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百鬼夜行~ひゃっきやぎょう~ - 三

2015/02/16 13:49

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 とりあえず珠代が手当てに当たったが、乱暴に巻きつけてあった血まみれの布切れを外して、生々しい傷口を確かめた瞬間、彼女は気こそ失わなかったが半狂乱の状態に陥った。
「救急車呼んだほうがええわよ!」
「平気ですよ。このくらいで死にゃしませんって。もう血も止まってるし」
 一方、本人はえらく落ち着いている。笑顔さえ浮かべて“ちょっとした虫刺され”みたいな余裕を見せているが、本当は相当辛いに違いない。ここへ辿りつくまでにかなりの血を失ったのか顔色は蒼白で、唇など紫色だ。
「こんな腕、喰ったって固くて旨くないだろうに。今頃、腹壊してるぞ。あいつ」
「強がり言って。もう知りませんから。お父さんが帰って来はったら何て言わはるか。無理するなって言われてたでしょ……」
 もうすっかり呆れ果てて珠代が呟いた。
「一体何があったんですか?」
 克己が訊くと、和馬は少し肩を竦め、
「ずばり、敵さんの本拠地に乗り込んで返り討ちにあって。で、このザマ」
 随分短くなってしまった包帯をぐるぐる巻かれた自分の腕を見て溜息をついた。
「……一人で? どうして応援を呼ばなかったんですか?」
「俺も最初はそのつもりだった。確かめるだけのつもりがバッチリ大当たりだったもんでな。それに……」
 和馬は急に真顔になって、まっすぐに自分を見つめる克己の大きな瞳から視線を逸らす様に俯いた。昨夜も一睡もせず、連れ去られた咲也の身を案じて焦燥に駆られていたのだろう。幼い顔は疲労にくすみ、目が泣きはらしたように赤い。心配の元を無くしてやれなかった事になんとなく後ろめたさを感じて、和馬は胸が痛んだ。
「……あの残された爪痕の主の気を追いかけて行ったら何処へ着いたと思う? 驚くぜ、街のど真ん中だ。四条烏丸の近く。めちゃくちゃ人通りの多い所じゃねえか。まさかこんな所に隠れたとは到底思えなかったが、確かに臭いや気配はそこで途切れたんだ。注意して見てると、一箇所だけ気味が悪いくらいに何の気も出てない、街にぽっかり開いた穴みたいな場所があったんだ」
「街に開いた穴?」
「物の喩えだよ。どんな物でも強弱はあるにせよ、存在する限りは気を放出している。草や木、石ころだって何らかのエネルギーを出してるのを感じないか? 人が集まって、生きて動いてる街の中なんか、特にいろんな気が充満してる。人だけじゃ無い。建物や車、道だって全ての物が気を放出しているからな。でも、それが全く感じられない場所があった。ブラックホールみたいに。見た目は普通のオフィスビルなんだがな。怪しいと思って確かめようとしたら、いきなり霊や物の怪が邪魔しにかかって来た。ますます怪しいってもんだろ? まあ、低級な霊やそう力の強くない化け物ばかりだったから何とか消せそうだったけど土曜の夕方もあって余りにギャラリーが多すぎる。巻き添いを出したらえらいことだから、こっちも迂闊に手を出せなくて。仕方が無いから夜中まで待つ事にしたんだ」
