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File №2 目撃者は語らず - その1

2015/03/10 21:06

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 今日はとても寒い。でもいいお天気。
 冬は空気が澄んでで気持ちがいいと先生は言うけれど、僕は寒いのが苦手。
「ちょっと散歩に行ってきます」
 そう言って先生が朝から出かけて行ったっきり、もう数時間以上。まあ散歩だなんて嘘で、調査なのだろう事も知ってるけど。昨日依頼を受けてたし。僕を連れて行かなかったのは余程難しい件なのか、はたまた調査でも何でも無く誰かと会ってるのか。
「……」
 デートだったらムカつくな。
 いやいや、ヤキモチを妬くなんておかしいじゃないか。僕は恋人とかじゃなく、仕事上の助手であって……そうだよ、うん。
「でも気になる」
 幾ら変な人でも朝っぱらからはそれは無いだろう。仕事に違いないと自分を納得させつつも妙な胸騒ぎがして、つい携帯のGPSで先生の所在をチェックしてしまう僕も大概だと思う。
 地図の先生の現在地はこの近所。少しづつだけどこっちに向かって動いてる。ってことはもう帰ってくるんだ。自分がにやっと笑ってるのを感じて、慌てて顔を引き締める。
 寒かっただろうからお茶でも用意しておいてあげよう。佐倉さんに紅茶の上手な淹れ方を教わったし、先生のお母さんがさっき美味しいクッキーを持ってきてくれたし。
 どうでもいいけど先生のお母さんはとんでもなく美人だ。三十代半ばまで女優として活躍してた人だけど、遅めの結婚をした後出来た息子の歳を考えたら五十やそこらで済まないはずなのだが、財力に物を言わせて美容整形しているからか、どう見ても三十歳くらいにしか見えない……先生曰く「妖怪みたいな婦人」である。
 一向に結婚して孫を見せてくれないゲイの息子に見切りをつけたのか、母上のターゲットは最近僕になりつつあり、すごく可愛がってくれるのはいいが、
「早く籍を入れて正式に養子になってね」
顔を見る度それを言われるのがしんどい……。
 美妖怪婦人は先生がいると嫌な顔をされるので、僕に構うだけ構ってさっさと帰っていった。その間もずっと養子の話とお見合いを勧める話をしてた。
 悪い話じゃないけど……両親はもういないし、継ぐべき家があるわけでもない。でもなあ。僕は小林の姓を捨てたくはないのだ。
 ま、いいや、先生もう帰ってくるし。
 熱いお茶とお菓子を用意して、もう一回先生の所在を見ると既にこの屋敷の敷地内だった。帰ってきた!
 なんだか僕、旦那さんの帰りを待つ新婚のお嫁さんみたいって馬鹿な事を考えながら、一人で意味もなく照れてると、廊下に微かな靴音が聞こえた。
 ドアの外で靴音が止まった。いいタイミングだね。
 でも一向に先生はドアを開けてこの部屋に入ってこない。扉越しにもなんとなくそこに人がいる気配があるのに。違ったのかな……そう思いながらドアを開けると、やっぱり待ってた金髪に青い目のすらっとした姿があった。
「おかえりなさい。何ですぐに入って来なかったんですか?」
「ドアを開けられなかったので」
 口調も、うっとりするような微笑みもいつもの先生。チャコールグレーのコートもフランスのブランドのマフラーも出て行った時のまま。でも右手で左の肩のあたりを押さえている。よく見ると白い指の間から赤いものが伝ってる。それはぽた、ぽたっと小さな雫になって床に落ちていた。
「ちょっ……! 先生っ! 血っ!」
「ああ、スミマセン。床を汚してしまいましたね」
 や、そうでなくて!
「け、怪我っ! 怪我してるじゃないですかっ!」
「はい。ちょっと撃たれまして」
「はああああああぁ?!」
 叫んだのはいいけど、なんかもう気が動転してよくわからない。
「とりあえず痛いので座っていいですかね? 嫌な物を見せて悪いですが」
 もうバネ人形みたいにコクコク頷くしか無い。ってか何でそう表情も変えずに平然と喋ってるんですか? そりゃ痛いでしょうよ! よく見るとかなり血が出てるじゃないですか!
 部屋に入るなり、先生は倒れこむようにソファーに身を投げ出した。平然としてたようだけど、実は結構堪えてたみたいだ。
「は、早く病院にっ!」
「貫通してますから大丈夫です。今佐倉が救急箱を持ってきてくれます」
 なんかぐらっと景色が傾いた気がした。貫通って!
 足がガクガクして、自分でも鼓動が早くなって息が苦しいのがわかった。でも痛いのは僕じゃないし取り乱していても仕方がないので、佐倉さんが来るまでに詳しい話を聞かないと!
