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光の勝利

2014/10/14 19:32

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 カン、と高い音が響いた。
 リュノの聖なる銀の剣は闇を固めたような黒い長い剣に阻まれ、相手には届かなかった。
 すかさず体勢を立て直して斬りかかって行くが、ある時はすいとかわされ、ある時は軽く剣で受け止められていなされる。どう見ても勝ち目など無いようにも見えるが、絶対に諦めないという執念が何度でもリュノを動かした。
 恐らく本気を出せば細腕のリュノなど一撃で仕留められるだろうが、黒い美女……闇の王子は少しでも長く楽しみたいとでもいうかの様に自分からは討って出ずに受ける一方。そんな二人の立ちあいは、優雅に舞を舞っているかにも見える。細長く結われた銀の髪が獣の尾のように揺れて光の帯を引いて煌く。黒い衣がひらりと舞い、爛熟した果実のような赤い唇は不敵な笑みを浮かべたまま。その様にしばしシリエスタも目を奪われたが、悠長な事を考えている時ではないと慌てて首を振った。
 一向に傷一つつけられぬ状況に苛立ちを覚え始めたリュノは、一旦離れて息を整えていたが、やはり闇の王子は追っては来なかった。
 シリエスタが立ち上がった。
「私も一緒に」
 リュノを庇うように中に入り再び剣を構える。
「大丈夫ですか?」
「平気ですよ」
 まだ少し血が出ていたが、表情はいつもの平静な顔。
「聖者は手出ししてはならぬ掟では無かったかの」
「もはや私はそのような者では無いと言ったはずだ。リュノ様をお助けする事だけが私に残された道」
「ほう、儚い命の人の子に心奪われ血迷うたか。面白い、望みどおり一緒に旅立たせてやろうではないか。暗い暗い地の底へ」
 嘲笑うかの様な笑みを更に深めた黒衣の女が、ぶん、と力強く黒い剣を振りかざして二人にかかって来る。やっと本気になった様だ。
 剣と剣のぶつかり合う音が続く。
 今の闇の王子の体はあちこちから最高のものばかりを選りすぐって集められた最高の体。最も早い足、良く聞える耳、そして最も良く見える目と力強く剣を振るう腕は逃したものの、他の誰かの二番目に良い目と腕を得ているだろう。美しいだけでなく、戦うにも最も適した体だと言えよう。
 見事としか言いようの無い隙のない動きに、二人がかりでもなかなか苦戦していたが、交互に剣を受け、かわしながら怯まずに攻撃を仕掛け続けていると、わずかにリュノ達の方が押してきた。
「ふん、小賢しい」
 闇の王子は剣技だけでは不利だと悟ると、剣を握っていない方の左の手を赤い唇の前に持って来て、ふうっと息を吹いた。それは黒い霞となって広がり、巨大な網となってリュノを包んだ。強い闇の力に、聖なる光の守りも打ち砕かれてしまった。
「わあっ!」
「リュノ様!」
 網を手繰り寄せてリュノを引き寄せると、闇の王子は片腕で強く抱きしめ、剣をシリエスタに向けて牽制した。
 そのまま剣をリュノの首にあて、耳元で囁く。それは優しい口調だった。
「可愛らしい顔をして、そなたも罪よの。大聖者を惑わすとは、我よりも極悪人ではあるまいか? 知っておるか? 恋を知った聖者はやがて塵になるのだぞ。世を束ねる大聖者を、そなたは殺したも同じ。恐ろしい事だな」
 動けばリュノが危ない。シリエスタは近寄る事も出来ずに剣を下げた。
「聞いてはなりません、リュノ様」
