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環~たまき~ - 三

2015/02/17 07:02

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 克己の亡骸と環が奥の部屋に籠もってからも、大人達はまだ狐につままれた様に呆然としていた。克己を失った悲しみも忘れる程の驚きを、環は与えたのだ。
 もう一時間近く経つ。空は次第に白み、悪夢の夜に終わりの時が訪れたが、襖を隔てた隣の部屋からは何の物音も声もしない。一人は死人なのだから当然だが、同じ顔を持つ双子は今どうしているのか? 十六年の眠りから目覚めた姉は、文字通り血も魂も分けた弟に哀しい別れの挨拶をしているのだろうか? 何か違う気がする。環はそれだけとは思えぬ、何か引っ掛かる言い方をしていた――――
 襖を開けて確かめれば済む事だが、誰一人人そうしなかった。
 有無を言わさぬ調子で、
「いいと言うまでここを開けないでね」
 と“鶴の恩返し”みたいな少女の言葉を、彼等は守っているのだ。
 丁度居合わせた専門家に傷の手当てを受け少し落ちついた俊己と和馬の霊視をもってしても隣の部屋の様子は窺えなかった。
「私の出番……か。間に合うって言ってましたけど、何の事でしょうね?」
 和馬の呟きに、一同は閉ざされた襖に目を遣った。
 待っている間、雲母は部屋にも入らず、縁で明けていく空をじっと見ていた。彼女は克己の運命をわかっていながら間に合わなかった事への後悔と自責の念に苛まれていた。
「未来を知る力を神に与えられていても、何の役にも立ちはしない……もっと早く気づいていれば……占い師失格だわ」
 真夏とはいえ、京都でも外れの山中。早朝の風は冷たく、傷めた体には堪える。肘を抱いて身震いした雲母に、静かな声が掛かった
「……お姉さん体に障るよ」
 振り返ると天井近くから優しい顔が彼女を見下ろしていた。巨体に不釣り合いな童顔。絆創膏が一層やんちゃ坊主の印象を強める。
「和馬さん、でしたっけ? ……いいの、放って置いて。私、命の恩人を殺してしまったのよ。とても珠代さんや瀬奈さんに顔合わせ出来ないわ。かと言って逃げだす事も出来ないけれど……」
「あんたのせいじゃ無いよ。悪いのは俺だ。あいつは俺の身代わりになった……元はと言えば俺が咲也君を殺そうなんて安易な方法をとろうとしたから……」
「いいえ、あなたは正しい判断をした。あの場合そうするしか無かったからでしょ? ……その元凶を作ったのが私。私がいなかったら克己君だって、いつも通り御守りを持っていたから鵺だって倒せたかもしれない」
 顔を覆う雲母の横に和馬は腰掛け空を仰いでいたが、やがて大きな溜め息をついた。
「……お互いさ、こうして後悔してばかりしていても仕様がねえわな。瀬奈さんがさ、以前言ってた。これは戦いなんだって……戦場にいる以上、例外は認められないって。だからこれは逃げかもしれないけど、割り切らにゃ仕方ねえ……誰のせいでも無いんだ。克己坊だけじゃ無く今まで他にも沢山犠牲になったし、次は俺達かもしれないんだから」
「……」
「だからこそ、こうなった以上は克己坊の死を無駄にしない為にも落ち込んでる時じゃない。前向きに考えて、一刻も早く咲也君を取り戻し、魔法使い野郎の面の皮ひん剥いてやるんだ。何が狙いなのかもわからねえ敵さんのね。あんたも力を貸してくれるだろ?」
「和馬さん……」
 顔を上げた雲母に、和馬は力強く頷いた。
「俺も陰陽師だがどちらかといえば攻撃呪術系の系譜でね。勿論占いはやるが俺自身はあまり得意じゃないし、星を読むだけじゃ詳細までは……そこであんたの出番。戻って来た以上、協力してもらうぜ」
 肩にぽん、と置かれた和馬の片っぽだけの手の温かさを雲母は感じた。陳腐な慰めの言葉よりも、同じ立場に立って苦しい筈の青年の優しさは彼女を動かし、絶望に深く沈みかけていた気力が再び浮上した。
「勿論よ……たとえ地獄が待っていようと戦うわ。それが私のせめてもの償い」
「その意気だ」
 笑えこそしなかったが、もう彼等の表情は悲嘆に暮れるだけの弱々しいものでは無い。新たな決意が二人の顔を厳しく彩っていた。
 その時、中で襖の開く音がした。
 そして珠代達の声。
「環!」
 和馬と雲母は顔を合わせた。
「……環ちゃんが出てきた」
 二人は慌てて部屋に駆け戻った。

 朝の静寂の中、慎ましやかに襖は開いた。
「環……」
 皆が固唾を呑んで見守る中、姿を現した少女は泣いていた。まさかと思っていながら、心の何処かで環が奇跡を起こし、克己が生き返るのではないか……そんな密かな期待を抱いていた大人達は、その涙に現実を見た。
 開け放たれた襖の奥は、前と何一つ変わらず、克己の躯は冷たく横たわっているばかり。
 しかし、環のあの言葉……
 環とすれ違いに、すかさず医師が克己に近寄り確認する。
 程なく彼は首を横に振った。
「心脈も呼吸も完全に停止して……」
「克己!」
 今まで堪えていたものが再びこみ上げて来て、泣きながら珠代が克己に駆け寄る。和馬や雲母も顔を伏せる中、環だけは周りの状況などまるで目に入っていないらしく、ふらふらと遊病者の様な足取りで縁側の方へ歩き続け、やがて、すとん、と膝をついて座り込んだ。瞬きもせず、虚ろな表情で。
「環? 間に合わなかったのかね?」
 俊己が声を掛けるとゆっくりと環は顔を向け、首を振った。
「……ちがう……」
 小さな呟き。
「違うって?」
 環は更に首を横に振りつづけた。
「間に合ったよ……確かに環は間に合ったんだ。でも……」
 大人達に衝撃が走った。
 姿、声はそのまま、少女は別人の様に自分の事を三人称で呼んだ。
「まさか……」
 少女はこくりと頷いた。
「克己か?!」
 大きな瞳から涙がぽろぽろと頬を伝って流れ落ちた。
「一体、どういう事だ?」
 呆然と顔を見合わせる大人達に、環……いや克己は静かに語り始めた。

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