、もう一度横になって……」
 天使の柔らかな腕がそっと体を支え、言われるままに彼は大人しく従った。横になると繊細な指が血に染まったシャツのボタンをはずし、傷ついた胸を露にした。
 傷口を見て、天使は少しだけ顔を顰めた。これも負けず劣らず美しく若々しい肌に、くっきり赤い三筋の溝が痛々しく走っている。
「痛かっただろう? 可哀相に……あの馬鹿な鬼め、酷い事を」
 白い指がつう、と傷口をなぞった。灼けつく痛みに、彼が目を細め唇を噛む。その表情を楽しむように、今度は胸にそっと唇を寄せ、天使は傷に舌を這わせた。
「あ……」
 抵抗も出来ず身を任せた口から、思わず喘ぎ声が漏れた。苦痛では無く官能の声。言いようも無く美しく淫らな空気がたちこめる。
 星々が見守る中、妖しい愛撫はたっぷりと2分は続いたろうか。天使が顔をあげると、痛みはすっかり消え、抱き起こされて胸を見ると傷一つ残っていなかった。あれは治療だったらしい。しかしなんという癒し方だろう。
 気恥ずかしさで顔が熱いのがわかる。
「これでいい。もう大丈夫だね?」
「はあ……」
 まだぼんやり余韻の残った頭で答える。
 だが、少なくとも自分は生きているんだという事くらいは彼にもわかった。死んだのなら怪我が痛む事も、治す必要もないだろう。
 彼はここまでの経緯を振り返ってみた。
 環と名乗る少女と共に、親友の言いつけを破って外へ出た。それが失敗だった。始めは普通にしていたが、人目につかぬ所へ行くや否や、彼女からそれは現れた。
 巨大な鬼が!
 鬼は言った。
「影鬼様に絵馬から開放してもらったのはいいが、あの宮司の結界に閉じ込められて難儀していた。人間の許しが必要だったが、お前が出してくれた。しかも主様が探しておられるという依童にこれ以上無い霊媒。見目も麗しいし、きっと気に入られるであろう」
 あろう事か徳次を殺した鬼だったのだ。鬼はこの少女に潜んで外へ出る機会を窺っていたのだという事、家で倒して見せた妖魔は実は式神といって、和馬の命令で彼や神社を守っていたのだという事、主様と呼ばれる、京都を魔界に変えようとしている誰かが、強い霊媒を必用としている事を告げた。そして彼と環をその主様に差し出すとも。
 意外にも礼儀を重んじるらしく、差し出す前に出してくれた返礼に一つだけ願いを聞いてやると言った。半信半疑だったが、とりあえずこの環だけでも、無事家に帰してやってくれと頼んだ。彼女に罪は無い。それに親友の双子の姉だというのは本当らしい。自分と違い両親や弟……家族がいるのだ。悲しませてはいけない……そう思って。
 本当に鬼は約束を守り、もう一度神社の前まで戻ってくれた。その時、彼は抵抗を試みたが、敢え無くやられて気を失ったのだ。
 だとすればここは――――
「ここは?」
「星座の間。この趣向は気にいらない?」
「そうじゃ無くて……」
 今までの顛末を考慮すれば、敵の本拠地にいるのだと考えるのが当然だ。だが目の前の美しくもたおやかな天使の如き人物が、鬼が言った“主様”だとは到底信じ難かった。
「こんなに素晴らしい依童をみつけて来たのは功績だが、せっかくの綺麗な体に傷つけおって。あの鬼はきつくお仕置きしておこう。可愛い人、君の名前は?」
「日下部咲也……」
「サクヤ? ほう、これは面白い」
 自分を見る視線に、何か恐ろしく狂ったものを感じて咲也は身構えた。
 こいつは天使なんかじゃ無い!
「日本神話中の木乃花咲耶姫……天孫邇邇藝命を魅了した麗しき乙女にして、不義の子を身篭ったと誤解を受けて、自ら産屋に火を放った山の神の娘。天孫が彼女を選んだ時から命は木の花のようにうつろいやすく、限りあるものになったとされる死の起源……その姫神と同じ響きの名を持つ美少年か。実に面白い。何やら運命的なものすら感じる」
「あんたは一体――――」
「失礼、私の名は麗夜。レイヤ・ヴァレット。手品師(マジシャン)だよ」
「魔術師(マジシャン)!」
 くらくらっと眩暈が襲った。ではこの目の前の人物こそ、京都を魔界に変えようとしている張本人ではないか!
 麗夜と名乗った魔術師の美しい手が伸び、身を固くした咲也の顎を捕らえた。逃れたかったが麻痺したように身体が動かない。狂気を湛えた緑の瞳に見据えられた時から、蛇に睨まれた蛙みたいに金縛りにあっていたのだ。これも妖しい魔術なのか。
「ふふ、震えているね? あの徐霊師や女占い師にいろいろ吹き込まれて知ってるらしい。……心配は無用だよ、可愛い坊や。君を傷つけたりはしないさ。君には素晴らしい大役を果たしてもらわなければならないからね」
 背中に頭がつくほど顎を持ち上げられ、仰け反った白い喉にすうっと指が走った。指はそのまま上に這い、咲也の形のいい唇をなぞった。ぞくぞくする感覚が咲也を捕らえる。
「本当に綺麗な顔をしてる。この美しさも、歳をとればやがては損なわれる。うつろう季節の木の花の様に……それが人の子の常」
 開いていたもう一方の手が、荒々しく咲也の体を抱き寄せた。天使の仮面を被った悪魔の美貌が間近に迫って、耳元に氷の冷たさで囁きかける。
「だが永遠の命と美を約束してあげる。私に協力してくれたら……私にというより、この街にだ。私はその手助けをしているに過ぎない。京都は長い眠りから覚め、本来あるべき姿に戻ろうとしている。今、新しく魔界から王を招き、闇の世界の都として再生しようとしているのだよ。だが、魔王がこの世界にとどまるには器が必要だ。幸い、君のような素晴らしい素質と、人を惑わす美を兼ね備えたふさわしい人物がみつかった。そして君は、その魔界の王を招く聖なる器となり、世界を新しい秩序で治める王になるのだよ。どうだね? 素晴らしいじゃないか」
(ああ……)
 雲母が言ったのはこの事だったのか! 咲也が鍵だと。
(克己――――!!)

page: / 86

 

 

HOME
まいるどタブレット小説 Ver1.13