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蜩~ひぐらし~ - 六

2015/02/16 13:38

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 五条通りを西に向うタクシーの中で、雲母は睡魔と戦っていた。あれこれ考えても纏まらず、うとうとと瞼が重くなっていく。魔除けの御札を貰ったものの、また眠りかけたら邪魔が入るかもしれない。こんなところでは他人を巻き込む事になるし、何とか家に帰って占いに必要な道具を持ってまた瀬奈の神社に引き返すまで我慢しなければ……
 しかし、丁度会社帰りのラッシュの時間帯にぶつかり、道は混んで車はとろとろとしか進まない。外は薄暮、車内は適度に冷房が効いていて心地よく、一週間分の疲れが一気にでてとても耐えられそうに無かった。
「お客さん、まだかかりそうやし、着いたら起こしたげますさかい、寝てはったら?」
 かくん、と頭が傾く度、慌てて目を開けるのを繰り返す雲母を見かねて、運転手が声をかけた。
「そうしたいのはやまやまだけど、眠ってる場合じゃないの。これからまだ大事な仕事があってね……回り道でもいいから早く着けないかしら?」
「どこもいっぱいですわ。この時間」
 またしても信号にかかり、車が止まった。
「昨夜は彼氏とデートで夜更かししはったんですかい?」
「それならいいんだけどね」
 お喋りな運転手だな……と思いながらも、喋っていてくれると少しは眠いのを忘れていられるので有難かった。
 何とか自宅のマンションまで辿り着き、すぐに戻るからと言って運転手に待ってもらい、必要な道具や2・3日分の着替えをかき集めて車に戻ったまではよかった。だが、倒れ込む様に座席についた瞬間が限界だった。
 そのまま、不覚にも雲母は深い夢の世界に落ちていった。
 そして、その様子を窺う『何か』がいた。


