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夕立~ゆうだち~ - 七

2015/02/16 08:15

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 咲也は困惑していた。
 珠代の恐ろしい言葉の後、一人で外へ行った克己の身を案じながらもどうする事も出来ずやきもきしているところへ、もの凄い形相でやって来た親友の父俊己に、珠代共々いきなり小荷物のように小脇に抱え上げられて奥の部屋へ連れて行かれ、咲也だけ縄の張られた一角に放りこまれた。そして、
「いいと言うまで絶対出てはならんぞ!」
 そう言い渡されたのだ。
 逆らい難いものを感じて、おとなしく頷き言われるままにじっとしていた。それはたかだか十数分の事であったろうが、咲也には酷く長い時間に思われた。一体、何があった?克己はまだ戻って来ないのか?
 珠代は既に我に返って、夫となにやら話し合っている。囁くような小さな声なので内容はわからないが、それが一層、咲也を苛立たせた。人一人死んだかもしれない程とんでもない事が起こっている中で、自分一人だけ蚊帳の外に扱われている気がしたのだ。
 咲也の考えを察したのか、俊己がつかつかと歩み寄ってきて、
「来て早々、こんな事になって申し訳無いが、もう少しだけ我慢しなさい」
 そう優しく言われたものだから、咲也は文句を言うにも言えず、また黙って頷くしかなかった。
 やがて珠代は部屋を出てどこかに行ってしまい、咲也は俊己と二人っきりになったが、親友の父親は黙して何も語らない。仕方なく顔を伏せ、膝を抱えて縄の中でおとなしくしていたが、廊下で人の足音が聞こえて、はっとして顔を上げた。克己か?
 正解だった。
 荒々しく襖が開くのと同時に、克己の叫ぶような声が響く。
「咲也!!」
 血相を変えて飛び込んできた小さな体を父親が受け止めた。
「落ち着きなさい克己。気が乱れる」
「父さん、咲也は?咲也は無事?!」
 余程慌てているのか、奥にいる咲也が見えていなかったらしい。いつも見かけよりずっと落ち着いてしっかりしている克己が、こんなに取り乱しているのを咲也は初めて見た。
「ここだよ。克己」
 咲也が声を掛けると、克己は俊己の腕を振り切って駆け寄ってきた。
「咲也! よかった……無事だね。怖い目に遭わなかった?」
「こっちの科白だよそれは。……何がなんだかさっぱりわかんないけどさ、とにかく何も無かったよ」
「そう……」
 ほうっと息をついて克己は緊張の糸が切れたようにへたり込んだ。顔色は蒼白だ。
「克己?大丈夫?」
 咲也が訊くと克己は、
「あんまり大丈夫でも無いみたい。足が震えて力が入んない」
 そう言って微笑んだが、無理矢理とってつけたようなぎこちない笑い方だった。
(――――やっぱり徳次さんは――――)
 克己の表情から、咲也は状況を把握した。
「克己」
 俊己が声を掛け、克己の肩に手を置いた。そこで改めて克己は我に返った。咲也の身を案ずるのが壻優先で、他の事まで気が回らなかったらしい。意識した途端、神殿の惨状が生々しく蘇って来た。
「父さん……徳治さんが――――」
 振り返って父を見る克己の顔は咲也には見えなかったが、深い絶望に彩られていた。
 俊己も重々しく頷いて、大きく息を吐いた。
「母さんから聞いた。鬼が出たと?」
「わからない。でも手形が残ってた。すごく大きな――――鬼だとしか思えない」
「あの絵馬に封印されていたものが、外から流れ込んだ妖気に反応したか――――」
「外から――――やっぱり結界が?」
「うむ。数日前誰かが、結界を張るためにこの神社の周りに配置した要石を破壊し、注連縄を切ったのだ。間に合わせの結界をすぐに張ったが、それも先程破られた。この雨と雷は普通の夕立ではないぞ、克己。凄まじい妖気を孕んでいる」
「……」
(あの胸騒ぎはそのためだったのか───)
「気が乱れ、またもや守護の陣を破られた事を知って、あれと咲也君だけは何としても護らねばと思い気張ってみたが……徳次まではわしとて手がまわらんかった。あいつにはすまん事をした」
「父さんのせいじゃないよ。僕がもっとよく気をつけていれば……そんな事、今更言っても仕方ないけど――――」
 咲也は、克己と俊己の会話に耳を傾けていたが、よく理解出来なかった。ただ、まずい事になっているのだということはわかった。
 克己も俊己もそれっきり押し黙り、沈黙が落ちた。外では雷鳴も遠くなり、雨音も静かになってきたようだ。わずかだが明るい陽が差し込んでくる。
 俊己が立ちあがった。
「もう去ったようだな」
「父さん、何処へ?」
「新しく結界を張らねば。それに、神殿を清めねばならん。穢れてしまった」
「僕も手伝うよ」
「お前は咲也君の傍にいなさい。咲也君」
 いきなり自分にふられ、咲也はびっくりして背筋を伸ばした。
「はい!」
「もうそこから出てもいいだろう。悪いものは去った」
 俊己はそれだけ言うと部屋を出ていった。
 咲也は、出ていいと言われてもしばらく考えた後、覚悟を決めたようにそろりと、おっかなびっくりに縄を跨いで外へ出た。別に何も起こらなかった。
「何なんだ? この縄」
「それも結界だよ。その中に入ってたから安全だったんだ。その中には悪いものは入れない」
「ふうん……」
 関心した様子で縄を見つめている咲也の背中に克己がすがりついた。
「克己?」
「――――よかった。咲也が無事で……」
「……」
 咲也は振り向かず、そのまま背負っている子供をあやすように手を伸ばして克己の背中をとんとんと、軽く叩いた。
「徳次さん死んでた」
 克己が小さく呟いた。
「知ってる。おばさんが言ってた」
「ぺたんこになって蝶々の標本みたいに壁に潰れて貼り付いて……酷かった。ついさっき廊下で会った時は元気だったのに」
「克己……」
 抑揚の無い言い方で克己は続けた。
「畳ほどもある手形が残ってた。きっとあの大きな手で掴まれて、壁に叩きつけられて、そして……」
 後は続かなかった。咲也が振り向いて克己の口を押さえたから。
「もういい。わかったから。思い出すな」
 克己の目から涙が溢れた。咲也が手を放すと、両手で顔を覆って低く嗚咽した。
 さっきは俊己の前で気丈なところをみせていたが、やはり克己とて怖かったのだ。死者の声を聞き、この世以外の者達を見る事が出来るといっても、まだ多感な時期の少年なのだから。
 ひとしきり泣くと、克己は涙を拭って顔を上げた。
「ごめんね……泣いたりして」
「人間だもん。しようがねえよ。俺だったらんなの見たら気ぃ失ってぶっ倒れてるね」
 そんな時でもない、と思いながらも咲也はおどけたふうに言って見せ、克己は微かに笑顔をみせた。それからまた真顔に戻って、
「僕達、まずい時に帰って来たみたいだね」
 そう言って深い溜息をついた。

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まいるどタブレット小説 Ver1.13