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百鬼夜行~ひゃっきやぎょう~ - 六

2015/02/16 13:53

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 夜。
 一日の半分を占めるこの闇の支配する時間を人は太古の時代から恐れて来た。
まだ灯りも無く、夜活動する獣達に襲われる危険のあった大昔なら仕方は無いが、電気が発明され完全な闇などもはや僅かとなった現代でさえ、夜一人きりでいると妙に人恋しくなったり、訳も無く不安に駆られたりしないだろうか。小さな物音でも酷く敏感に驚いたり怯えたりしないだろうか。皆が眠りについているのに自分一人だけ眠れなくて焦った事は? 陽光降り注ぐ昼間は何の理由も無くても外へ出たくなるのに、闇夜にすすんで外出したくならないのは何故?
 それはライフスタイルの変わった現代でも、種族的、根源的な夜に対する畏怖心は本能として受け継がれて来ているからだろう。
 夜の持つ意味を完全に忘れてはいないのだ。
 すなわち――――人間以外の存在、死者、物の怪……魔性の蠢く時間である事を。
 夜が来ると人は何かしらの形で身を寄せ合って建物の中に身を隠す。家族の待つ我家、酒場、一人暮らしの者でも、電話もあれば手を伸ばせば照明が点き、隔てられ交流が無くとも隣人達のいる部屋に。だだ眠る為、遊ぶ為、雨風や暑さ寒さをしのぐ為だけでは無い。建物というものは簡単な結界の役目を果たし、妖しのもの達の進入を防ぐ。本能的にそれを知っているから人々は建物に隠れるのだが、昔の様に方角や家相、縁起に拘らなくなった現代の建築物にあまり効果は期待出来ない。それどころか、奇抜な形やおもいきり鬼門に向いていて、わざわざ霊を呼び込む造りの建築物もあるし、沢山の異なった人間の生体エネルギーが集まるマンションや団地は恰好の目標になる。若く強いエネルギーの集合する学校なども彼等の好む場所だ。また、古い建物であっても、因縁や地縛霊が力を増して住人を悩ます結果となっているが――――。
 それでも隠れずにはいられない。夜の闇から逃れるために……
 古都京都の夜。
 歴史的佇まいを残すこの街は、日本各地はもとより外国人の間でも観光地として人気が高く、訪れる者に“日本人の心のふるさと”と言わせるに相応しく上品できらびやかな表情を見せているが、夜が訪れると俄に様子が一変し、もう一つの素顔を晒け出す。
 観光客達はこの街がかつて国の中心として長く栄えた事を実感するだろう。歴史の深い街だと。決して間違いでは無いが、それは表側の美しく良い部分だけ……丹念に化粧を施した栄華の跡を見ているのであり、栄華の裏には数々の悲劇やおどろおどろしい惨劇があり、歴史が深ければ深いほど、人々の怨念や呪詛もまた、積もり積もっているのだという事を忘れてはならない。過去の死者達にとっても、ここは古都なのだという事を……
 夜、一人で歩いてみれば実感出来る筈だ。
 昼間は大勢の人で賑わう名跡史跡、観光スポットは夜になると訪れる者も無く、静寂に包まれて怖い気さえする。何でも無い路地にひっそり建った石碑は、昔ここで悲劇があった事を伝え、辻に立って耳を澄ませれば、妖しの囁きが聞こえて来る様だ。木立の合間に浮かび上がるのは呪いを込め縫い付けられた人型……気づかずに見過ごしていた暗い魔都の素顔に出会えるかもしれない。
 連続放火に始まり、数々の怪異な事件が続発する魔界化の進んだ近頃の京都の街の夜は、平時に増して妖気渦巻く闇の世界と化した。
 夏の夜は涼を求めて漫ろ歩く人の多い、鴨川の河原も閑散として人影も無い。中心部の繁華街でさえ人出も疎らで、いつもは夜遅くまで遊び歩く若者達も異様な雰囲気を感じるのか、早々に切り上げて大人しく帰って行く。郊外に行くほど顕著になり、残らず家に籠もってそれこそ本当に人っ子一人、犬一匹見当たらない状態だ。
 だが街は賑やかだ。
 妖しい闇の住人達が跳粱し、夜の目覚めに喜びの歌を唄っている。
 開発に押されて住処を失い、消えようとしていた自然霊、精霊、封じ込められ永い眠りについていた妖怪達、遠い昔に死してあの世にも行けず戻るも叶わず漂っていた死霊、新たな時代と共に生まれた新種のつくも神、物の怪、人の心の歪みや肥大化した欲望が凝り固まって出来た色霊、欲霊等々……京都だけで無く、近隣の地方からも続々と妖しのもの達は吸い寄せられる様に集い、日増しにそう広く無い盆地の中に溜まっていく一方。自然の砦を築いていた四方の山々も切り開かれて、昔程は堅牢に街を囲んではおらず街に張り巡らされて来た様々な防御、封印はもはや彼等を止められぬ。数多い寺社仏格の神力も妨げにはならぬ様だ。
 彼等にその気が無くても、強い霊的エネルギーは敏感な人や物に支障を与えるし、大半の自然霊や妖怪は、我物顔でのさばって自分達を追い払い、封じ込め、忘却の彼方に捨て去ってしまった人間に対して、決して好意的では無い。隙あらば復讐にかかり、真の主権は我等にありと主張する様に街を横行しては人に何かしらの害を与える。
 今夜は熱帯夜。
 高湿の暑さだけでは無く、何か不快な寝苦しさを感じて人々が身を捩る、そんな夜。
 冴々と輝く夏の星座の下、京都の街は仄かな光に包まれていた。
 通りを行く無数の鬼火……百鬼夜行の夜が更けてゆく。


