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百一の祝福

2014/10/14 19:32

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「なぜ……」
 リュノの口からはその言葉しか出なかった。
 先程までの激しい怒りも絶望も、何もかもが一瞬で消え去ってしまうほどの驚きと困惑。
「先に行って待っておりますと申し上げましたでしょう?」
「でも、でも……」
 目の前に立っているのは大聖者(ライマルキア)のはず。
 故郷を発ってもう長い事、その祝福をいただくためだけに辛い旅をして来たというのに。幾度と無く悲しい別れもして来たというのに。
 何故、その大聖者がよく知っている顔なのだろう。声なのだろう。
 神々しいまでに気高く力強い姿も、長い長い髪も違う。普通の人間とはやはり違う、近づきがたい雰囲気もまた違う。もっと飄々としていてつかみどころが無いのに誰でも気を許せてしまう様な、そんな親しみやすい感じであったのに。
 だが、何もかも包み込んでしまうような深い碧い瞳とその微笑みは紛れも無く、別れの谷で消えたあの男と同じ。
 長く一緒に旅をしてきた黒髪の剣士と同じ。
「シリエスタ?」
 恐る恐るリュノはその名前を呼んでみた。
「はい」
 迷わず返事が返って来た。
「本当に……?」
「そうですよ。もう顔を忘れてしまわれたのですか?」
 忘れるはずなど無い。一時も忘れたことなど無かった。
 託された銀の剣を命の様に大事に抱きしめて、一体どのくらい泣いたというのか。己が半身を失ったような喪失感を味わったろうか。その姿を求めただろうか。見えぬ事を悔やんだろうか。
 生きているとは思っていた。いや、死んだなどと思いたくなかったのだ。
 しかし、まさかこの様な形で再会するとはリュノは考えた事も無かった。
「あの谷の黒い鳥も私だったのですよ」
 もう言葉では表せない様々な感情が一度に溢れて、リュノはその場に泣き崩れた。傷だらけの体を震わせて、ただただ泣くだけしか術が無かった。
 そっとシリエスタが屈みこんでリュノを抱きしめた。包み込む様に優しく。
「私も本当はこんな事はしたくなかった……あなたをこんなに苦しめて、こんなに悲しませたく無かった……」
 声には少し普通の人間らしい感情が篭っていた。
「それでもあなたは本当に強かった。自ら身代わりになってでも他の者を助ける勇気も見せていただいた。そして試練を乗り越えてここに辿り着けたではありませんか」
「でも……キーンもルミナスも……」
 再び声を上げて泣き出したリュノの耳に、声が聞こえて来た。
「リュノ様、私達は生きておりますよ」
「そうです、泣かないで下さい」
 その声は紛れも無く、玉の川と剣の山で消えていった者達の声。
 リュノが振り返ると、金の髪の英雄と、銀の髪の弓の名手が微笑みを浮かべて立っているではないか。何処にも傷一つ無く、元気そのものの姿で。
 涙など瞬時に止まってしまった。
「どうして?」
「私達も自分は死んだと思っておりました。後悔など一つもありませんでしたが、最後の時に聖者様方に助けていただきました」
 ルミナスが跪いて、リュノとシリエスタに深く頭を下げた。
「感謝いたします。大聖者様。再び我主の元に戻れました事を」
 キーンも同じく跪いた。
「お二人とも顔をお上げなさい」
 シリエスタがリュノの肩を抱いたまま立ち上がり、二人の方を差した。
「リュノ様、キーン殿もルミナス殿あなたのために迷うことなくその命すらも投げ出せる覚悟を見せてくれました。二人もまた、試練に打ち勝ったのです」
 大聖者の微笑は空気に朧に煌く光の粒を撒いた。
「この様に過酷な試練を課して人を試す事をお許しください。ここは聖域。助けを求めに来るものには慈悲を、そう創造主は仰りました。ですがこうも仰いました。この世の事はこの世の命に委ねよと。私達聖者と呼ばれる者は監視人に過ぎません。ここに辿り着いた者には世の憂いを自ら絶てるだけの力を授けましょう。ですが、皆が皆にそれだけの力を授けるとなれば、その力を自らのためだけに使う輩も出てまいりましょう。それ故、自らをも省みず、他人のために尽くせる覚悟を持った者のみを見極めさせていただく必要があったのです」
 目を伏せて僅かに悲しげにシリエスタが頭を下げた。
「本当に辛く悲しい思いをさせてしまい、許してはいただけないでしょうが」
「そんな……勿体無い事を。その様な深いお考えの上の事に文句をつけようなどと思った事をこちらこそお許しいただけるのでしょうか?」
 リュノも深く深く頭を下げた。その様子を見て、シリエスタが困ったように苦笑いを浮かべた。その表情はひどく人間臭かった。あの青年剣士に戻ってしまったように。
「勿体無いなど……リュノ様にその様に畏まって話されるとおかしな感じです」
「大聖者様が何を……」
 その様子を見ていたキーンがふき出した。
「失礼」
 この前までお前呼ばわりで、冗談を言い合っていた二人が、畏まって話しているのが面白くて堪らなかったのだ。つられてルミナスもつい笑ってしまった。
 そしてリュノも。やっとリュノの顔に花の様な笑みが戻った。
「さあ、まずは傷を癒しましょう」
 シリエスタがひらりと手を振った。
 長い衣の袖が光の尾を引いて翻ると、ふわりと虹色に輝く風が吹いてきた。煌く風は広がってリュノを包み、その周りを幾度か回ると神殿の白い階段の近くで真紅と薄紅の衣の二人の美しい女性の姿に変わった。
