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【第二章】新大陸 - 100:渡りの時

2014/11/18 23:28

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 神? 何のことだ。

 それに……宿主が大女王を放ったって……。

 ふいに自分の周りの景色が変わったのに気がついた。

 天井も床も眩しいほど白く、宮殿の様な彫刻のある柱が見える。この場所は知ってる。ええと、そうだ。デザールの城の私が最初に目覚めた部屋。

 そういえば女王はセープの最上階から一瞬で表に私達共々移動したほどの事が出来たんだ。ひょっとして海さえ超えてデザールまで戻ってきたというのか?

 いや、それは違うみたいだ。押さえ込んだままの女王の感触はある。ルピアが見えないが微かに傍にいる気配を感じる。

 目の前を白いドレスの美しい女性が横切っていった。

 白い肌、金色の髪……あの大女王に寄生されていた女性だと瞬時にわかった。片手に手に大きな古びた本、もう片方の手に短剣を持っている。目の前には石の台の上に置かれた飾り彫りの施された金属製の箱。

 ここは神殿。神を、神から授かった力の石を祀る場所。

 本の文字、箱のなかの虹色に光る石のようなもの、街、人、空、海、王城……そしてその金色の髪の子供の泣き顔。

 くるくると目の前の景色が変わっていく。それは早回しの映像のようにきりかわっていくのに、一つ一つが理解できた。

 女性はデザールの前の女王。ルピアの母親。歴史を研究するうち、彼女は世界の真実を知ってしまった。祭壇に祀られているのは力の石として伝わるものの入った小箱。

 だが実際は何百年か前に魔法によって封印されていただけで、死んでいなかったヴァファムの大女王。それを知的好奇心から確かめるだけのつもりが、時が経ち先人の懸けた魔法も弱まっていた中、逆に自分が寄生されてしまったのだ。その様子を見ていたのはまだ小さかったルピアだけ。

 大女王もまた弱っていたため、すぐには誰もデザールの女王が寄生されているのに気が付かなかった。ルピアを除いては……大女王は徐々にデザール女王の人格を乗っ取り、数を増すために、同じ様に封じられていたオスの第一階級が祀られているここセープの神殿を目指して、海を渡ってきたのだ。

 宿主であるデザールの王族にのみ伝わる召喚の魔法で異世界の知識を持込み、武器を手にして全世界に広がったヴァファム――――。

 私になぜそんな事までわかるのだろうか。まるで誰かの記憶をそのまま刷り込まれたみたいだ。

 大女王に見せられているのか?

 あの十二階には神が祀られていたのではなかったのか? 

 デザールに祀られていたのも大女王だったというのか? 

 神殿に祀るのは神。だったら……。

「マユカっ!」

 目の前に光る図形が広がり、はっとすると何か細長いものが私の顔近くに伸びていた。

「どこまでも邪魔をする。新しい体を得られるところだったのに」

 大女王に危うく寄生されかけたのだと気がついたとき、心底ぞっとした。ルピアがそれを跳ね返してくれたのだ。

「つぁ……」

 ただでさえもう立てないくらいボロボロになってたのに……。

「マユカ……はや、く、大女王を……」

 倒れたままこっちに手をのばすルピアが痛々しくて。

「真実を知っても私を殺せるのですか?」

 やや余裕の声で大女王が言う。

「ああ。もし神だったら何だ?」

 さっき見た中で唯一心動かされたもの。それは小さな男の子の泣き顔。金色の髪の緑の目をした子供。それはそこにいる大事な大事な私の猫ちゃん!

「何だとは……」
「言ったはずだ、世界がどうのとかそんなのはどうでもいいと。私は一番大事な男を泣かせたお前が憎いだけだと!」

 拳を握り、振り上げ、渾身の気をこめる。拳が熱い。同時に大女王の身をくるんと返して振り下ろす。

 大女王は声もあげなかった。

 めきっと何か薄い板を突き破ったような、そんな音が聞こえた。甲殻を突き破った音かもしれない。そして生温かい嫌な感触。手に当たる固いもの。

 引き抜くと金色に光っている私の拳の中に、虹色に光る小さな塊。それは虫のようにも石のようにも見えた。

 これが大女王の核なのか?

