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鵺~ぬえ~ - 三

2015/02/16 14:07

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 背筋が凍る様な冷たい声。
 咲也が驚いた様に振り返った。途端に霊達の攻撃もぴたりと止んだ。
 救いの声の主は何時の間に現れたのか、咲也の背後に立っていた。鵺の背の上に。
「ああ……」
 克己の口から感嘆の声が洩れた。
 なんて綺麗な人なのだろう……上空に浮かぶ妖獣の背の上、かなりの距離がある。だが遠目にさえわかる、咲也をさえ凌駕する程の美貌、繊細優美な長身。
「あいつは!」
 俊己と和馬が口を揃えた。
「麗夜!!」
「ええっ?!」
 克己はもう一度鵺の上の聖天使の様な人物を見た。
「あれが……」
(あれが麗夜。京都を魔界に変えようとしている張本人……僕の叔父さん?)
「……本物ですかね?」
「……」
 麗夜は足元の三人の動揺などお構いなしに愛おしそうに咲也の両肩に手を置くと、耳元に顔を寄せた。咲也が麗夜を見つめ返して頷いたところを見ると、何か囁いた様だ。
 空中の二人の麗人のやり取りを見上げる三人には、その内容は勿論聞こえなかったが、警戒して姿勢を正した。
 突然、ふわりと美しい影が宙に舞った。
「!」
 三人が反応する間も無く、次の瞬間には麗夜は地上に降り立っていた。
 克己の目の前に。
 間近で見るその姿に、一瞬克己は目の前の人物の素性など忘れ、更めて息を呑んだ。月の光が人の形を取って降りてきた様だった。
(惑わされるな。こいつは敵なんだ)
 慌てて思いなおしたものの、その敵は息も掛かるほどの目の前にいる!
 これには俊己と和馬も迂闊に動けず、息を殺して麗夜の動向を窺う他ない。
 白い手がゆっくりと克己の方へ伸びた。
 動く事も出来ずに身を固くした克己の頬に麗夜はそっと触れ、
「母親似だな」
 と一言呟き、微笑みを浮かべた顔は驚くほど穏やかだった。
「……」
 虚をつかれ、唖然とした克己に麗夜はなおも視線を注ぎ、他の二人には見向きもしない。
 隙と見て和馬が飛び掛かった。しかし、
「?!」
 微笑みを浮かべたままの残像を残して麗夜の姿は消え、逞しい隻腕は空を切った。
「残念」
 嘲笑めいた声は上から降ってきた。
 青を灯した信号機の上に麗夜はいた。
 バランスを崩す事も無く慇懃に会釈し、また跳躍すると、高らかな笑い声を残して身軽に家々の屋根を飛び繋ぎ南へ移動して行く。『追ってこい』と言わんばかりだ。
「待て!」
 慌てて追いかけようとしたが、その時ふと和馬が気がつき、空を仰いで叫んだ。
「見ろ! 咲也君と鵺が!」
 麗夜の出現に気を取られている間に、咲也を乗せた鵺は悠々と北の空に遠ざかって行く。
「麗夜は咲也君を逃がすための陽動か?!」
 何としても咲也を取り戻したい。だが元凶の麗夜もそこにいる……かなり迷ったが俊己は決断を下した。
「……とりあえず咲也君が先だ。鵺を追うぞ!」
「はい!」
 克己達にも異存は無かった。
 麗夜を無視する形で反対方向に駆けだした三人だったが、それは許して貰えなかった。
 びゅっ。
「うっ!」
 何かが風を切って伸びて来たかと思うと、俊己の胴に巻きついた。それは金色に輝く一筋の光の帯だった。
「父さん!」
 光は幾重にも纏わり付き、獲物を絡め捕る蜘蛛の糸の様に完全に俊己を束縛した。先は見えないが、麗夜の去った方角から。
 俊己は懸命に身を捩ったが緩みもしない。克己と和馬も外そう手をのばしたが、触れた途端、電流でも流れているかの様に青い火花が散って、衝撃に思わず手を引いた。
「くそっ!」
 光の縛めはびくともしないが、首を絞めたり、苦痛を伴うほど強く締め上げぬところをみると単に動きを封じるためなのか。一向に麗夜が仕掛けて来る気配も無い。俊己だけを狙い、後の二人は無事というのも気になる。
「……わしを行かせたくないとみえる」
 そうこうするうち、鵺は遠ざかって行く。だが俊己を放っては行けない。もはや鵺を追うのを断念しかけた克己に、
「克己、和馬君と二人で先に咲也君を追え。わしも何とかしてすぐ後を追う」
 捕らわれの俊己が妙に落ちついて言った。
「でも親玉がいるんだよ! 一人じゃ……」
「本物とは限らん。それより二手に別れれば手薄になる。そこが奴の狙いかもしれん。
 だが罠であれ、咲也君は本物だ。もう何時会えるかわからんのだ。この機を逃すな」
「……」
「時間が無い、良く聞け。よいか、克己。確かに鵺は強く恐ろしいが、考えようによっては相手が鵺なのは幸運だったかもしれん。わが瀬奈家は鵺に分がいいのだ。かつて奴を封じ込めたのは他の誰でも無い、お前のご先祖様。御守りを渡してあるだろう? あれの中身はかつて鵺の魔力を封じた破魔弓の矢尻と言われている物。今それを受け継いだのはお前で、同じ血が流れているのだから。正にこの世には偶然は無いのだ。これも定められた宿命ならば、今はお前の番だ」
 俊己は厳しい表情で息子の顔を見つめた。
 克己も心を決めた。
「……はい!」
「和馬君は鵺の力を骨身にしみてわかっとるだろうが、街に満ちている妖気を吸収して更に力を増しているぞ。それから――――」
 最後に、俊己が何事か和馬に耳打ちし、
「無理はするな!」
「父さんこそ、どうか無事で!」
 克己と和馬が懸念を抱きながらも俊己を残して走っていく。
 ここが運命の分かれ道だった。

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