 剣の山を越えてきたリュノの傷だらけの足も、肩に走っていた赤い竜の爪跡も跡形も無く綺麗になった。
「次に清めを」
 今度は水色に煌くの風が吹いてきてリュノを包んだ。これも幾度か回って吹き去り、薄青の衣を纏った若い男性の姿に変わった。
 汗と涙と血で汚れたリュノの肌も髪も洗い清めたように美しく戻った。
 様々な聖者が代わる代わる現れて、リュノにそれぞれ祝福を授けてゆく。
 星が、花が、光が、歌声が、水が、緑が……次々と舞うように現れては人の姿になって、いつしか星への階段の下に長い列が出来た。
 最後に真っ白な美しい鳥が飛んで来て、口に咥えていた紫の小さな花で拵えた花冠をリュノの頭の上に乗せた。鳥は白い衣のリュノと同じ銀の髪の少年の姿に変わり、紫の衣の美しい女性と共に聖者の列に加わった。
 鳥はリュノの守護聖者ホス。紫の花はドノエノア。
 長い時間の後立っていたのは、大聖者と同じ真っ白の衣に身を包んだ、長い美しい銀の髪、白い肌に薄紅の頬、愛らしい花の蕾の様な唇、花冠のファムの花と同じ紫の瞳の可憐な姿。透き通る様なその佳麗なさまは、居並ぶ聖者達に混じっても引けをとらない。
 どこから見てもそれは少年ではなく、少女の、美しい姫君の姿。
「なんと……」
 キーンがぼうとして口を開けている。
 ルミナスは何度も頷いて目を細めた。彼は知っているのだ。これがリュノの本当の姿であると。
「リュノ様はトクヴァンの王と王妃のお子様で正統な後継者であられますが、王子様ではございません。本当は姫君。辛い旅にお出になる時に、か弱き身を捨て、男として生きる決意をなさったのです」
 もう隠す必要も無い事。
 ここは聖域の神殿。居並ぶ百一の聖者にも嘘偽りも何もかも、とおに見透かされてしまっているだろう。
 全てを隠しきれてはいなかったし、元々男勝りな性格であったものの、儚げで穢れを知らぬ姫君がその身を守るためには男である方が良いと思ったのだ。出来るだけ言葉遣いも動きも注意して、リュノは少しでも男らしく振舞おうとして来た。途中盗賊に教われて金銭を盗られはしたが、何とか本人は無事であったのもそのおかげであろうか。
「大変なご苦労であったでしょう? よく辛抱なさいましたね」
「いいえ。元は女であるとはいえ、今は違います。かといって男でもありませんが……僕……いえ、わたくしが闇の王子に最初に盗られたものは『女であること』なのですから」
 昔々、人々を苦しめた闇の王子は男であった。地下の|封印の迷宮《クノミア》に閉じ込められていたものが、長い年月を経て出てきて体を集める際に、一番最初に盗られた人間がリュノだった。王の心臓と王妃の魂よりも先に。それ故に復活した王子が今の世では女の姿をしているのだ。
「元々トクヴァンの王家の人間は魔力が非常に強い。その中でも最も特異な存在として生まれた彼は、その力を使う方向を間違えたのです。リュノ様は同じ一族の者として、その身に丁度良かったのでしょう」
 そう。同じ血が流れているのだ。その事を呪いたくもなったリュノだったが、同じ血がながれているからこそ、自らの手で倒さねばと思ったのだ。
「それでは参りましょう、トクヴァンへ。既に聖者に百一にバラバラにされた体のほとんどを取り戻した闇の王子は、その強い闇の魔力で今この時も人々を苦しめております」
 大聖者はリュノの手を取り、神殿の入り口を指し示した。
「しかし、どうやって倒せば良いと申されますか?」
 不安げに見つめるリュノの顔を見て、大聖者の顔に少し悪戯っぽい笑みがのぼった。その顔はシリエスタそのものだった。
「すでに闇を断ち切れる聖剣はお渡ししてありましょう? キーン殿とルミナス殿も一緒です。もう怖いものなどありませんよ」
 抱きしめたままだった剣を見て、リュノは苦笑いを隠せなかった。
 なるほど、大聖者より賜った剣というわけか。道理で軽くリュノの小さな手にあつらえたようにしっくりと握れたわけだ。
「それに私も一緒に参りますよ。あなたをお守りする剣士として。」
 さすがにこの言葉にはリュノもキーンもルミナスも驚いて目を丸くした。後ろに居並ぶ聖者達に静かなどよめきが上がった。
「聖者様方は手を出してはならぬという決まりなのではありせんでしたか?」
「大丈夫です。私はどうせ大聖者の位を捨て、山を降りねばなりません。最後の我侭くらいは神様もお許し下さると思いますよ」
 にっこりと、更に人懐っこい笑みが深まった。
「なぜ……?」
「私は既に大聖者としてあるまじき心を持ってしまったからですよ。人より長く長く生きてきて、時折人に紛れて下界に下りていた事もありましたが、この度あなたと旅を共にして初めて知った事があるのです」
 大聖者の近寄りがたい雰囲気が薄れ、リュノのよく知っている剣士シリエスタに少しづつ変わって行くようだった。
「私達は生まれた時から特別な魂を持つ者として、誰か特定の人では無く、全ての命を全ての魂を分け隔て無く見守るよう創造主より教えられました。ですが、私は……」
 後は続かなかった。ふわりと袖を翻してもう一度リュノを抱きしめた大聖者の腕は微かに震えているようだった。
「……あなただけのお側にいても良いですか?」
「……」
 返事は無かった。リュノの隠れた顔に微かに紅が差したのも誰にも見えなかった。ただ、薄橙の衣を纏った女性の姿の聖者が一人、深い微笑を湛えて二人を見守っていた。
 彼女はニア。恋の聖者。

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まいるどタブレット小説 Ver1.13