「マユカ……それを壊し……て」

 ああ。終わりにしよう。さようなら、大女王。

 私は虹色の塊を握りつぶす。ばらばらと落ちていく欠片は虹色の光を失った。

 上に伸ばされていた大女王の腕が地に落ちた。

 同時に響き渡る音。キーンと空気を震わせ、大地を揺らし、ものすごい音の波が襲ってきた。たまらず耳を塞ぎ、倒れたままのルピアに覆いかぶさった。

 この声は大女王じゃない。

 この世界にいる全てのヴァファム達の声。大女王の消失を嘆き悲しむ声。

 しばらくして、音がおさまり、今度は恐ろしいほどの静けさが訪れた。ただ聞こえるのは自分と、抱きしめているルピアの息遣いだけ。

「終わったのか?」
「うん……おわ……った」

 弱々しく頷いたルピア。夜目に見ても蒼白だ。また軽くキスしておく。もうなんだか恥ずかしくもない。

「頑張ったな」
「マユ、カも……」

 ビカビカ光ってた自分が、元の見慣れた皮の鎧に戻ってるのに気がついた。これは本当に御役目が終わったってことなのかな。

 なんか最後はあっけなかったな……城の中は片付いたかな? 早くルピアを診てやって欲しいんだが……。

 その時だった。

「あ……」

 微かな、小さな小さな声。かさ、と何かが動く音。

 極力見無いよう、ルピアに見せないようにしていた大女王の方から。

 まさか、まだ生きてる?

 そっと伺うと、微かに大女王が動いていた。

「ルピ……ア?」
「え?」

 震える白い細い手が何かを探るように弱々しく動いていた。

 あわてて二人で駆け寄る。

 不思議と血は出ていないが、胸に大穴を開けた姿は生きていることさえ怪しかった。私が…やったのだ。

 もう母親の部分は生きていないとルピアは言ってたのに。まだ宿主の意識が残っていたのだとしたら。私は、私は……。

 ルピアが覗き込み、その白い手を握ると、月の光に照らされた緑の瞳が微笑むように細められた。

「お母様?」
「ごめ……ん……ね」

 最後の力を振り絞ったような声の後、再び閉じられた目。

「お母様、お母様っ!」

 もう二度と、その目は開くことはなく、するりとルピアの手をすり抜けて手が落ちた。

「わああああぁ――――!!」

 小さな子供のように声を上げて泣き崩れたルピアを後ろから抱きしめることしか出来なかった。私はこの手でルピアの母の命を断ったのだから。

 自分を呪い殺したいほどの罪悪感。これでは私は両親を殺した男と、大女王と同じじゃないか!

「すまない……すまない、ルピア……」

 涙が溢れて、うまく言葉にならない。私も一緒に泣き崩れた。自分が情けなくて、許せなくて。

 どのくらい二人で泣いていただろうか。ほんの短い間だったようにも、永遠に思えるほど長い時間だったようにも思えた。

 先によろよろと立ち上がったのはルピアだった。

「マユカ、泣かないで。本当に、本当にありがとう……最後に一瞬でも母を取り戻してくれて。マユカは、おまわりさんは間に合ったんだよ……本当にありがとう」

 その言葉にどれほど救われただろうか。今この場だけでなく、私が長年囚われ続けてきた、全ての枷を解く言葉だったと気がついたのはもっと後のことだが……。


「マユカ――――!」

 聞き慣れた声に城の方を振り仰ぐと、大勢が走ってくるのが見えた。

 あれは。ミーア、イーア、グイル、ゾンゲ、リシュル。共に戦った戦士たち。それに、ゲンも二ルアも双子の鳥も……みんな無事だったんだ。

「大女王を倒したんだ! すごいよ!」

 イーアの無邪気な声。他の大人達は流石に神妙な顔をしているが……中でも事情をよく知っているからか、セープ王は悲しげに目を伏せて、魔導師達に命じて大女王の亡骸に布を掛けてくれた。