 せめてコートだけでも脱がせようと近寄ると、ゆるりと血だらけの手で近寄るなと制された。うう、その手を見ただけで少し気が遠くなる。
「と、とにかく、け、怪我の様子を……」
「君は見ない方がいい。顔が真っ青だよ。むこうを向いていなさい」
 う……。
実は僕はヘモフォビア(血液恐怖症)だ。いつもみたいに今とりあえず倒れずにいられるのは、相手が先生だからだろう。恐怖心より心配のほうが勝っているから。でも言われたとおり先生から目を逸らした。怪我人を前に僕が貧血で倒れていては話にならない。
 先生は普通に喋ってるし、大丈夫だと信じて。
「撃たれたって、銃でですか? 何でですか? 一体何処で?」
「……一度に色々訊かれても……場所は鴨川の河原、拳銃ですね」
 相変わらず口調も変えずに淡々と言う先生。
 拳銃って……ここ日本だよね。まあ裏ではそういうのを持ってる方々もおいでなのも知ってるけど。それにもう少し下ると鴨川の河原なんていつもカップルやら散歩してる人で無人のことはほぼ無いし。
「目撃者はいなかったんですか?」
「冬の平日の午前中ですし、いつもそう人はいないところですから。いたのは白鷺とユリカモメくらいですかね。あ、カモもいたかもしれません」
「鴨川だけに……って、ボケてる場合じゃないと思います」
 すかさずツッコミを入れられる僕もどうかしてると思う。
「後は……」
 先生が何か言いかけた時、廊下を誰かが走ってくる足音が聞こえた。
「坊ちゃま!」
 聞き慣れた大慌ての声も。ああよかった、佐倉さんが来てくれたんだ。ドアまで迎えに行こうとした僕の足元を何かがすり抜けたようだったが、気のせいかな?
「ワン!」
 ん? わん? それにハッハッて息遣いも聞こえるけど。
「待っていなさいと言ったのに」
「どうしても大人しくしていてくれなくて。ああ、優一郎様、それを捕まえていて下さい。私は坊ちゃまのお怪我を」
 先生を見られない僕に佐倉さんが指さしたもの。それは小さな白い……
「ブタ?」
「……一応犬ですよ、優一郎様」
 佐倉さんはそういうが、短い毛は生えてるみたいだけど、ちょっとガニ股に見える短い足と、片目の回りに黒いブチのあるのぺっと長い大きな顔。つるんとした尻尾に離れ気味の小さな目。これが犬だとしたらかなりの不細工さんだ。でも舌ハアハア出してるし、大きな口に鋭い歯が見えるし、さっきワンって鳴いたから犬なんだろうなぁ。
「その子も目撃者ですね。依頼人にその子を預かった直後だったので」
 先生の長閑な声と。僕を見上げて首を傾げた犬らしきもの。
 ……ちょっと可愛いかもしれない。ブサカワ?
 言われたとおり邪魔にならないよう抱き上げると、佐倉さんがもう一つ僕に言いつけた事があった。
「優一郎様、坊ちゃまの着替えを持って来て下さいませんか」
「はい」
 佐倉さんも僕が血が怖いのを知ってるので、出て行けということだろう。
 ゴメンね先生。すごく気になるし心配なんですけど。男のくせに血が怖いなんて不甲斐ない自分に悲しくなる。
 犬は人慣れしているみたいで、僕に抱かれても案外大人しくしてる。小脇に抱えたまま先生の部屋のクローゼットから服を出して、リビングに戻ろうとドアに手を掛けたが、中から聞こえる声に手を止めた。
「うっ……」
 小さく呻く先生の声。少し怒ったような佐倉さんの声も。
「少しズレていたら大変なことになってましたよ。下だったら心臓、上だったら大動脈です。よく平然としておいででしたね」
「優一郎くんに……心配をかけたくないから」
 先生……。
「とにかく今は止血しか出来ません。ちゃんと病院に参りましょう」
「それは父に迷惑がかかる。グループ内の病院なら外には漏れないが、母あたりが知って騒ぐと面倒だ」
「全く。因果な家にお生まれになりましたね」
「ああ……全く。優一郎くんにまでそんな苦労をさせたくない」
 すごく小さな会話だったけど、仕事柄言葉の一つも聞き逃さないように鍛えている耳には扉越しにだって聞こえてますよ。
 先生は大丈夫なのかな……。
 同じく耳を澄ますように大人しくしていた犬に思わず語りかける。
「ねえ、お前は見てたんでしょ? 一体何があったの?」
「くぅん?」
 ……犬が語るわけでもなく。僕は廊下で名も知らぬブサイクな犬を抱いて、ただただ途方に暮れるしか無かった。

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まいるどタブレット小説 Ver1.13