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百鬼夜行~ひゃっきやぎょう~ - 五

2015/02/16 13:50

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「生きて帰って来たってことは、和馬さん、その化け物に勝ったんだ」
 驚きの表情で覗き込む克己に、和馬は苦笑いで首を振った。
「まさか。丸っぽ半日以上追いかけ回された挙句、トカゲの尻尾じゃないけど、腕一本くれてやって何とか逃げて来たのさ。さすがに口ん中に一番強力な護符を突っ込まれりゃ、化け物も少しは効いたみたいだったし」
「……」
 人懐っこい笑顔で和馬は言ったが、内容は凄まじい。もしかしたら化け物よりも何よりも、この男の底抜けのタフさこそが最も恐ろしいかもしれない。
「とにかく必死だった。麗夜……ってんだよ、化け物どもを操ってる兄ちゃん。あいつが言った事を、瀬奈さんに何としても伝えなくちゃと思ってね。だが……」
 和馬は急に悲しい顔をして、残った方の手でおとなしく話を聞いていた克己の頭を抱き寄せた。
「和馬さん?」
「すまない……任せろなんて言っておいて咲也君を連れて帰れなかった……」
「……」
 しばらくの間、克己は和馬の広い胸に頭をもたせ掛け、静かに目を閉じていたが、やがて身を起こすと、何かを決意したみたいな顔で和馬を見据えた。
「……咲也が生きてて、無事だって事がわかっただけでもすごく感謝してる。無事なら連れ去られても取り戻すチャンスがあるって、和馬さん言ったじゃない? 咲也は僕が取り返す。きっと取り戻せる機会がくるよ」
「克己坊……」
 きっぱり言った克己の真っ直ぐな視線に、昨日の夕方泣きじゃくっていた少年とは別人みたいな強い意思を感じて、和馬は少し驚いたが、溜め息をついた後、にっこり笑うと大きな手で克己の髪の毛を掻き回した。
「よし。えれえそ男の子。だが相手は並じゃ無いぞ」
「……わかってる。でもね、和馬さんには気の毒だけど、その手見たら何だか吹っ切れちゃった。人に任せて心配ばっかしてるより、命懸けでも何か行動してる方がいいって。昨日和馬さんが出てってから、僕、何度大声で叫んでわめき散らしたくなったか――――本当に気が狂いそうだった。でも人間ってそう簡単には狂ってしまえないものなんだよね。だから余計辛い。じゃあ、落ち着こうって思うんだけど、じっとして考え出すとだんだん悲観的になっていくんだ。悪い方にばかり考えちゃう。咲也が生きてるのかどうかもわから無くて心配で心配で、その他にも雲母さんの事や環の事、この街がどうなるのか、敵が何を考えてるか……気に懸かる事ばかりでいろんな事がごちゃごちゃになってわあーんって頭の中が混乱して……同じ色ばっかのパズルやってるみたいだった。一体何の絵が描いてあるのかさっぱりわからないパズル。感じ、何となくわかるでしょ?」
「ああ。海とか空だけのやつなんかがそう。こう、焦って一生懸命やってるんだけど、一向に形が見えてこないんだな。間違ってるかあってるのかもわからない。で、焦る」
 和馬の答えに満足し、克己は頷いて続けた。
「でね、今度の全ての事はそのパズルだとするじゃない? 何者かが京都を魔界に変えようとしていること、雲母さんの残した言葉の意味、咲也が鍵だってこと……いろいろなピースは揃ってるのに、最終的にどう繋ぎ合わせて考えればいいのかがわからなかった。雲母さんがいればもっと早く詳しくわかったんだろうけど……正体のわからないものは怖いよ。でも、どんなものかさえわかれば、対処の仕方も考えられる筈だ。さっきの和馬さんの話で、パズルに形が見えて来たんだ。少なくとも咲也に関してはね。だから先へ進める」
 力強く言う克己は、本人も言ったように吹っ切れたみたいな顔をしていた。もともと見た目よりはしっかりしている少年だ。唯一のウイーク・ポイントともいえる咲也の無事を確認した事で、理性が戻ったらしい。和馬は今まで克己はまだ子供で“瀬奈俊己の息子”としか認識していなかったが、自分を含めた大人と同じように――――いやそれ以上に、この京都に迫る異変について深く考えを巡らせていた事を知り、頼もしく見つめた。
「で、どんな形が見えたんだい?」
 静かに訊かれ、克己は少し間を置いてからまず思い出したようにポケットから雲母の残した御札を取り出し、これを渡された経緯、裏側に記された文字、その意味を説明した。
「杯の技……」
