閑話 - 真夜中の堕天使は魚と共に(ウリちゃんside)
2015/02/10 11:49
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「ただいま、キミちゃん」
勿論お帰りの返事などない。キミナイアちゃんは無口だ。
部屋に戻ると靴と上服を脱ぎ捨てる。このびしっとした格好は正直好きじゃない。ああ、開放感。
「俺、ちゃんと笑えてる?」
部屋の水槽を漂うキミちゃんに訊いてみる。
ぱくぱく。キミちゃんは何か言いたげに口を動かしただけで言葉は返ってこない。
……喋りませんからね、魚は。
緑と青と金が混じった素晴らしい色の鱗もヒラヒラした鰭もくるくるした黒い目も可愛い。そう、彼女のように。
「キミちゃんとココナさんは似ている」
キミちゃんがぐわっと口を開いて鋭い歯を見せた。怒ってる? 他の女の話をすると怒るのはこの子がメスだからだろうか。
ああ、でも今日もくたびれた。
「いつも笑顔でいるというのも疲れるものなんだよ」
はあ、と溜息をつく。飼っている魚に愚痴をこぼすのもどうかと思うが、語る相手もいないからな。
いつも他の人に対しては『わたくし』などと言っているが、プライベートな時間、自分の事は基本『俺』。
怪我をすれば痛いし、無理したら疲れるし、お腹だって空く。
どうしてこうも外面を気にするのかと、自分でも呆れるが、身についた習性というか、本当の自分、弱い所を見せるのが怖い。
『よいですか、あなたは影です。何があっても魔王様にお気を使わせる事はなりません。他の者にもです。それは回り回って魔王様の耳に届くでしょう。ですから、辛くともいつも笑っていなさい』
今は亡き母がいつも言っていた。
同じ年に生まれた時からの、いや、生まれる前からの定め。
魔王様お仕えし、生きるも死ぬも一緒。何事も魔王様を優先し、自分の事など考えてはいけない。
遥か昔先祖が天より堕ちて来た折、時の魔王に気に入られ、以来ずっとお傍から離れられない立場になったと聞く。他の多様な姿の魔族と違い、魔王様は最も天界にいる者に近いから、天使に近親感があったのかもしれない。歴代正妃に召される女もほとんどが堕天使の血の入ったものである。
……本当は従兄妹のユリレアが魔王様に嫁ぐと決まった時に、俺も同時に誰かを娶って身を固めなければならなかったのだ。王子に影をお造りするために。今まで我がカムト一族はずっとそうやって来たのだから。
自分の意思とは関係の無い所で縁談がすすめられ、どれだけの女があてがわれただろう。中には同じ堕天使の末裔の美女もいたし、気立ての良いものもいたし、皆俺を愛してくれた。でもどうしても駄目だった。心の底から愛せる者は一人として見出せなかった。
形だけでもよいのはわかっている。子供は好きだし、本気で愛する必要など無い事も。しかし道具みたいに女性を扱う事は嫌だった。
正直なところ、自分はユリレアを好きだった。いとこというだけでなく、兄妹のように育ったというだけでなく、一人の女性として。だが恋していたかというとわからない。彼女は魔王様を心の底から愛していたのも知っていたし、魔王様もまた。そして正妃となり次期魔王の子を宿すのはどういう事なのかも、ユリレアは知っていて受け入れたのだという事もわかっている。だからいつもの如く、心で泣きながらも笑顔で祝福したのだ。
それでも他の女に目が移らなかったのは、引きずっていた証拠だろう。
「本当にすまない。親の言う事など気にする事は無い。お前はお前だ。本当に心から愛せる相手が現れるまで、無理に従うことなど無い」
そう言って下さった魔王様に甘えてしまった。二人でいる時は主従というより、友人のリンデルとして接して下さることの方が多い。悔しいが、魔王様はこの俺の気持ちなどお見通しだったのだ。
そんな魔王様、ただ一人の親友のためなら何時でも命も投げ出す覚悟。
だが、譲れないものも一つだけある。
俺、やっと心から愛せる人を見つけたのです、魔王様。
ココナさんだけは何があっても渡さない。
魔王様は彼女のどこに惹かれたのだろう。
最初彼女を見た時はユリレアに似ているからかとも思ったけれど、それだけでも無いようだ。
