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降臨~こうりん~ - 九

2015/02/17 10:51

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 空は相変わらず妖しい雲に覆われ、京の街に広がる巨大な魔法陣も、街の心臓の鼓動に合わせて赤く光る点滅を繰り返している。大気には濃い妖気がたちこめたまま。“心臓”に降りた魔王の気配も、弱まるどころか強くなっていくようだ。
 何も、何も変わりはしないではないか!
「ふふ……ははは……」
 突然、倒れたまま麗夜が笑い出した。
「!」
 克己と和馬が咲也を庇うように身構えた。
「……ふふ、そう戦意を現さずとも、もう何もせんよ。だが、一つだけ教えておきたいと思ってね……結局、私の勝ちだという事をな」
 見た目は瀕死の状態のくせに、妙にはっきりした口調で麗夜は言った。彼はどうやら最後までスタイリストらしい。
「どういう事だ?!」
 噛み付かんばかりに和馬が訊いた。
「私を倒したとて、終わりはしない……この街の心臓が動いている限り。そう、契約の血を流した者が生きている限り、この街は魔界で在りつづけ、魔王はこの世に留まる事ができる。そしていつか……彼はこちら側に順応し、動き出すだろう。宿るための器も必要とせず、自らの姿で」
 もう殆ど死人のような蒼白の顔色で、麗夜は笑みさえ浮かべて言った。負け惜しみではない。これは事実上の勝利の宣言。そして不吉な予言。
 最後まで咲也を守ったのも、そのためだったのか。街の心臓は、咲也の血によって動いているのだから。
 彼の役目は実は既に終わっていたのだ。その身が滅んだとて、彼の……魔界の勝利は変えようがないのか。
 変える方法が無くもない。たった一つ、方法は残っている。
 だがそれは――――それだけは決して、克己には出来ない。和馬にも。それは今まで彼等が戦って来た目的、意味すら覆す事になってしまう……麗夜はその事も知っている。
「……」
 克己達にはどうする事も出来なかった。そんな中、
「……街の心臓を……止めればいいんだな? 魔王が動き出す前に」
 苦しげに咲也が言った。心身共に巨大な外部からの力に引っ掻きまわされ、傷つき、喋るのもやっとという感じだ。その手にまだ、麗夜を刺した短剣を握りしめていた事に、誰が気づいたろうか。
 止める隙などなかった。
「!!」
 次の瞬間、咲也は思い切り自分の胸に短剣を突き立てた。何の迷いもなく、深々と。
 何が起きたのか、克己達は咄嗟には理解出来なかった。

 一瞬の空白の時間。

 ぐらり、と咲也の体が傾いで、はじめて彼等は咲也に駆け寄った。
「さくやっ!!」
「おいっ?!」
 和馬の隻腕に受け止められても、咲也は両手を短剣から離さなかった。
「馬鹿っ! なんて……何てことを!!」
「うそっ! 嘘だよね?!」
 克己は咲也にすがり付いた。あまりの事に涙すらも出なかった。
「迷惑……ばっか、かけて……ゴメン。俺に出来……るのは、これ……しか」
 荒い息の下、咲也が二人に詫びた。
 幽かに微笑みを浮かべて、空を仰いだ咲也のただでさえ白い貌は、透き通るほど蒼ざめ、虚ろに開かれた瞳は、光りを失っていく。
 致命傷である。正確に咲也は自分の心臓を刺したのだ。
 街の鼓動がか細く、ゆっくり、不規則になってゆく。それは咲也の鼓動。
「いや……嫌だよ! 死んじゃやだ咲也!!」
 克己の言葉に反して、京の街にこだまする今にも止まりそうな心音。
「……かつ……み……?」
 咲也は、最後の力をふり絞るように、震える手を伸ばした。空に向かって。
「いるよ! 僕はここにいる!!」
 その手を握った克己の目から関を切ったように涙が溢れ出た。和馬も泣いている。
 克己の手の感触を確かめ、安堵したように咲也は静かに瞼を閉じた。その口から、長く細い息が一つ漏れ、かくん、と頭が落ちる。
「咲也……? さくや――――っ!!」



 そして、“街の心臓”の鼓動は、今、完全に停止した――――

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