「おそらく、だよ。でもね、この言葉と咲也がどう繋がるのかがわからなかった。雲母さんは生死を懸けてもこの事を咲也に伝えようとしていたというのに――――だけど、和馬さんが敵の親分が言った事を教えてくれたからわかったよ。意味を教えてくれた奴が、召還とは“大いなるもの”を呼び出し、そのものと術者が一体化してその力を得る技だと言ってた。でも一体化するのは本人とは限らないんだよね。自分で無くとも、別の誰かを依童として使って、儀式で呼び出したものを乗り移らせて“大いなるもの”に仕立てるつもりだとすれば……別に咲也で無くても、他の同じ様に霊媒体質の者なら誰でも良かったんだろうけど……咲也はこれ以上無いくらいの適役だからね。あんなに強力な霊媒は探したって見つからない。それが丁度運悪くこの時期に京都にいたものだから見込まれてしまった。僕が連れて来たのがいけないんだけど……雲母さんが言った、咲也が鍵だってのはその事だったんだ。怖いのは、咲也のあの異常な程の霊媒能力には底が無いって事。普通、幾ら優れた霊媒だって、許容量を超えるエネルギーを受けたら体が耐えられない。でも咲也にはどんなに格が上の存在だってすっぽり入れるよ。悪魔だろうと魔王だろうと……その点、敵はすごくいい選択をしたと思う。どんなものを召還するつもりか知らないけど、京都が雲母さんの夢の通りになってしまうのだとしたら、いいものでは無さそうだね。しかも“大いなるもの”というくらいだから――――」
 和馬は真顔で頷きながら聞いていた。ここまでは大体、認識が一致しているらしい。
「でもどうしてわざわざ他人を使うんだろ? 自分自身が力を得るほうが好き勝手出来るんじゃないのかな?」
 克己が疑問を付け足すと、和馬はやや考えてから、
「案外、自分自身が『なった』方が勝手がきかないんじゃ無いか?確かに向き合っただけでも凄く出来るってわかったけど、高度な術を要するだろうし、危険度も高い。今、お前さんが言ったように許容量を超える力を受ければ死ぬ事だってあるし、上手く受け止められても召還したものを制しきれなくて、全ての意識を乗っ取られてしまったら元も子も無い。好き勝手どころか自分自身で無くなっちまうんだから。だが一歩引いて第三者に立って、上手く操れれば思いのままだし、他に思惑があるのかもな」
「……納得。悔しいけど、なかなか考えてはいるみたいだね」
「ああ。ブチブチに切れたアブねえ兄ちゃんにしちゃ、上出来だよな。けっ、面白くねえけどさ」
 和馬が悪態をついて眉を吊り上げた仕草が可笑しくて、克己はついくすくすと笑い声をたてた。
「おっ、笑ったな。少し元気になった?」
「うん……召還の儀式とやらを何時やるつもりか知らないけど、それまで咲也は無事だって事だよね?それがわかったから少し安心した。落ち込んでばかりもいられないし、絶対取り戻してやるって気合入ったから」
「前向き、前向き。その調子だ」
「それにしても……その麗夜って奴は父さんと知り合いだって言ったって?」
「ああ……他の霊能者が粛清されている中、最有力者が無事でいられた事は不思議に思ってたんだよ。まず最初に目をつけられてもおかしくないのに。お弟子さんの不幸も奴の思惑じゃなかったらしいし……知り合いなのだとすれば正体がわかるし。そうすりゃお前さんじゃ無いが、対処のしかたも考えつくかもしれん」
「……父さん、早く帰ってこないかな」
 それっきり、二人は突然黙り込んだ。
 大体の筋書きは掴めた。これからどうなるのか、どうすればいいのか……今度はそれを考えなくてはならない。
 だが表情は決して暗くは無い。今まで漠然ととまではいかなくとも、街全体の、いや現の世全ての危機などという、余りに大きな規模で物事を考えていたのが、ただ一つ、咲也を救い出すという的を絞って考えればよいのだ。
 克己にとっては何よりそれは行動を起こす張り合いになるし、咲也を取り戻す事で全ての事に解決の糸口が掴めるだろう。決してそれは容易い事ではないだろうが、命を懸けても戦う意味を克己は見出した。
 正直な話、幾ら生まれ故郷とはいえ、京都の街がどうなってしまおうと、そこに住む人々が困ろう、と知った事ではない。勿論気に懸かるし、何とかしなくてはと思うが、別に自分で無くてもいいのだし、今一つ乗りきれない。
 だから命を懸けて……とまでは思い切れなかった。だがただ一人、大切な親友のためだと思うとこれは話が変わってくる。
 咲也を救い出すこと……これは克己自身の戦いなのだから。和馬にしてみたところで、戦いに乗り出したのは家族の仇を討つという個人的な起因があってこそだ。
 余程の事が無い限り、赤の他人の為に、進んで自己犠牲的に命懸けで戦う者などいはしない。
 申し合わせたように、二人は外に目を遣り、しばらく黙って薄闇に沈んでゆく景色を眺めていた。
 夕暮れ時の静けさの中、時間だけが緩やかに過ぎて行くのを感じながら。
 そのまま二人は日が完全に暮れ、俊己が戻って来るまで一言も発せぬまま佇み続けた。
 それぞれの思いを胸に秘めて。

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まいるどタブレット小説 Ver1.13