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File №2 目撃者は語らず - その2

2015/03/10 21:07

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 着替えを渡すだけ渡して犬と廊下で長いこと待っていた。佐倉さんにもういいですよと言われて部屋に戻ると、手当してもらって着替えも済ませて少し落ち着いたのか、ソファーに掛けてる先生は普段と変わらないように見えた。
 でも顔色はあまりよくない。あんなに血も出てたし……ああ、思い出したくないけど。きっと痛いに決まってるのに微笑んだりしちゃってるね。意地っ張りだもんなぁ。演技力は女優の母親以上なんじゃ無いだろうかこの人。だからこっちも合わせてあげないとと思って、なるべく平素と同じように接することにした。
「お茶、淹れ直しますね」
「後でいいですよ。こっちへ……」
 手招きされたので横に座ると、ふわりと抱きしめられた。
 いつもの先生の匂いに混じって微かに消毒液のニオイがしてドキドキする。
「痛くないんですか?」
「優一郎君を補給してるから平気です」
 よくそれ言うよね。僕を補給って何? でもなんだか元気そうでホッとした……のも束の間だった。少し震える声が耳元で囁いた。
「正直、もう君に会えなかったらどうしようと思いました」
「先生……」
 さっき佐倉さんが少しでもズレてたらって言ってたのを思い出したらぞっとする。ここにこうしてこの人がいないなんて考えられない。こうして抱きしめる温かさや、髪の毛を撫でるこの手の感触が無くなるなんて考えたくもない。
「私は悪運だけは強いみたいです」
「普通にラッキーでいいじゃないですか」
 こんな風にツッコミを入れられるのも貴方にだけなんだよ、先生。
 胸に頭を寄せると、とくとくって鼓動が聞こえる。生きてる。生きてて良かった。ずっとずっとこうしてたいよ。もう禿げたっていいからずっと撫でててよ。
 でも思わぬ邪魔が入った。
「ワフッ!」
 ぎゅーっと僕と先生の間に体を押しこむみたいに、白い物体が鼻息も荒く割り込んできた。あのブサイクな犬。
「先生に僕がくっついてるからヤキモチ妬いてる?」
「いや、自分も撫でて欲しかっただけでしょう」
 ちゃんと佐倉さんに足も体も拭いてもらって清潔っぽいけど、先生怪我してるんだし。僕が思い切り撫でてやると満足したみたいにソファーから飛び降りた。
「それにしてもブサ……個性的な見た目の犬ですね」
「ミニチュアブルテリアという犬種だそうです。一時期流行ってましたがこんな見た目で闘犬の血を引いてるので案外気性が激しく最近は見かけなくなりましたね。でもこの子はまだ小さいですし、大人しいです」
 今度は僕の靴紐に齧りついて遊んでいるこのヘンテコな犬。人見知りはしないのか、すっかり懐かれたみたいで傍を離れようとしない。
 動物は嫌いじゃないからいいんだけど、僕はどっちかというと猫が好き。先生はあまり生き物は好きじゃ無いらしく、この広い屋敷に一匹のペットもいない。前に可愛い猫ちゃんでも飼いましょうと言ったら、ネコは外に大きなのがいっぱいいるし、ここにもいるからいらないと言われたけど意味はわからない。猫いないのに。ひょとして僕の事なんだろうか。僕はペット枠? でも外にいっぱいいる大きな猫ってのがわからないままだ。まあ別にどうでもいいんだけど。
 それはさておき。いい加減詳しい話を聞かなきゃ。あ、でもその前に。
「先生、この子の名前は? いつまでも犬って呼ぶのもなんですし」
「名前は……ああ、そういえば聞いてませんでした」
「はぁ? 預かるのが依頼だったんでしょう? 名前も聞いてないんですか?」
「何も聞かずに三日間預かる、ただそれだけの依頼です」
 変なの。たった三日だったらペットホテルとか獣医さんにでも預ければいいのに。なんで探偵に預けなきゃいけないんだろう。大体、先生は別に動物が好きでもないのになんでそんな依頼を受けたんだろうか。しかもそんな簡単なことなら僕に行かせれば済むのに、直々に自分が行くとか、考えてみたらおかしな事がいっぱいある。
 先生、何か隠してるね。ひょっとして今回撃たれたっていうのもそれに関係したことなんじゃないだろうか。
 でも訊くのも怖い気がした。基本先生は僕に隠し事はしない。変な話僕をぎゅーってしながら、平気で他の誰かに会いに行くとか言っちゃうくらいだ。おかげさんで愛人みたいな人ほとんど知ってるもん。それでも言えないのなら訊いてはいけない気がするのだ。話してくれるのを待つしか……。
 そんな僕の考えを他所に、先生がごく事務的に話をはじめた。
「エサやかかった費用は後払いなんで、領収書をとっておいてくださいね。散歩はまだ小さいので庭で走らせれば充分でしょう。とにかく敷地の外には出さない事」
「はぁ」
 ま、やたら広い芝生の庭は充分すぎるほどのスペースがあるしね。
 いやいや、話が振り出しに戻るが、いくら預かり物でも名前くらいは知りたい。
「こらこら」
 いい加減靴紐がヤバくなって来たので抱き上げると、赤い首輪に小さな金色のメダルみたいなのがぶら下がっているのに気がついた。表面に文字が刻印されている。
「E?」
 イニシャルかな?
「Eってありますね。Eのつく名前なんじゃないでしょうか」
「Eですか。マドモワゼルですしね」
 え? この顔で女の子なんですか! ちょっと気の毒……いやいや、ブルテリア的には美人と言えなくもないのかもしれないし、愛嬌あるっていえばあるし。
 エミちゃん、エリちゃんとかエリカちゃんとか……うーん似合わない。と、そんな僕の考えを他所に先生がいきなり投げ捨てた。
「どことなく似ているので、エレーヌでいいじゃありませんか。Eだし」
「……いやぁ先生、いいじゃないですかってえらくいい加減な。第一、いくらなんでも犬と自分の母親と同じ名前って普通抵抗無いですか?」
 何よりも先生、どことなくも似てません! 
 でもなんかちょっと犬が反応したような気がする。わりと似たような名前なんじゃないだろうか。外国っぽい名前?
 どんな名前かな……などと考えを巡らせていると、片付けを済ませた佐倉さんが戻ってきた。手には犬が喜びそうな太い紐を結んだおもちゃ。わーい、これで靴紐を齧られなくてすむ。
「おいで、エリザベス」
 佐倉さんに呼ばれ、犬が走っていった。えええぇ? なんで!?
「佐倉さん、名前……知ってたんですか?」
「首輪の裏側に書いてありましたよ?」
 そうですか。首輪の裏側だったんですか……それよりその顔でエリザベスって名前なんですか。に、似合わない!
 いつもなら真っ先に気が付きそうな先生が、そこまで気が回らなかったのはやっぱり相当キツかったんだと気がついたのは後の事だった。