「すいませんね、こんな時間にお邪魔して、厚かましく飯までご馳走になっちゃって」
 目の前の食卓がままごとの台にしか見えない様な巨人が、憎めない笑顔で言った。
 ついさっき訪れたばかりの客は、その人懐っこい雰囲気のせいか、その大きさは別として、もう数年来の知己の様に何の違和感も無く、瀬奈家の夕食に混じっていた。
「ええのよ。どうせもう一人いやはると思て沢山用意してたし。さあ、遠慮せんと」
 珠代もこの大きな客が気に入ったらしく、大量にご飯を盛った茶碗を差し出した。3杯目である。彼女は和馬があまりに美味しそうに食べるので嬉しくて堪らないのだ。
 克己と咲也も第一印象から悪い気はしなかった。初めて会う人間なのに、長い間会わなかった兄弟と再会した様な、ほんわかした感じを受けた。しかし和馬がここを訪れたのは、雲母と同じく京都に降りかかる前代未聞の危機に関して、その道では知れた存在の俊己に助言を求めてきたという、ほんわかとは程遠い理由だった。他にも異変に気がついていた者がいたのだ。雲母がいたら狂喜したろう。
 気になったのは、全身に負ったまだ新しい無数の傷で、簡単な手当てはしてあるものの血が滲んで痛々しい。その点に触れると、
「来る途中、一戦交えてきまして」
 照れくさそうに和馬は笑ったが、珠代はまあ、と閉口した。
「相手、刃物でも持ってたんですか?」
 咲也が信じられないという口調で訊いた。こんなに力が強そうなデカイ男を傷つける事が出来るなんて相当の相手だ。
「まあそんなもんかな。人が下手に出てたら調子に乗りやがってね。君、かまいたちって知ってる?」
「……あの、突然真空状態が生じて……ってやつ?」
「ま、そうなんだけど、そのもと。妖怪」
「妖怪?」
 咲也と克己がステレオで訊き返した。
 俊己も感心して、
「ほう、そんなものまで目覚めたか。しかし和馬君? 君はよく生き残れたな」
「運が良かっただけですよ……かまいたちなんかまだ可愛いですもん。水虎に火車、土蜘蛛、猫又、天狗……皆目覚めてしまった。おまけに、死んだ人達も殆どが成仏出来ずにこの街に溜まってる。奴等、こんなご時世に放り出されて戸惑っています。天狗なんかは妖怪の中でも賢いですから中立を守っていますが、多くのものがそうと気づかぬうちに手先に利用されて、障害になりそうな術者や霊能者達を次々に葬っていってる。一週間前、俺の家も鬼に襲われて、目の前で両親と姉が殺されました」
 さらりと和馬は言ったが、瀬奈夫妻、克己咲也の四人の表情が俄に沈んだ。昨日の徳次の惨劇が生々しく思い出された事もある。
 それよりも、同じ事が起きたにしても肉親を失った和馬の痛手は彼等に増して大きかったに違いないという憐憫が、彼等の表情を暗く彩っていた。
 しん、と静まって痛ましそうに自分を見る視線に気がついて、和馬は苦笑いした。
「やだなあ、そんな目で見ないでくださいよ。済んだ事は仕方ない。その代り、仇は必ず討ちますよ。命がけでね」
 ふっきれた和馬の言葉に、珠代など目頭を押さえたほどだ。克己と咲也も感動して、ますますこの男を好きになった。自分達と十も変らない歳の若者に真の男の強さを感じて。
「失礼だが、今の話だとご両親も今度の事に気づいておられたようだが」
「はい。表向きは普通の宮大工ですが、うちは代々、陰陽師の家系。あの安倍晴明直系の土御門家の様にメジャーじゃありませんが、元を辿れば同じ賀茂氏の門下生を祖とする血統。途中、修験道や密教などの影響も受けているみたいですが……剣家に生まれた男子は必ず秘術を伝承して来ました。父もかなりの使い手でした。卜占(ぼくせん)で異変を知った父は、単身、京都に厄なす者に戦いを挑もうとしていたのですが……その矢先でした。仕事場で大怪我をして。これはまるで普通の交通事故なのですが、重傷を負っている所を父を邪魔者とみなした敵の放った鬼に襲われて……いかに使い手といえど身動き出来ないのでは対処出来無かったのでしょう。俺が家に帰った時にはもう遅く……」
「……剣と聞いた時に気づくべきだった。人の世に偶然は無いと言うが、まことか。
 すると君は剣義恭氏の息子さんか」
「父をご存知で?」
「もう二十年近くもお会いしていないが、お宅にお邪魔したこともある。そういえば娘さんの他に二つ三つの男の子がいたが……大きくなったものだ。しかし――――そうか義恭氏は亡くなられたか」
 和馬は重苦しく頷いた。しかし、その顔は驚きと嬉しさが入り混じったみたいな表情を浮かべていた。俊己が言った様に、彼もまたこの世に偶然は無いのだと感心したのだ。
「……お気づきでしょうが、この異変を裏で操っている人物がいるのは明らかです。集団意識を持たない妖魔達が一斉に足並みを揃えて動き出すなんてまずありえない。しかも、そいつはかなりの使い手。何が目的なのかはわかりませんが……」
「君はその黒幕の正体を知っているのか?」
「いえ、誰かまでは。でも親父は知っている様子でした。俺も何度か手紙を受け取りました。仲間になれと……勿論断りましたがそのせいで、親父達はお話しした様に……俺は辛うじて逃れたものの、日に日に追撃の手は厳しくなり……俺は貴船の明蓮坊の紹介でここへ来ました。妖魔に追われ、山奥まで逃げた時に厄介になったんです。その折に、貴方の事を。あの坊さんも知らない人じゃないと言ってくれればいいのに、人が悪い」
 和馬は笑ったが、俊己の様子が俄に変化したのに気がつき真顔になった。俊己のただでさえ巌のごとき面持ちが、更に厳しくなっていた。克己達もおとなしく会話を耳にしていたが、父の様子にただならぬものを感じて不安げにのぞきこんだ。
「あの?」
「明蓮……その明蓮、先程何度も連絡をとろうとしたが通じなかった。まさか……」
 克己と咲也が含まれた恐ろしい意味を理解して顔を見合わせた瞬間――――がたん! と大きな音をたてて和馬が立ち上がった。
 天井に届かんばかりに大きな身体は、わなわなと震え、更に大きさを増したかに見えた。怒りが体内から筋肉を圧迫しているのかもしれない。子供じみた顔は憤怒のそれに変わって、彼自身が鬼と化したようだった。
「――――くそっ、そこまでやるとは思わなかったぜ! あの坊さんは逆らいもなにもしていない。俺の……俺のせいだ。俺と係わったばっかりに――――」
「落ちつきたまえ。まだそうと決まったわけでは無い。さ、座って」
 怒りの表情を顔面に湛えたままではあったが、深く息をついて和馬は俊己に従った。
「……ねえおじさん、もう一度連絡をとってみたら? ただ留守だっただけかも……」
 咲也が口を挟んだが、俊己は苦い表情で首を振った。
「彼は目が不自由でな。余程の事が無い限り庵を離れる事は無い。外出するにしても寺には誰かいる筈。それも居ないとは……」
 この際、俊己の言葉は和馬には残酷だったかもしれない。怒りに膨れていた巨人がしゅんと小さく萎んでいくかに見えた。深い罪悪感が怒りの炎を消火してしまったのか。
「俺の家だけならともかく、他人の家族まで巻きこんでしまったのだったら……」
 頭を抱える和馬を、俊己は暫く黙って見ていたが、やがて固く目を閉じて言った。
「……和馬君、明蓮もこの街の住人。まったくの無関係の人間とは言えまい。もう個人レベルの問題で無く、街全体の問題なのだ。君だけのせいとは言えん。君が訪れる前の訪問者は占い師だったが、彼女の言葉を借りれば京都はやがて魑魅魍魎、悪霊達の蔓延る魔の都と化すという。すべての人々が暗い影に怯え、恐怖と絶望に満ちた日々を送るだろうと――――決して妄想などでは無いと思う。それは君が一番よく知っている筈。それゆえに御父上もたった一人でも戦おうと決意しておられたのではないのか? ……今までの、ささやかな平凡な日々を守る為に、京都に生きているからには遅かれ早かれ、皆いずれは戦わねばならん。そして戦いはすでに始まっている。戦場にいる以上、例外は認められん。残酷かもしれんが、それが彼の運命ならばそれまでの事……だが明蓮もかなりの法力の持ち主。むざむざやられてはおるまい」
「瀬奈さん……」
 顔を上げた和馬の顔は厳しかったが、まっすぐに俊己の目を見据える瞳には何かを決意したような力が漲っていた。それを受止める俊己の目にも。
「後を振り返っている猶予は無いのですね」
「うむ……とは言っても、わし自身そこまで冷酷にはなりきれんがな。だがこの際、
 前だけを見て進まねばやり切れんよ。この先もっと酷い事が待っていようとな」
 もはや家族の温かい食卓は、出陣前の決起式の場に変わっていた。男達は心を鬼にする決心を固めたらしい。
 大人同士の会話を黙って聞いていた克己と咲也は彼等ほど割り切れなかった。いかに他人事、過ぎ去った事とはいっても胸は痛むし、時が経っても何度も後ろを振り返るだろう。それが人間だ……と克己は思う。だが父が言ったように、確かに前だけを見て進まねばやり切れないのかもしれない。
(何だか凄いことになってきたな……)
 克己は内心、帰って来た事を後悔した。

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まいるどタブレット小説 Ver1.13