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大いなるもの - 五

2015/02/17 10:06

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「お前は……誰だ?」
 麗夜は目の前にいる少年に問うた。
「誰って、その目は飾り物? 咲也に決まってるじゃない。日下部咲也以外の何に見える?」
 今まで、ずっと顔を伏せたままだった咲也が顔を上げた。麗夜が篭絡してから二週間、毎日見てきた顔と寸分違わぬ美貌。違うところといえば、嘲笑めいた笑みを浮かべている点だけだろうか……麗夜は咲也が笑うところなど、見た事がない。
「……見た目はな。だが違うな。少なくとも私の知っている咲也では無い。目覚めたと言ったな? 今まで眠っていたという事か? 咲也の中で……しかし私も一度咲也に入った事があるが、本物の魂しかいなかった。他の存在がいる様子など感じなかったが」
「感じなくてあたりまえだ。僕は本物の咲也だから。他の存在なんかじゃなく――――正確に言うと咲也という存在を構成する要素の一つってところかな。今、心の大半は、悲しみと恐怖と自責の念にとらわれて、身動きがとれなくなっている。逆に、いつも無意識に封印されていた部分……つまり僕が解き放たれた。この世に生まれ落ちた瞬間から、自分自身で否定してきた部分……あなたは不思議に思った事は無い? なぜこの体がこうも霊を惹きつけるのか。妖魔にさえ慕われるのか。なのに霊感も無ければ、魂を守るための防壁も持っていない。普通なら霊障でとっくに廃人か、悪ければ死んでいなくちゃいけない筈なのに、ここまで十六年間、無事に生きてこられた事を……勿論、“咲也”を守るために遣わされた他人の存在もあるよ。克己がそう。でも、克己と出会ってからまだ二年そこそこ……その前に守ってくれたのは母親だった。それだって、幼い頃のわずかな時間だけ。優れた巫女だった母は、特異な能力を持って生まれた息子を守るために、そのもてるだけの霊力を注ぎ込み、苦労の末に若くして亡くなった。表に常にいる人格としての“咲也”は知らない事だけどね……」
「……確かに不思議に思っていた。奇跡だとね……それはすべて、お前の影響だと言うのか? お前という要素が、霊を呼び、また護っていると」
 選ばれ、魔術を極め、今やこの街、いや現の世すべての命運すら握っているはずの魔導師は、彼の成そうとする大業の一つの道具でしかないはずの少年と、形勢が逆転していくのを感じていた。軽い眩暈すら覚えながら、麗夜は続けた。
「もう一度訊ねる。お前は何者だ? いや、何の為の存在か? そして“咲也”とは一体何だ?」
 静かに問われ、もう一人の咲也は更に笑みを深くした。その瞳は質問を受けた老教師みたいな、年齢にそぐわない奇妙なほどの落ち着きを湛えていた。
「教えてほしい?」
 首を傾げて、無邪気な口調で応える仕草は子供っぽかった。
「ぜひとも」
 麗夜は優雅に一礼した。
「その前に聞いていい?」
「何を?」
「召喚の儀式は続けるのかな?」
「勿論だ。人間達を守護してきた法円は、今魔界の印に塗り替えられた。見たまえ、街の心臓も動き始めた……君の血によって」
 麗夜の指差した先、“街の心臓”は赤く妖しく輝いていた。“心臓”を中心として、周囲の街の上には光の魔法陣が広がっている。規則正しく点滅を繰り返す光。その光の点滅は、ここにいる少年の鼓動と同じリズムを刻んでいる。
 やれやれ……と小さくもらして、咲也は貧血気味の体を大儀そうに動かして立ち上がった。まだふらついている。
「大丈夫かね?」
 またしても麗夜は、おかしな気遣いを見せた。自分がやった事への罪悪感や後ろめたさなど、彼にはまったく無縁なようだ。
「心配ご無用。じゃあ教えてあげるね。まず僕は何の為の存在かだったね。答えは簡単。今日、この時のためさ」
「?」
「わからない? じゃあ……“咲也”が瀬奈克己、そしてあなたと巡り合い、この日を迎えられるよう導くために……と言えばわかるかな」
 さらりと言った咲也の言葉に含まれている恐るべき意味を悟り、麗夜に戦慄が走った。確かに、それならばすべての辻褄が合う。だがそれはあまりに信じ難い事実。
 だとすれば――――
「お前は……何もかも知っていて――――俊己の息子と出会ったのも、この街に来たのも……私に捕まった事さえ計算通りだというのか?」
 麗夜の声は、彼らしくも無く震えていた。
「まあね。でも、誤解しないで。さっき言ったように僕は封印されていて眠ってたから特別、何も働きかけてはいないし“咲也”も知らないだろうけどね」
 咲也はそう言って、少し悲しそうに笑った
 沈黙。
 空からは街の鼓動と、風の音とも唸り声ともつかぬ不気味な音が響いて来る。街の心臓の上空には、虹色の妖しい雲が渦を巻き始めていた。
 先に口を開いたのは、麗夜だった。
「運命――――なのか? お前は」
「……」
 咲也は答えなかった。肯定も否定もない。ただ悲しそうに微笑むだけで。

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