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赤い道

2014/10/14 19:31

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 乾いた風の吹きぬける一面の真っ白な砂の世界。その真ん中の一本の赤い筋。
 赤毒竜(ラカマカ)の鱗で舗装された聖域への道。
 一頭の竜馬に乗った小さな人影と、その手綱を手にした背の高い従者は旅の途中。
 夕暮れ。聞えるのは風の音と、馬上の人物の唄う声だけ。

  ファムの花を摘みましょう
  銀の籠いっぱいに
  ルノアの月のそのまた向こう
  聖域(ファイラ・イル)の聖者(ライマラルタ)に届けましょう
  玉の川を越えて、剣の山を越えて……

 鈴を鳴らすような涼やかな歌声がふいに止まった。
「あれ? もう唄わないのですか?」
「水の匂いがする」
 言われて従者シリエスタは辺りを見渡した。一面の砂漠の中、まだオアシスらしき物も見えない。だが、そろそろ水筒の水も残り僅かになっていた。
「リュノ様、何も無さそうですが」
「少し先にノキの花が咲いているだろ。その下」
 このお方は獣よりも鼻がいいのでは……そう呆れつつ、シリエスタは言われた通り砂漠に咲くノキの花を探した。道から外れて幾らか歩くと、小さな小さな白い可憐な花が輪を描く様に咲いていた。爪の先より小さい砂と同じ白い花は、普通に歩いていたら見過ごしてしまうだろう。
「本当にありましたね」
「僕が嘘を言うと思ってたの?」
「め、滅相も無い」
 ああ怖い。ご機嫌を損ねたら今夜もテントに入れてもらえなくて外で寝る羽目になる。我が主は見た目こそ可憐で美しいが気性は激しい……慌ててシリエスタは首を振った。
 リュノ様と呼ばれた馬上の主が身軽に飛び降りた。背の高いシリエスタと並ぶと肩の辺りまでも無い小柄。すっぽりと頭から布を被っているが、僅かにのぞく白い肌と紫の瞳だけでも充分にその美貌を想像させた。
「魔力の強いものが必用だな。その剣を貸して」
「ええ? これは由緒正しき聖剣なのですよ。ご自分の杖をお使いなさい」
 シリエスタは腰の剣を隠すように身を捩った。
「……この頃すごく反抗的だよね、お前」
「とにかくこれだけは絶対イヤです」
 銀の剣はシリエスタにとって命と同じくらい大事なのだ。渋々、リュノは竜馬の背に荷物と一緒に括り付けてあった自分の杖を手にした。これとて星の木の枝から作った魔力の高い杖だ。
「ホス・ライマラルタの名において」
 小さく唱えた後、リュノが花の輪の真ん中に杖を立てると、こぽこぽと音をたてて水が噴出してきた。キラキラと夕日を浴びて輝く水に、喉が渇ききっていた竜馬が嬉しそうに嘶いた。
 水は砂に吸い込まれる事も無く、小さな泉になった。
「今日はここで休もう。もうすぐ日が暮れる」
「そうですね。ではテントを用意します」
 そそくさと用意に走るシリエスタを尻目に、リュノが被っていた布を脱ぎ捨てて清らかな水に手を浸した。何の苦労も知らぬ様な、細くて白いたおやかな手。水面に映るその顔は、花さえも恥じ入ってしまいそうだ。紫の目、銀色の髪、この砂漠の様に白い肌。
「何と醜い……」
 そう呟いて水面をばしゃっと叩いた。広がった波紋は顔を歪ませた。

