流血の旅立ち▼
2014/11/03 09:12
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「エリオさん、大丈夫? 何だかフラフラしている様に見えるけど」
「元気ですよ?」
朝、神殿を発った。目指すは魔族の国テーリャ。
とは言え、まだルドラすら出ていないのだが。
実は昨夜一睡も出来なかった。
生まれてはじめて女性に、く、く、口付けをしたっ……!
思い出すな俺。また昨夜のように鼻血を吹いてしまうぞっ!
その場は必死で平然としているように見えていただろうが、部屋を宛がわれて一人になった途端、とんでもないことになった。心臓はバクバク言うわ、顔は熱いわ、手は震えるわ、膝は笑うわ。そしてあの目を閉じられたユマ様の顔、柔らかな小さな唇を思い出すと……。
「ほ、本当に大丈夫? あの、これ……」
何故か手拭を渡された。
「仮面から血が落ちてるけど……鼻血?」
「……あ、朝ぶつけましてっ」
かなり恐ろしい事になっていた。ユマ様が引いている。
「とりあえずどこかで一度休憩しましょうか」
「そうですね」
人家も疎らになり、街路樹のある石畳の道も途切れて、今や周りは森の中の一本道。 神殿はそもそも外れにあるので、賑やかな街を抜けることはなかったのが救いだ。あまり人に会いたくない。
地図は美巫女様に頭の中に記憶として書き込んでいただいた。だからそう迷う事は無い。この森を抜ければルドラの隣国リドルの国境。同じ人間の国ではあるが、リドルの民は金に煩いと聞く。
巫女様とルドラの王がかなりの額を用意してくれたが、リドルでは気をつけないと異国の者には何の値であってもふっかけて来るとの噂がある。
「大事な物はドロボウさんに盗まれたら嫌だから、見えないように仕舞っておきましょうね。重いのも嫌だしね」
ユマ様は呪文も魔方陣も無しに魔法を使われる。
「あ、あれだ。ほら、青いロボットの……うん、イメージできた」
などと仰って、服の小さなポケットにポイポイ物を詰め込んでしまわれた。着替えや、それこそテントや寝袋まで!
「ど、何処に入ったんですか?」
「ん? 四次元なのかな? 仕組みはよくわからないんだけど。出して欲しい時は言ってね~。それにまだまだ入るよ」
どんな魔法なのだろう。流石は神に選ばれし聖なる魔女。
それに、もう一つすごい魔法を使われた。
神殿で最高の剣に最高の鎧を用意してくれたが、剣は長年愛用してきた物を手放すのも忍びなく、かといって巫女様の好意もお断りするのもどうかと迷っていると、ユマ様が、
「使い慣れた物の方がいいよ。枕と同じ」
そう優しく笑って、なにやら二本の剣を交互に触れられた。
すると、見た目は変わらないのに、俺のボロだった剣が微かに輝いた。
「上手くいったみたい?」
「ほう、流石は神聖の魔女。良いところだけを抜き取ったか」
美巫女様は見抜いておいでだったようだ。見た目も握った感じも変わらないのに、切れ味、強度が倍以上になったという。
「妖精や魔族の国に入れば、色々と困ったことも出て来よう。だがこれだけの魔力があれば問題ないであろう。物理的な障害は剣士がしっかり守るのだぞ。近頃魔獣も出るからの」
誓いを立てたのですから、大丈夫です。そう巫女様に告げると、匂い立つ様な美しいお顔で微笑んで送り出してくださった。
森の入り口近く、水辺で休憩。
鼻血で汚れた仮面を洗って、お借りした手拭も漱ぐ。
「乾くまでしばらくこのままでおりますが……すみません」
ユマ様の前にこの顔を晒すのは本意では無いのだが、少しは慣れていただいた方が良いのかもしれない。
「えへへ」
ユマ様は何故か恥ずかしそうにもじもじしていらっしゃる。
はっ! ひょっとしてユマ様もあの儀式の事を思い出してらっしゃる?
「私ね、はじめてだったの。キスするのって」
「お、俺もですっ」
くううっ! そうですか、俺ははじめての男になったのですかっ! 清らかな愛くるしい唇に、そっ、そのっ……。
「一生の誓いだなんて……結婚式みたいね。やん、恥ずかしいっ」
「!」
そ、そうか。そういえば……ええっ? では俺はユマ様の婿!?
それにしても、ユマ様はご迷惑で無いのだろうか。普通にしていればどんな美男も王族でさえも求婚されるであろうその美貌に、恐るべき魔力。そのうえそれを鼻にかけるでもないこの自然な気立ての良さ。
俺なんかで……。
「エリオさんはもっと自信をもっていいと思うよ。前に言ったのは本当なんだよ、私の生まれた所では、私は最も醜い見た目の女だったって。だからとても気持ちはわかるの。でもね、開き直っちゃうと案外楽だよ」
「……そんな」
そんな世界があると思えない。このように美しい人が醜いなど。
でも、もしも本当なら?
「は、恥ずかしいけど、あなたは私が今までで見た中で一番綺麗な人。そんな人に一生の誓いを立てられるなんて……勿体無くて夢のよう」
また、頭に稲妻が落ちた。
勿体無いなんて! 夢のようなんて! 俺こそ夢のようですっ!!
あああ、きっとこれは夢なんだ。醒めるな、この美しい夢。
「あ、また鼻血が」
「……」
貧血になりそうだ――――。
ユマ様がポケットから出された昼食を食べて少し休んで、再び馬で道を行く。辺りはすっかり森の中だ。
きいきいと鳥とも獣ともつかぬ声が遠く響く、木漏れ日だけの道は薄暗い。
「馬ってお尻痛いのねぇ……」
ユマ様がもぞもぞと身を捩っておられる。女性のやわらかい着物では鞍があっても堪えるであろう。綺麗なお尻に……って、見たわけでは無いのだがっ! いかんぞ、想像するな俺。これ以上鼻血出したら完全に嫌われるぞっ!
「低反発クッションとかあればいいかも?」
「何ですかそれは」
ほしいな~と仰ると、ふわりとしたものが出てきた。これも魔法か?
「うん、いいかも」
「便利ですねぇ」
「でも仕組みはわからないのよね。魔法って何なんだろう?」
いや、俺に訊かれても。
「それにやっぱりどっと疲れるのよ」
「魔力を消費するからでは無いでしょうか」
「じゃあ、無駄に使わないほうがいいわよね」
こういう普通(?)の会話がよいな。
「ああ、そうそう。美巫女様が魔獣が出るって仰ってたでしょ? いるの? そんな恐ろしげなものが」
「いますよ。この森も気をつけたほうが良いでしょう。普通の獣と違って、僅かなりとも魔力を持っておりますので、手ごわいです。まあ俺がお守りいたしますので」
少し眉を寄せて怯えた様な仕草を見せられたユマ様が本当に可愛らしく、思わず少し手綱を持つ手を緩めた。また少し離してガチガチに構えていたからな。途端に肩に触れる感触に胸がドキンとする。
「えへへ、頼もしいな、エリオさんは。あなたが一緒で良かったよ」
「うっ……!」
いかん、また鼻血が出そう。
そんな至福のひと時は束の間、俺達の馬の前に立ちはだかるものがいた。
「わっ、何アレっ!? ライオン?」
巨大な黒い獣。立派な鬣と蛇のような尾を持ったそれは……。
「いきなり上級の魔獣か」
最初に出会うには、凶悪すぎる相手だった。
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