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File №2 目撃者は語らず - その4

2015/04/18 00:30

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 午前三時。僕はカーテンの隙間から窓の外を見てる。
 冬は夜明けも遅いからまだ明るくなるには時間がある。月明かりで真っ暗でない空に、黒々とした輪郭をくっきり見せる山の影。ぽつりぽつりと見える霞んだ灯りは、暗い星みたい。
 初めて僕がこの町に来た時に面白いなと思ったのは、結構な繁華街もある都市なのに、どこにいても山が見えること。目に見える景色のどこかに必ず山が見える。盆地だからって言われたらそれで終わりなんだけど、田舎の小さな町の出身の僕にはそれが落ち着ける要因の一つ。
 色んな事が頭のなかでぐるぐるしていて、正体の判らない良くない胸騒ぎがしてたけど、景色を見てて少し落ち着いた。
 部屋の中はとても静かで、聞こえるのは冷たい風が時折窓ガラスを軋ませるのと、部屋の隅の古い時計の時を刻む音、そして微かな微かな息遣い。
 つい先程まで、卵でも抱く親鳥みたいに僕を抱え込んで離さなかった人は、もう一度痛み止めの注射をぶすっとやられてやっと眠ってくれた。麻酔が効かないって言ってたけど本当なのかどうかはわからない。ただ、普通じゃない怪我なので、痛いのはちょっとやそっとじゃ無いだろうから目が覚めたのだろうって人見さんが言ってたのが気になった。なのに昼間はちょっとしたかすり傷くらいな感じで表情も崩さず普通にしてたなんてって呆れた。
 その人見さんは、僕にくっつきすぎたせいで先生に追い出されかけたけど、僕と佐倉さんで引き止めた。夜中にわざわざ来てくれたのに帰すのもなんだし、万が一この後先生の容体が急変したりしたら僕達では対処できない。せめて朝までは居て欲しい。だから隣の部屋で休んでもらっている。
 なぜかすっかり人見さんに懐いたエリザベスも離れようとしない。あのお世辞にも可愛いと言いがたい犬のお嬢様は、僕は例外としても面食いなのかな。
 そうだ人見さんといえば……。

『その先は知らないだろ? 俺が教えてやろうか』

 本気だったのかどうかわからないけど、先生がひどく怒ってたのが一番気になってて、あの時はそんなにじっくり考えられなかったんだけど、思い出したら……変な感じ。体の奥のほうが熱いようなくすぐったいような。
 キスの先。愛しあう方法。
 僕だってこんな見た目でも年齢は大人なんだから知らなくはない。でも実際にしたことは無いってだけで。だから教えて欲しいかもしれない。
 でもそれは人見さんにじゃない。僕が教えて欲しいのは……。
「う……ん」
 小さな声が聞こえてはっとして意識を部屋の中に戻した。
 ベッドでほんの少し先生が身を捩ってた。
「先生?」
 返事はない。起きたのかと思ったけど、寝返りをうとうとして少し痛かっただけかな。
 窓からの月明かりに見える顔はほんの少し眉を寄せてたけど、すぐに穏やになった。 
 そっと髪を撫でる。柔らかくて細い髪。今度は薬が効いてるのか、よく眠ってるみたいで先生は起きない。
 考えてみたら僕がいつも先に寝かされてしまうから、眠ってる顔をこんなにじっくり見たのは初めてじゃないだろうか。
 綺麗で、優しげで儚げな面差し。起きてる時は強くて、賢くて、大人っぽく見えるのに、こうして眠ってるとなんだか子供みたい。睫毛長いね。
 先生はホントに何を考えてるのかよくわからない
 一番近くにいるのに一番わからない人。でも一番好きな人。