「お母様、このくらいでいいでしょうか?」
 その夜も空にはルノアとモリエの二つの月が輝いていた。空はリュノの瞳と同じ明るい紫に染まり、美しい星空だった。
 その明るい夜の庭で、リュノは花を摘んでいた。
 明日はドノエノアの日。聖域の百一の聖者の一人、紫の髪の乙女の姿をしたライマラルタを称える日。彼女の象徴である紫のファムの花を籠に一杯に摘んで祭壇に飾るのだ。
「籠が一杯になったらもういいですよ。無駄な命を摘んではいけません」
 城のバルコニーで母が微笑んでいる。
 リュノは嬉しげに籠を抱えて城内に駆け戻った。ドノエノアの日が終わったら、このファムの花は母が美味しいお茶にしてくれる。リュノはファムのお茶が大好きだった。
 階段を軽い足取りで駆け上るリュノの足が止まった。何かが体を撫でていったのを感じたのだ。それはとても冷たく不快な気配だった。
「何?」
 ふと抱えていた籠を見ると、先程まで生き生きとしていた花が枯葉の様に萎れているではないか。
「――――!」
 謁見の間から悲鳴が聞える。
「お父様? お母様?!」
 籠を放り投げ、リュノは父と母の元へ急いだ。
 父は玉座に座した姿でそこにいた。母はその傍ら、父の腕に縋り付く様に膝を付いて。身を寄せ合った二人は一見、微笑ましい愛溢れる姿に見えた。
 だがその表情は、目を見開き口を開けて驚きか恐怖かを映し出したまま動かない。
「お母様、お母様!」
 リュノが母に触れると、言いようも無く冷たかった。そして固い。
「石……」
 何が起きているのか全く分からず、後ずさったリュノの耳に笑い声が響いた。
 ふふふ――――。
 振り返ると、一人の女が立っていた。真っ黒の髪に真っ黒の衣。
「長かった……忌々しい勇者と大聖者(ライアルキア)に百一にこの身を分けられ、クノミアの奥底に閉じ込められて幾つの星を数えたか」
「お前は誰? お父様とお母様を石にしたのはお前なの?」
 女は答えなかった。ただ妖艶に笑っただけで。
「誰か! 誰かいないの?」
 城中に響きわたる声でリュノは助けを呼んだ。
「誰も来ぬ」
 その言葉通り、城は静まり返り、物音一つしない。
「王からは心臓を、后からは命をもらった。お前からは……さて、他の部分も最高のものを集めようではないか。百一の体が揃ったら我は完全に復活し、憎き聖者共に復讐を遂げようぞ」
 ふわりと黒衣の女は宙に浮いた。
「待て!」
 追おうとしたがリュノの足も石と化した様に動かず、女は黒い霞に姿を変え、バルコニーから夜空に消えていった。
「百一に体を……まさかあれは闇の王子? 復活したと言うの?」
 ふと、先程の女の言葉を思い出したリュノは自分の体を確めてみた。お前からは……そう言った。自分も何か盗られたのだろうか? すぐには分からなかったが、それが何かわかった時、リュノは悲鳴をあげた。
「いやああああぁ――――!」

 昔々、このトクヴァンの国に生まれた王子は血を好み、沢山の人を殺めた。見世物として人を戦わせ、国中の美しい女達を集めて玩んでは飽きると殺し、必要も無く狩りをした。獣だけでは飽き足らず、最後は連れてきた民を狩場に放って弓を射た。非道な蛮行を諌めようとした王も、妖しい魔法を使う王子に石にされ、困り果てた民はファイラ・イルの聖者に助けを求める事にした。西の果て、誰も辿りついた事の無い聖域に、王子に両親を殺された若者リュノイが旅に出て、三つの星を数えた後、大聖者(ライマルキア)より授かった魔法と剣を持ち帰り、見事王子を討ち果たした。闇の力に守られた王子は聖者の数の百一に体をわけられ、大地の奥深く|封印の迷宮《クノミア》に封印された――――。

 これがトクヴァンに伝わる勇者のお伽話。まさか本当だったとは。
 父、母を石に変え、自分からも大切なものを奪い去った。伝説の勇者から名をもらったリュノは旅に出る事を決意した。
 昔々の勇者と同じく、西の果ての聖域に、大聖者より闇の王子を倒すための力を授かるために。
「もうすぐ夕飯が出来ますからね」
 長閑なシリエスタの声。
 城を出てすぐ、頼みもしないのに人懐っこい顔でついて来た黒髪の背の高い剣士は、もはやリュノにはいなくては困る存在になっていた。旅立ちを決意したのはいいが、城で何不自由なく育ったリュノにとって外の世界は危険に満ち溢れている。王族ゆえ、高度な魔法は身につけているが、こうやって食事の準備をする事すら知らなかったのだ。
「いい匂い。シリエスタのリコのスープは最高だね。でもたまには違う物も食べたいな」
「この砂漠を抜けたら海です。ナバルの港町についたら魚が食べられますよ」
 我侭にもこうやって優しく返してくれる、この旅の共を遣わしてくれたのは、きっと大聖者様なのだろう……リュノはそう思うことにした。
 砂漠の赤い長い道を西へ西へ。
 トクヴァンをリュノが旅立ってもう星が一回りした。ファイラ・イルへの旅は続く。

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まいるどタブレット小説 Ver1.13