 和馬はゆっくりと昨日の夕方からの経緯を話しはじめた。

 偵察に式神を飛ばし、和馬は人通りが無くなる時間まで辛抱強く待った。その間に俊己に応援を頼む事も考えたが、女子供ばかりをまた危険に晒す事になるし、少しでも証拠を掴んでからでもよかろうと判断したのだ。
 待っている間にも、和馬はいろいろな事に気がついた。街は何事も無いみたいに、いつも通りの賑やかで平穏な営みを続けている様だが、道行く人々に混じって妖しい影や妖怪、成仏できずに彷徨う霊達が通常の何倍も多く見られる。何処からとも無く流れてくる音楽には耳を覆いたくなる死者達の呪詛が篭り、アスファルトやタイルに覆われた地面からは蔓草のように伸びては足に絡み付く手が無数に生えて、あちこちで通行人を転ばせている。今し方まで仲良く身を寄せ合って愛を囁いていた恋人達が、突然口汚く罵り合いをはじめたのは、二人の後ろに憑いた悪戯な霊のせい。他にも、影喰らいの仕業か灯りの下に立っても影の無い女性や、真夏の暑さの中で、凍死寸前の寒さに震えるサラリーマン風の男性など、異常は幾らでもみつける事ができた。
(こいつはかなり進んでるな――――)
 ほとんどの者は異常に気づいても原因はわかっていないが、霊視の効く目で改めてじっくり見ると、京の街はすでに魔界に変貌しようとしているのがよくわかる。
 偵察に出した式神は帰って来なかった。呪詛返しはなかったものの、完全に存在が感じられない。ビルに入った瞬間、消えてまったようだ。ますます怪しくなってきた。こうなればやはり、自ら乗り込むしかない。
 問題の場所の向かいのビルの屋上の闇に潜み、和馬は時を待っていた。銀行やオフィスの多いこの界隈は夜中はめっきり人通りが少なくなる。最終バスの時間を過ぎ、地下鉄も無くなると歩く人は全くと言っていい程見当たらない。その時こそ、邪魔をする化け物達を人目を気にする事無く蹴散らし、乗り込んで確かめてやると逸る気持ちを押さえ、気を殺してじっと待った。
 深夜零時。そろそろいいだろうと、精神を統一し、気合を入れて和馬が乗り出そうとした時だった。
 他のビルの明かりも消えて静寂に包まれた中で、和馬が言った“穴”の部分、例のビルの最上階の一室に灯りが灯った。和馬のいるビルの方が少し低いため、屋上と真向かいに当たる部屋。和馬は慌てて身を隠し、そっと様子をうかがった。
 道を挟んではいるものの真正面の部屋だ。それに視力には自信がある。カーテンもブラインドも無く中の様子がよく見える。オフィスの様に机が並んでいるでもなく、広い部屋にはほとんど何も無い。だが総ガラスの窓辺に人影が二つ、こちらを向いて立っていた。
「あれは――――!」
 並んで立った二つの美しいシルエットは、どちらも髪が長く、はじめは女性かと思ったが、広い肩幅、凹凸の無い体つき、長身から見てどちらも男性らしい。その内の、僅かに背が低く髪の短い方の影に見覚えがあった。
 ほっそりした均整のとれた体躯、肩ほどの髪……逆光で顔は見えないが、まさしく、鬼に連れ去られた咲也少年ではないか。彼はもう一人の腰までありそうな長い髪の人物に肩を抱かれ、静かに立っている。
 そのもう一人が何か囁く様に咲也の耳元に顔を寄せ、真っ直ぐ和馬の方を指差した。
(気付かれたか?!)