「核を砕いた……もう、二度と復活しない」

 ルピアがそう言った直後だった。

 砕いたはずの核の欠片が再び虹色に輝き始め、皆であわててその場を離れた。

「まさか、まだ……」
「いや、違う」

 キラキラと輝きながら空に上がっていく虹色の光。それは高く高く上がってゆき、月が浮かぶ空に吸い込まれて行った。

 直後空に亀裂が走るのが見えた。虹色のオーロラのように空に揺らめく亀裂。

 何が起きようとしているのだろう。

 見上げる皆は声もあげずその様子を見守っている。

 そして聞こえてきたのは虫の羽音。

 蜂の群れのような、いや、もっとすごい数の響き。

 月の光で藍色だった空を黒く染めるほどの虫達。中には小女王であろう巨大な虫を集まって抱え上げるもの、卵や幼生達をあの糸に包んで運ぶものもいる。

「先にデザールの地下に送っていた者達も合流出来たようだね。良かった」

 そういえば私が召喚されて最初に目覚めた部屋……神殿にはなにか仕掛けがあるとルピアが言っていた。

「何が起きるの?」

 ミーアがちょっと怖がっている。

「あれはヴァファムの渡り。大女王が死んだから次の世界に行くんだよ」

 ルピアがゆっくりと説明してくれた。

「渡り?」
「うん。母上が調べていたノートに書いてあった。大女王が死ねば、次元の扉が開き、新しい世界で再び大女王が生まれるのを待つんだって」

 ……なんかよくわからんが。

 集まっていた皆に、ルピアが瓶の蓋をあけるよう命じると、捕らえていた虫達も空に飛び立っていく。

 赤や黄色の役つきの虫達は、何か話しかけるように私達の周りを回って、そして大群に合流していった。

 九階で死んでしまった者もいたが、他の役つき達もあの大群の中にいるのだろうか。フレイルンカス、グレアルンカス、ユングレア、コモナレア、ルミノレア、リリクレア、ベネトルンカス……私は戦った相手の名は忘れない。皆虫ながら個性豊かで、ひょっとしたらそこいらの人間よりも感情豊かで人間臭かった。

 私は虫は苦手だが、もしも人に寄生してその人格を奪うものではなかったら、彼等とは案外仲良くなれたかもしれない。勤勉で、清潔好きで、真面目な彼等と。

 空の虹色の亀裂に向かい、虫達は真っ直ぐに飛んで行く。 

「ヴァファム達は何処に行くのだ?」
「まだ文明を持たない原始的な生き物達だけがいるどこか違う世界。そこで新しい世界を作っていくのだ思う。新しい大女王を中心として……最初は他の生き物に寄生してかもしれないけど、彼等の順応力は素晴らしいから、行き着いた先に合うよう独自に進化もしていくだろう。彼等こそが創造主が獣に与えた力の石そのものだって、さっき大女王も言っていた事は正しかったのではないかと……僕は信じる」

 ルピアは微笑むような目で空を見上げている。瞳孔が大きくなってくるくるした夜の猫の目で。

「……ああ。そうかもしれないな。ここだけじゃない、私の生まれた世界もな」

 ひょっとしたらヴァファムはこの世界の他のどの種族よりも、そして私達の世界の人間の祖先よりも古い高度な知的生命体なのかもしれない。遥か昔、どこかからやって来てそこにいた原始的な生き物の進化を促したのではないだろうか。例えば私達の世界なら、最初の猿の耳か鼻にヴァファムが寄生し、ある日突然知性を持ち始め、道具を使い今の人類に進化したのかもしれない。そう思えば?

 この世界に来て最初にルピアに聞いた五つの種族の誕生も然り。それが力の石という昔話として伝わったのではないだろうか。

 キラキラと光る赤や黄色、紫の虫達は宝石のようだから。

 それに……私はそんなに詳しくはないが、いつも昆虫と他の地球上の動物が同じ進化の上にあるとは到底思えないと何故かしら思う所があった。ちゃんとした学説では地球上で微生物の時代に遡って系統表も作られているが、わからない部分もまだ多いと聞く。彼等の祖は何処か違う世界からやって来て、後で地球に合うように長い時をかけて進化しただけではないのかと。その元がヴァファムであったなら納得がいく。

 この世界と、私の生まれた世界でよく似た文化であるのも……真実はわからないがそんな気がしなくもない。

 まあちょっと、私には畑違いすぎてよくわからないのだが。


 空に消えたヴァファムを見送り、魔導師や医師団に治療を受けたルピアはかなり元気になった。

 城に押し寄せてきた下っ端に寄生されていた街の人々も家に戻り始めたころ、各種族の戦士達、その他の皆と話していた時だった。

「マユカ」

 ルピアに呼ばれて、少し皆と離れた。

 笑うでもなく、泣くでもなく、何の表情も浮かべない顔で……まるで私の代わりに鉄仮面をかぶってしまったようなルピアは、ぽつりと言った。

「……契約が終わったね、マユカ」
「ルピア?」

 何言ってるんだ?