 その夜、先生は熱を出した。
 傷からくる熱らしいけど、よく考えたらもう結構長く一緒にいるのに、見た目に反して余程丈夫なのか先生が熱を出したり寝こむほどの病気をしたのを見たことがないので、めちゃくちゃうろたえてしまった。
 役立たずな僕は、またしても電話番兼犬の見張り係として待機となった。事務所の電話は屋敷の方に転送設定にしてきたし、心配だから今晩はこっちで泊まる。
 様子を見に行きたいけど、佐倉さんが部屋に入れてくれない。僕に心配掛けたくないって先生が言ってたけど、見えないのはそれはそれで心配なのをあの人はわからないのかな。
 それより、本当に何なんだろう。一体誰がこんな事を……。
 こんな仕事だし、家がアレだから恨みを持ってる人だっているだろうけど、ここは日本だ。その道の人達なら銃くらい持ってるかもしれないけど、白昼堂々撃ってくるなんて普通じゃない。やっぱり今回の犬を預かった依頼に関係してるのだろうか。
「お前に話が出来たらいいのにね」
 ソファーに掛けてる僕の膝の上に頭を置いてうとうとしてるエリザベスに声を掛けてみる。勿論この小さな目撃者は話してはくれないのだが。
 そこに来客を告げるチャイムが鳴ったので、慌てて玄関に迎えに出た。
「旦那、ついに無下に扱って袖にしてきた相手にやられたのか?」
 病院に行くのを先生が頑なに拒んだため、佐倉さんが呼んだ医師がドアを開けるなり一言目に言ったのはそれだった。
「相変わらずですね、人見さん」
「思い当たることと言えばそれしか無いだろ」
 うん……すぐに否定してあげられないのが辛いよ、先生。なるほど、そっちの線も捨てがたいじゃん! って……いやいや!
人見怜士さんはそこそこの個人病院のお医者さん。きっちり縛ってあるけど長い髪とか、モデルみたいな長身に、シャープな印象を受ける整いすぎてるキツめの顔立ちはとてもお医者さんには見えないんだけど、外科医としては結構優秀であるらしい。全体に知的な雰囲気の人だが、僕が知りうる中でトップクラスの毒舌家だ。
 勿論先生の愛人の一人だよ。
 無駄に長い廊下を行く間、片手は医療器具の入った鞄をぶら下げてるけど、もう一方の手がずっと僕の頭の上にあるのはどうなんだろう。大きな手でわしゃわしゃってされてるんですが。先生もだけど、どうして皆僕の頭を撫でまくるのだろうか。
「くそ、憎たらしいくらい可愛いな。しかしお前はちっとも大きくならんな」
「流石に成人した後はもう背は伸びないでしょう……もう諦めてます」
「ちっこいから心配してるんだよ。あんな風が吹いたら飛んでいきそうな天使みたいな顔しててかなり激しいからなぁ、あの旦那は。痛い目にあってないかと」
「え? 何が?」
「……いや、なんでもない。そうか、まだなのか……」
 何だかよくわからないまま勝手に人見さんは納得したみたいだ。