 いかに辛い旅を経て、聖域の祝福を受けてきたリュノとはいえ、心はまだ若い乙女のまま。自分でもこれは恐ろしい事をしてしまったのではと気がついていただけに、柔らかな心に言葉は棘となって突き刺さった。
「僕は、そんなに罪深いのですか?」
「そうだよ。沢山の人を殺めたと我を非難する資格があろうか?」
 もう捨ててきたはずの絶望が、再びリュノの顔を悲しげに染めた。そんな顔をシリエスタは見たく無かった。
「リュノ様は何も悪くない!」
 飛び出しかけたシリエスタを見て、黒い剣の刃に力を籠め、リュノの細い首に近づけて女の顔が妖艶に笑った。
「この姫様はどんな素晴らしい最後の声を聞かせてくれるだろうね? それともいっそこの体全てをもらおうか」
「……何という事を……」
 唇を噛んだシリエスタの表情を見て、女の顔が更に口の傍を上げた。
「憎い憎いと思っていた大聖者の、そのような悔しげな顔を見られるだけでも楽しいぞ。さて、全てを捧げる覚悟の者を目の前で殺せば今度はどんな顔をするのであろうな?」
 もうシリエスタの我慢も限界だった。本気を出して聖なる力を使えば簡単に倒せるであろう相手。だがそれはだけは出来無いのだ。この世の理を歪めればば、この国の事だけでは済まない。
 せめてこの身で刺し違えてでも、リュノだけでも……と、剣を握り直したシリエスタの目の前を、ひゅん、と光る一筋の光がリュノの喉に剣をあてがう白い手に向かって飛んだ。
 それは一本の矢だった。
 矢は刺さりはしなかったが、それを払うために黒い剣を握った手がリュノの首から離れた。その隙に大慌てでリュノは逃げだす事に成功した。
「おのれ……!」
 王の間の入り口に、銀の髪の射手と金の髪の英雄が立っていた。
「我々もおりますぞ」
「ルミナス! キーン!」
 広場の魔物を早々に片付け、リュノの帰還に生きる希望を取り戻した人々に後は任せ、慌て駆けつけたのだ。
 彼等もまた、リュノと同じく聖域の祝福を受けた者。
 形勢はリュノ達の方に傾いた。
「さあ、この世の憂いを晴らしましょうぞ」
 キーンが剣を抜きルミナスが矢を番える。リュノも剣を構え直した。
 怒りの形相も露に、闇の王子が黒い剣を振りかざした。闇の主の元に無数の魔物が集まり、四人に向かってかかって来る。もうそれは最後の足掻きのようにも見え、仲間を得たリュノは恐ろしいとも思わなかった。
 金の剣が閃き、白い矢が飛び、銀の剣が魔を弾く。
「どうせ掟を破ったのです。お前の代わりに地の底に封じられようと構わない。最後に僅かばかりの力を使わせていただこう」
 シリエスタが手にしていた剣を足元に突き立てると、床から無数の光が伸びた。それは金色に輝く蔦となって闇の王子に巻き付き始めた。
 王子は黒い剣で薙ぎ払いながらかわしていたが、幾本かの蔦がその腕に、足にとり付いた。だがまだ完全に動きは止められない。
「僕も!」
 リュノが小さく呪文を唱えて銀の剣を振ると、今度は白い光が伸びて金の光の蔦を助ける様に絡まった。
「ええい、うっとおしい!」
 髪を振り乱して逃れようとする黒い姿だが、暴れれば暴れるほど蔦は絡まり、その戒めを強くするばかり。本気を出した大聖者の力の前にはいかに強い魔力も及ぶべくも無かった。
 キーンの金の剣が閃いて黒い剣を叩き落し、ルミナスの矢が、正確に心の蔵を打ち抜いた。
「リュノ様、とどめを! 闇を絶つ聖剣で頭(こうべ)を」
 シリエスタの声が響く。
 光の蔦に絡まれもがく闇の王子の黒い髪の間に覗く、白い額めがけてリュノは思いきり聖剣を突き出した。