『殺したいほど憎かった』

 人見さんは僕にそう言った。本気でこの人が好きだって。
 僕ね、今逆にものすごく他の人に嫉妬を覚えてるよ。憎いって言うんじゃないけど、僕の知らない先生を他の人は知ってるんだから。
 僕だって……。
 ほんの少し開いてる唇。吸い寄せられるようにそこに自分のを近づける。
 触れるか触れないかの口づけ、そんなつもりだったのに。
 ふいに後頭部をぐいと引き寄せられて、思いの外深いキスになってしまった。柔らかい唇が僕の口を完全に塞ぐように包み込んでる。
 そう長くなかったのかもしれないけど、僕には永遠にも思えるほど長い時間に思えた。
 やっと離れて息をつくと、先生が目を開けて見上げていた。
「先生……」
「嬉しくてつい」
 悪戯っ子みたいに笑う顔。
「いつから起きてたんですか?」
「今。夢かと思ったら夢じゃなかった」
 ぐいっと更に引き寄せられて、ベッドに上げられてしまった。片手なのにすごい力ですね先生。
 そしてぎゅっ。
「痛くないですか?」
「優一郎君を補給してるから大丈夫」
 しばらく何も言わず添い寝するみたいに一緒に横になってた。
 大丈夫な方の手が腕枕してて、僕は先生に身を寄せてる。
 温かいな。ずっとこうしてたいな。そう思って目を閉じてたけど。
「ワン! ワン!」
 隣の部屋からエリザベスの吠える声が聞こえる。小さいくせにすごく大きな声。こんな時間に大きな声で吠えるなんて。ここがお屋敷の方で良かった。住宅街のど真ん中だったら確実に苦情が来るな。
「騒がしいですね。ちょっと見てきます」
 名残惜しそうな顔の先生から離れて、ベッド横のリモコンで部屋の灯りをつけ、立ち上がったその時だった。
 ぴしっ、という音が窓の方からしたのと、僕の頭の上を何かが掠めていった気がしたのと、背後の壁からたん、と叩くような音がしたのは全てがほぼ同時だった。
「優一郎君!」
 先生が飛び起きたが、傷が痛んだのか床に崩れ落ちた。
「大丈夫です、当たってません」
 そういうのが精一杯だった。
 先生を抱き起こしながら、窓の方を見るとガラスに穴が開いていた。丈夫なガラスだから派手に割れてはいないが、小さな穴の周りに蜘蛛の巣のように広がるヒビ。
 これって……。
「また狙撃?」
「銃じゃないですね。今のは。しかし……」
 先生がゆっくりと窓と反対側の壁のほうを指さした。
 入り口のドアの横の壁に突き立っているもの。それは羽根のついた一本の棒状のもの。
「矢?」
「恐らくボウガンでしょう。庭に入れば防犯装置が作動するはず。庭の外からここまでは三十メートル以上ある。窓を突き破って尚且つあの奥の壁に刺さる威力は相当のものです」
 ひどく冷静に先生は推測を述べてくれたが……。
 僕があと数センチ背が高かったら確実に頭に当たってた。そう思うとお腹の底のほうからぞぞっと冷たいものが上がってくる。
「おい! 何かあったのか!?」
「ワフッ!」
 ドアを荒々しく開けて入ってきたのは人見さんとエリザベスだった。
「なんです、まだ居たんですか怜士」
「お前なぁ……」
 おもいっきり心配して走ってきてくれた人に失礼ですよ先生。
「第二弾が来ました」
 僕が横の壁を指すと、人見さんは少し飛び退いて肩を竦めた。
「今度は矢かよ。怪我はなかったのか?」
「おかげさまで人見さんのお世話にはならなくて済みました」
 結構ヤバかったけど……。
「ボウガンですかね」
 先生の言葉に、人見さんも頷いた。
「ハイパワークロスボウあたり使わないと、外からここまでは撃てんだろう。ったく、どんな玄人に狙われてるんだ」
 人見さん詳しいなぁ。そういや銃にも詳しかったし、武器マニアだったりする?
「抜いてみてください、怜士」
 先生が言ったけど……いいの? 現場維持とか指紋とか。そう目で訴えると、先生は苦笑いした。
「どうせ警察には出せませんからね」
「じゃ、別に手袋とかいいか」
 うーんとかなりの力をこめて人見さんが矢を壁から引き抜いた。相当深く刺さってたみたいだから、やっぱりすごい威力なんだ。良かった、当たらなくて。立ったのが先生だったら当たってたよ。
「なんかおかしな形してるな、この矢」
 僕は本当のがどんなのかよく知らないから違和感なかったけど、矢の羽根の付け根部分がちょっと太いのがおかしいんだって。カプセルみたいに見えるね。
「そこ、回すと外れるんじゃないですかね?」
「人使い荒いな、死にぞこないのくせに」
 先生に言われて、悪態をつきながらも人見さんが矢をきゅっきゅって絞るようにまわすと、太くなった部分から二つにわかれた。
「なんか入ってるな。紙?」
 引っ張りだしたものを、人見さんは僕に手渡した。今先生は片手使えないからね。
 細く折りたたまれた紙を広げてみると、何か書いてある。
「手紙みたいですよ」
「今時矢文とは、なんて古臭いんでしょう」
「いや、先生? 今はそんな事にツッコんでる場合じゃないですよ」
 紙に書かれていたのは日本語じゃなかった。アルファベットが並んでる。でも英語じゃないのは瞬時にわかった。うーんと何語かな?