 佐倉さんには止められたが、人見さんが僕にも一緒に来いと言ったので犬は佐倉さんに預けて先生の寝室に入った。
「怜士……」
 先生が慌てたように身を起こしたが、痛かったのかうつむいてしまった。
「えらくぐったりしてんな。ちょっと笑える」
 いや、笑い事じゃないです、人見さん。
「酷いですね。全く、なんで佐倉は怜士なんか呼んだんですか」
「なんかって。俺医者だし? 前に言ったじゃねぇか。もしお前が痴情の縺れで刺されでもしたらさ、俺、笑いながら棺の前で酒飲んでやるって。いやぁまだ生きてるんだからいいじゃん」
 痴情のもつれって……いや、もう解けないくらい複雑に縺れてますけど?
 言いたいこと言う人だけど、仕事は出来る。テキパキ鞄から聴診器やら何やらだして僕にも命令が飛んだ。
「お前も手伝え、脱がしてくれ」
 うわぁ、熱い。ふわふわしてるのか抵抗もしない先生のシャツを脱がすと、人見さんは佐倉さんが巻いた包帯を結構乱暴に剥がした。
「上手に止血してあるなぁ」
 佐倉さん、プロに褒められてますよ。
「こいつは……」
 人見さんの手が止まった。
「銃創だな。お前、ヤバイことに足突っ込んでるんじゃないだろうな?」
 先生を支えながら、ちょっと目を逸してたけど、僕も思い切って見た。
 日に焼けた事もないような白い肌に、小さな赤い傷。そう大きくはないけれど他が綺麗なだけにより一層痛々しく見える。
 左の肩の付け根あたりと背中の肩甲骨のあたり。背中側は骨もかすめてるからか、赤く腫れてる。うわ……これで半日普通にしてたなんて。血が止まってなかったら僕、今絶対に倒れてた。
「ちっ、貫通してるな」
「なんで悔しそうなんですか」
「弾残ってたら抉り出せたのに」
 人見さん、あなたSだったんですか。外科医がSって引きますよ、ものすごく。ほら、先生もなんだか悲しそうな顔になったじゃない。
「嘘だよ、そんな顔すんな。弾があればどんな銃なのかわかる。そしたら相手も推測出来るじゃないか」
 おお! やっぱり頭いいやこの人。
「やや上から貫通してる。どんな体勢だった?」
「犬を抱き上げようとした時だったので前屈みですね。角度的に見て土手の上からじゃない。同じくらいの高さ……斜め対岸からでしょう。残念ながら姿は確認できませんでした。あと銃声はそんなに大きくなかった。対岸からは近くても十メートル以上はある。それでも貫通しているのだからライフルか、それに準じたやや小型の飛距離の出るタイプの弾を使う銃でしょう」
 あのぅ……もう難しすぎて何だかよくわかんないんですが。というか人見さん、先生を早く何とかしてあげて。

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まいるどタブレット小説 Ver1.13