はっきり言って、彼女は絶世の美女というわけではない。人間は嫌いだが、元々異世界の人間ゆえか、彼女は他の者とは違う。
よく笑い、よく喋り、よく食べ、表情が豊か。大人と言うには小さい体に細い手足。豊満とは言い難い幼げな体型。顔も可愛らしいが造作も綺麗に整っているとは言えないだろう。こういう種族なのだろうが、広すぎる額にぷくぷくした頬、小ぶりな鼻に口、黒い大きな目はそう、一言で言えば小さな子供のようだ。自分も子供みたいなのに幼子を見るその目は母性に溢れていて。
なんとも危なっかしい生き物だと思う。だが、その危うさゆえその一挙一動に目が離せなくて、この手で守ってやりたくなる。
そう、彼女は赤子と同じ。どんな生き物でも赤子は庇護したくなる匂いを出していると思う。彼女からはそんな匂いがする。
人間だったものが魔族として生まれ変わって間もないというのは、本人に自覚が無くともまさに赤子なのだ。それなのに体を再生する際に淫魔の類を使った事もあってか、言いようの無い色気を出しているし。
気がつけば夢中になっていた。彼女を見るだけで高鳴るこの胸。
生まれてはじめて恋に落ちたと思った。
魔王様が惹かれたのにも納得がいった。
ココナさんは自分が愛される存在だと自覚が無い。自分が男から見てどれだけ魅力的なのか知らない。だから染めたい、自分の色に。
たとえ相手が魔王様であろうと、ココナさんが他の男に目を奪われただけで、嫉妬するし、悲しい気分になる。
一度無様に人間にやられ、死ぬほど弱っている所を見せるという大失態を晒してしまったけれど、彼女にもう一度会いたい、その想いだけで城に帰ってきた。
彼女の涙を見た瞬間、胸がズキズキと痛んだ。
ああ、自分のために彼女が泣いていると思うと……すみません、心の中で小さくガッツポーズしたけどね。嬉しくて。
エイジさんは人間だったが結構好きだ。憎めない面白い生き物だよあれも。しかしひょっとしたらココナさんにとって|近い《・・》だけに脅威でした。それにその想いは俺にもわかるだけに、一番のライバルかもしれないと思っていたけれど。
魔王様、いや、やんちゃ坊主だったリンデル君。感謝します。彼もあなたの眷属にしてくれたことを。
ココナさんの世界の人間にとって、血縁者は恋愛対象にするのはタブーだそうです。調べました、色々と。
ココナさんにとって『父』である魔王様。『弟』であるエイジさん。
実際は違うのですがね、ココナさんにはそう説明しましたよ。
ええ、ちょっと卑怯ですけどね、それが何か?
ふふふ、唯一血のつながりの無い男といえば、そう、俺だけ!
少しづつだが、彼女も気を許してくれている気がするし、後は押せ押せで行ってみましょう。
「ああ、好きだ、本当に。大好きです。結婚しましょう」
うーん違うな。
「わたくしがあなたを一生お守りします」
この方がいいだろうか?
夜中の部屋の水槽の前で、魚相手に一人で求婚の言葉の練習をしている男も虚しいものだとわかっているが……。
「キミちゃんはどう思う?」
「……」
知らんぷりで口をぱくぱくするだけ。呆れてるようだ。
「そうそう。キミちゃん? 少しこれから忙しくなるから他の者に餌をやるようお願いしておくけど、前みたいに手まで食べちゃ駄目だよ」
ぷくぷく。何となくわかってくれたかな。みたいだな。
「じゃあ、もう少し付き合ってくれるね?」
ぱくぱく。
「……あなたに全てを捧げます」
うん、簡潔にこれがいいかもしれない。いつか本当の自分をココナさんにだけは見せられる気がする。驚きますかね?
もうすぐ人間が攻めてきます。
数百年に一度の恒例行事みたいなものです。先々代は魔王様を庇って死んだらしいですが、でも俺は何があっても死にませんから。
終わったら魔王様より先に求婚いたしますね。
あ、そうだ。
「俺についてこい。幼稚園一クラス分くらい子供をつくろう!」
よし、これだな。
何だか微妙に満足して、ベッドに潜り込んだ。
夜明けまであと数時間だが、いい夢が見られる気がする。
ふふふ、ココナさん、俺、本当は眠りますよ。
あなたの夢を見るために。
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