 Sie müssen nicht aufdecken,
  das Geheimnis, dass ein Hund versteckt.

 Giguen!

「ドイツ語ですね。優一郎君、何と書いてあるかわかりますか?」
 ちょっと、先生は先生でも学校の教師みたいに言わないでくださいよ。わかるわけ無いじゃないですか。僕は英語はまあ日常会話に困らない程度と、先生にほんのちょっと習ったフランス語しかわかりません。
「ちょっと見せろ」
 後ろから手が伸びてきて手紙をさらっていったのは人見さん。
「直訳すると、あなたは犬が隠した秘密を明らかにしてはいけない……逃げろ! かな? 」
「怜士、よく出来ました。花マルをあげましょう」
 いいなー花マルぅ……じゃなくて。
「人見さん、ドイツ語わかるんですか」
「俺の職業を何だと思ってる」
「あ、そうか。お医者さんだった」
「そういうこと」
 医学用語やカルテってドイツ語だったりするんだよね。なぜか不思議だったんだけど、昔は医学や科学技術の最先端だったのがドイツだったからなんだって。
 そして先生もフランス語だけじゃなくてドイツ語もわかるんだなぁ。前にスペイン語も話してたし、この人何カ国語話せるんだろうか。やっぱすごいなぁ、ただエッチなだけの遊び人じゃないんだ皆……。 
 まあ、今はそんなことはどうでもいいや。
「犬が隠した秘密? 犬って……」
 三人で同時に目をやったのは、なぜか人見さんの足の上に座って大きなあくびをしている白い小さなブサイクさん。エリザベス。
「ねえ、先生? この子にどんな秘密があるんですか?」
 銃で撃たれたり、夜も明けない早朝に矢が飛んできたりなんて尋常じゃない。きっとこれはものすごい事件なんだ! エリザベスには重大な秘密があって、だから先生も僕にも言えなかったんだ。でももうそろそろ話してくれるはず。
 緊張感がないって怒られそうだけど、これは探偵的にはすごい事件の予感。そうドキドキして待ってたのに。
 なんだか冴えない表情で先生は首を傾げた。
「どんな秘密があるんですかと訊かれても……私も訊きたいですよ」
 えええぇ? なんですかそれ!
「依頼人に関してはまあ確かに優一郎君にも隠している事はありますが、依頼内容に関しては、先に言ったこの犬を三日間預かるという事以外、隠し事などありませんし、私は何も知らされていない」
「ホントにホントですか?」
 どこまで本当なのかイマイチわからない人だからなぁ。そう思ってたら綺麗な綺麗な顔がずいっと近づいてきた。
「この目を見てください。嘘をついている顔に見えますか?」
「う……」
 くらくらしますから、それ。
「その目で何人も堕されてるんだからな、余計に信用出来ないんだよ」
 その何人もの一人の人見さんの一言の方が確かに説得力はある。

 そうこうしてるうちに、外が少し明るくなってきた。
 先生も少し元気そうになってきたので、居間に移動して状況を整理することにした。
「優一郎君、寝てないでしょう? 少し休んだ方がいい」
 先生が言ってくれたけど目が冴えてて眠くならない。確かに一睡もしていないが、寝てる場合じゃないと体も思ってるみたい。
 佐倉さんが淹れてきてくれた濃いコーヒーを飲みながら、壁に刺さってた矢と手紙の置かれたテーブルを囲む。
「で? 怜士はまだ帰らなくていいんでしょうか? 業務内容は部外者には知られてはならないのが探偵なのですが」
 不機嫌に先生が言う。
 うん……人見さん、いるんだよね。お医者さんも秘密厳守なのは同じなので他言はしないという信用はあるんだけど。仕事はいいんだろうか?
「あのな、これでどうやって帰れと?」
 自分の膝を指差して今度は人見さんが不機嫌に返した。
 イケメン医師の膝の上には白い塊。すぴすぴといびきをかいて、寝てるのはエリザベス。人見さんが余程気に入ったのだろうか、片時も離れようとしないのだ。佐倉さんが先程抱き上げようとしたらうーって唸って怒ってた。
 はぁ……と佐倉さんも含め四人でため息をつく。
 犬が隠した秘密か。命を狙われなきゃいけないほどの秘密。
 なんなのだろう、一体。

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まいるどタブレット小説 Ver1.13