「約束通り、君の本来いるべき世界に帰してあげる」
「ちょっ……!?」

 無表情に見えて、ルピアの唇が微かに震えている。きっとすごく我慢してるんだ。

「いやだ、帰りたくない! もうこのままずっとここにいたい。お前と一緒に……」
「駄目だよマユカ。これが契約だったのだから」

 ルピアは数歩後ずさって、不思議な言葉をつぶやきはじめた。今までの魔法とは違う、瞬時にそれは理解できた。

「本当はデザールでと思っていたけど……出来るってことはやっぱり契約終了したってことだね」

 くるりと私に背を向けたルピア。

「おい! なんなのだいきなり」

 足元に大きな図形が現れたのが見えた。それは私をとらえるようにぱぁっと光を放ち、次の瞬間には、巨大な掃除機にでも吸い込まれるような気がした。

「僕の気持ちが……変わらないうちに」

 そう聞こえた気がしたが、ちょっと待て! 私の気持ちはどうなるんだ?

 悔しくて涙が出てきた。

 こんないきなり、帰れって? 冗談じゃない! やっと自分の気持ちに素直になれたのに。本当に好きだって思えるようになったというのに。

「マユカ?」
「ちょっと! 何やってんのよ!」

 ミーア達が光に気がついて駆け寄ってきて、驚いたような声をあげた。

 私を包む光は段々と強くなっていき、もう彼等の姿も霞んできた。ああ、嫌だ。帰りたくないのに! 必死にあがらうが指一本動かせなくて。

「マユカは……契約が終わったから自分の世界に帰すんだよ」

 確かに私は帰りたかった。生まれた場所へ。

 だが今は……帰ってもそこにルピアがいないなら帰りたくなんか無い。

「帰らない! ルピアと離れるなんて嫌だ!!」

 声の限り叫んでみても、ルピアはもうこっちを向いてくれない。

 眩い光は私を飲み込もうとしている。異世界への道が開いていくのがわかる。

「一人で行かせちゃうの? 猫王様はそれでいいの!?」

 ミーアがルピアにくってかかってる。

「だって……僕だって本当は一緒に行きたいけど! ……向こうじゃ僕は猫だし!」

 声が泣いてる。ルピア、お前だって本当は嫌なんだろう、なあ!

「それでもいい。それでもいいから!」

 本心からそう思っているのに。段々とルピア達に向けて伸ばした手が透けていくのがわかって、足が動かない。

 嫌だ、離れたくないのに。

「責任……とるって言っただろ?」

 こっちも向いてくれないルピアに手がとどかない。

 足元の光る図形が私を飲み込もうとしている。
 
 その時、ルピアの後ろに何人かが走り寄るのが見えた。ぼんやり霞んだ視界で、もう誰なのかわからないが。

「もう、なにやってんのヨ、見てらんないわっ!」
「惚れた女泣かせて、自分だって泣いてるじゃん!」
「このまま手放していいわけないだろ!」

 ええと……すでに朧にしか見えないんだが、ルピアがグイルかゾンゲあたりに突き飛ばされたように見えたんだが……? ゲンかな? それともみんな?

 ああ、なんだか気が遠くなってきてもうよくわからない。

 さようなら、皆。

 もうどうあがいても無理みたいだから、素直に帰るな。

 グイル、すごく頼りにしてた。

 ミーア、お前みたいな妹が欲しかった。

 イーア、お兄ちゃんを大事にな。

 ゾンゲ、その尻尾の手触りは忘れない。

 リシュル、よく頑張ったな

 ゲンも、双子も、二ルアもスイも……もう会えなかったけどマナ、リール、ヒミナ先生……耳かき部隊にメイドちゃんたち。

 大好きだったぞ、皆のこと。


 
 そして……。

 ルピアの大馬鹿野郎。一生恨んでやる。


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まいるどタブレット小説 Ver1.13