 単独で街の様子を見て回り、戦力を集めるのに奔走していた俊己は、帰宅して始めて和馬から報告を受け、咲也の安否、敵の思惑、恐るべき実力を知った。
 そして、思いもよらなかったその正体も。
「麗夜? 本当に麗夜と言ったのか?!」
「はい、確かに。俺と同くらいかもう少し若い感じの、金髪の白人で、女と見間違う程の美貌の持ち主です……やはりお知り合いですか?」
「……」
 俊己は即答しなかったが、表情は動揺を隠せない。
 和馬は感触を掴み更に切り込んだ。
「奴は貴方を友人だと言ってました。俺の親父の事も……協力を拒んだからって殺しておいて、片腹痛いですけどね。それにどう見たって二十歳前後ってところで、瀬奈さんの友人って感じにはとても……でも、一番障害になりそうな貴方が、他の能力者の様に消されなかったのは、奴が瀬奈家を敵に回したくなかったからだとすれば納得がいく。お弟子さんの不幸も、化け物達の独断らしいし……瀬奈さん、麗夜とは一体何者です?」
 俊己は目を閉じて低い息を洩らし、何度も首を振った。
「麗夜───今頃こんな形で現れるとは。もう記憶からも遠くなっておった……」
「……」
「レイヤ・ヴァレット。英国人の魔女を母に、日本人の霊能者を父に持つ混血児。
日本名は麗夜……天穂(あまほ)麗夜」
「天穂って……」
 克己がはっとした様に俊己の方を向いた。
「どうした? 克己坊」
「母さんの旧姓が天穂なの。結構変わった姓だから、そういないよね。偶然……」
 克己は言いかけて、父の表情から後を付け足した。
「……じゃ無いみたいだね」
 俊己は一つ頷くと、周囲を見渡して珠代がいないのを確かめると、囁く様に言った。
「そう。半分同じ血が流れている。早い話が、麗夜は珠代の異母兄にあたる。
 克己お前の叔父というわけだ」
「ええっ!?」
「……克己は知っておろうが、母さんはわしの師匠の娘。今は途絶えてしまったが、天穂もこの瀬奈家同様、代々神に仕える門家で、義父……師もまた素晴らしい使い手だった。和馬君の父上、義恭氏も彼の元で修行をしておられたのだ。そこでわしらは麗夜に出会った」
 俊己は静かに目を閉じ、記憶を辿った。

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