 何とも形容し難い声が城中に響き渡った後、静寂が訪れた。
 目を閉じ、未だ剣を握ったままのリュノの耳に、遠くで鳥の声と鈴の音が聞えた気がした。
 そっと開けた紫の瞳に映ったのは、目を開いたままの白い女の顔。
 眉間に銀の剣を突き立て、明らかに息絶えているとわかるが、一滴の血も出ていないのがいっそ不気味であった。
 操り人形のごとく力の抜けた体を吊り下げていた光の蔦が、リュノが剣を抜くと同時にすうっと消え、支えを失った体は音も無く床に崩折れた。
「終わったの……?」
 小さく呟いたリュノだったが、まだ自分の身に変化が無い事に気がついた。玉座の横に身を寄せ合った王と王妃も石のまま。
 闇の王子を倒したというのに、何も変わりはしないではないか。
「シリエスタ? 何も変わらないよ」
 不安げに覗き込むリュノの肩に、そっとシリエスタの手が伸びた。
「少しお待ちください。もうすぐです」
 シリエスタは微笑んで、リュノの肩に置いた手と反対側の手をひらりとかざして、何かを招くような仕草を見せた。
 先程、遠くで響いていた音が段々と近づいてくる様だ。鳥の声、鈴の音、風の音、歌声、水の音……。
 キラキラと輝く沢山の光がバルコニーから次々に王の間にやってきた。
 それは聖域(ファイラ・イル)から来た百一の聖者達。
 光は床に倒れた闇の王子の体に集まり、踊るように、回るように、包み込むように瞬いていたが、ぐっと一つに集まると黒い姿は見えなくなった。
 ぱっと光が弾けてそれぞれ散ると、王子の倒れていた場所には何も残ってはいなかった。
 一つの光が石と化した王に入った。次に違う光が王妃に。
「ああ……!」
 王の頬に血の気がさして、恐怖と怯えに固まっていた表情が消えたではないか。王妃も瞬きをして、リュノの方を見て微笑んだ。
「お父様、お母様!」
 駆け寄り、母の胸に飛び込んだリュノにも一つの光が飛び込んだ。温かいものが体に染みこんでいく様な感覚に、リュノは大きく息をついた。
 ああ……奪われたものが戻って来た。
 安堵した途端、今まで堪えていた涙が頬を伝うのをリュノは感じた。
 これは嬉しい涙なのか、それとも悲しい涙なのかもわからない。
 全てが終わってしまったら、シリエスタはどうなるのだろう。
 もう何も残っていない様に見えた、闇の王子の倒れていた場所に小さな小さな真っ黒の石が一つ落ちていた。
 シリエスタはそれを拾い上げると、悲しい目でその石を見てから強く握り締めた。その様子を見て、ルミナスが首を傾げた。
「それは?」
「これは王子の魂です。もう二度と復活出来無い様にいたしましょう」
 シリエスタが指先に摘んで力を籠めて、黒い石を粉々に砕いた。ふっと息を吹きかけると黒い粉は金色に輝いてすうっと消えて行った。
 闇の王子に奪われた体を元の持ち主に運び終えた光が幾つか帰ってきて、王の間にはいつしか聖者の列が出来ていた。
 黒く淀んでいた空気は清浄になり、満ちていた妖気は消し去られて神聖な気が城を満たしていく。
「終わりましたね」
 それぞれ武器を納め、跪いて頭を下げたリュノ、キーン、ルミナスに微笑んでから、シリエスタが聖者達の元へ歩を進めた。
「皆さんご苦労様でした」
「大聖者様(ライマルキア)、本当に聖域にお戻りにならないのですか?」
 紫の衣の女性の姿の聖者が、美しい顔を曇らせて言った。
「もう戻れません。私は沢山の間違いを犯しました。一つの後悔もありませんし、もう覚悟は出来ています。闇の王子の魂に代わり、私は|封印の迷宮(クノミア)の底に眠りましょう。父なる者の意思に背いた私の罪がそれで消えるとも思えませんが」
 そう言って、シリエスタは微笑んだ。いつもの人懐っこい笑顔で。
「さあ、私を封じてください」
 それは大聖者の聖者達への最後の命令であったろう。目を閉じて手を広げたシリエスタに、リュノは慌てて取り縋った。聖者達の前だが、もう畏まる事も忘れて。
「シリエスタを……大聖者様を連れて行かないで下さい。もしも絶対に許されないのならば、僕も一緒に!」
「リュノ様……」
 その二人の様子に、何人かの聖者が進み出て、中でも穏やかな老人に見える悟りの聖者が静かに言った。
「大聖者様、誰か一人を愛する事、この世の事はこの世の命に委ね、聖域にいる者は手出ししてはならぬという一番大きな約束を違われましたが、貴方はその上にもっと大きな過ちを犯されるつもりですか?」
「もっと大きな過ち?」
 今度は薄橙の衣を纏った女性の姿の聖者が答えた。
「このトクヴァンの姫君から一生笑顔と愛を奪われるおつもりですか? たった一人の幸せも守れずにこの世の全てなど守れましょうか?」
 穏やかに恋の聖者に微笑まれて、リュノとシリエスタは顔を合わせた。
 その時、上から金色の光が柱のように降りてきた。慌て聖者達を含む皆が後ずさる中、城の天井も関係なく空からやってきた光はシリエスタを包んだ。
 光が再び天に戻って行くまでどのくらいの時間があったろうか。
 皆が見守る中、何事も無かったかのようにシリエスタが立っていた。
「創造主様よりお許しをいただきました。次の代に大聖者の名を譲り、魔力と長い命は返しました。本来ならば数日で塵と化す身ですが、この後は人間として人並に生きてゆけと仰っていただきました」
「それでは……」
「はい。本当の人間になれるのです」
 リュノの大好きな人懐っこい笑顔を見せたシリエスタの顔は、今までに無く晴れ渡っていた。その胸に、リュノは思いきり飛び込んだ。
「どうすればよいのですか?」
「姫様の口付けを」
 悪戯っぽく答えたのは、シリエスタでなく聖者達だった。
 薄紅に頬を染めたリュノが背伸びをして、少し屈んだシリエスタの頬に手をやり、そっと唇を重ねた。
「もう一度聞きます。ずっとあなただけのお側にいてもよいですか?」
「ずっと側にいて。僕……わたしだけを見て」
 強く抱きしめあった二人の姿を、無数の光が囃し立てる様に飛び交った後、バルコニーから西の空へと消えて行った。
 こうして、一つの物語は終わった。

 金の髪の英雄はまた人々を助けるために旅に出た。
 銀の髪の弓の名手はその後も長く忠臣の鑑として城に仕えた。
 黒髪の剣士は、紫の瞳の美しい姫と結ばれて王の跡を継いだ。
 緑の山々に囲まれた美しいトクヴァンの国はその後栄えて、王家は子宝にも恵まれたが、二度と闇の力を持った子は生まれず、清らかな歌声の響く美しい国として永く平穏な年月が流れた。
 これは昔々の物語。
 今も遠い西の果て、聖域(ファイラ・イル)の山の上の神殿で、百一の聖者(ライマラルタ)達と一人の大聖者(ライマルキア)は世界を見守っている。
 長く辛い試練を乗り越えて助けを求めに来る者を待ちながら。


  おしまい

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まいるどタブレット小説 Ver1.13