 大きな体を窮屈に縮めて、和馬は更に奥へ身を隠した。
 焦る和馬の心理に合わせるように、部屋の灯りがふっ、と消え、替わりに先刻は逆光で見えなかった人物の顔だけが、突然前方からスポットライトを浴びた様に明るくなり、表情までわかる程はっきり見えた。
「ああ……」
 思わず和馬の口から感嘆の呻きが漏れた。
 闇に白く浮かび上がる二つの顔の美しさ。それは距離すら感じさせず、天空から舞い降りてきた天使のように、神秘的で清麗な印象をもって和馬を魅了した。
 一人はやはり咲也、もう一人はもう少し年上らしい金髪の外国人。和馬は知る由も無かったが、彼こそ京都を魔界に変えようとしている魔導師、麗夜である。
 二人の麗人は何の表情も示さず、美しい人形の様に和馬の方を静かに見ていた。
 和馬と闇に浮かぶ二つの美貌の、道を挟んでの妖しく緊迫したにらめっこはどのくらい続いただろうか。
 不意に、顔が笑った。金髪の青年の顔が。
 それは背筋が凍るような冷たい微笑だった。その妖しい笑みを見た途端に喪失しかけていた戦意が蘇ってきた。あれは敵だ、と。
「おい……」
 和馬は大通りを隔てた距離も考えずに声を掛けたが、美しい二つの顔はゆっくりと向きを変え、完全に後姿になると、すうっ、と闇に紛れた。誘うように。
 しばらくの間、和馬はどうしたものか迷ったが、誘いに乗る事にした。どのみち乗り込むつもりだったし、咲也の姿を確かめた以上、放っておくことは出来なかった。
 一旦行動を開始すると、向かいの建物に辿り着くまでそう時間はかから無かった。
「……」
 戦意剥き出しの気を隠さなくても、夕方の様に何も邪魔をしてこない。静まりかえった空気はいっそう不気味でさえあった。
 シャッターの閉まったビルの入り口はひとりでに開いた。一階は証券会社のオフィスで、夜勤の者やガードマンくらいいそうなものだが、人の気配は全く無い。静寂だけが支配する暗い内部を、和馬は真っ直ぐに階段の方へ進んだ。
「一番上の階だったな……いい運動だぜ」
 呟いた和馬の横で、チン、と涼しげな音がして明かりが漏れた。エレベーターのドアが開いたのだ。八階のランプが灯っている。
「乗れってか? ご丁寧な事」
 敵地で閉ざされた空間に入るのは危険だと躊躇うのが普通だが、神経が太いというか楽観的というか、和馬は誘いを素直に受けることにした。
 さすがにドアが閉まって、エレベーターが動き出すと、途中で止まったりしないだろうかと僅かに不安になったが、何事も無く8階に着いた。
 ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、ドアが開いた瞬間、どっと鳥肌が立つ程の霊気が流れ込んできた。ドアの前の廊下は霊や物の怪で溢れている。
 妖しい視線が一斉に和馬に集中した。
「待ち伏せか?!」
 和馬は身構えて臨戦体制に入ったが、化け物達は何も仕掛けて来ず、慇懃ともいえる態度ですうっと二手に分かれて道を開けた。
「あれま……」
 少々拍子抜けしたが、和馬は何も言わずに廊下を進んだ。ちゃんと背後からの不意打ちには気を配りながら。
 廊下は照明一つ無いが、足元に点々と小さな光る物が整然と並び、突き当たりのドアまで続いている。道標なのだろう。よく見ると規則正しく点滅して蛍みたいにぼんやりと光るのは全て小さな下級の鬼だった。醜悪な姿だが、呼吸して腹が膨らむのに合わせて発する光は幽玄ささえ感じさせ、和馬は美しいと思った。まあ、そんなものが無くても修行を積んだ和馬には暗闇も昼間と変わらず見て取れるのだが、例の如く素直に従った。
 オフィスビルに相応しからぬ重厚で古風な装飾を施したドアの前で、和馬はしばらく立ちつくした。
 正念場だ。十中八九ここが敵の本拠地。
 ゆっくりと深呼吸して覚悟を決め、ノブに手を掛けた。回そうとすると、他の扉と同様、ひとりでに開いた。
「……いい加減にしろよな」
 緊張が緩んで、思わず溜め息をついた和馬だが、1秒と経たず気を取り直した。
 室内は思ったよりずっと広かった。それに豪華だ。外から見たのとは別の部屋らしい。冷房のよく効いた三十畳ほどの広さの部屋にはそのへんには疎い和馬が見ても高価とわかる絨毯が敷きつめられ、異国風の調度品が絶妙に配置されている。くらっとする程の芳香は東洋的な薫り……香が焚かれているのだ。照明は部屋の四隅に置かれた奇怪な形の燭台に乗った蝋燭だけ。
 部屋は無人だった。書物の置かれた窓際のデスクの横にもう一つドアがある。
「あそこか?」
 和馬が歩み寄る前に、またも扉が開いた。
 だが今度は向こうからやって来るためだ。

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まいるどタブレット小説 Ver1.13