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英雄の腕

2014/10/14 19:31

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 何日も砂漠の道を進み、リュノとシリエスタは港町ナバルに着いた。
 何処までも広がる青い海に、いつも無表情なリュノも少しはしゃいでいる様に見える。
「大きいんだね、海って」
「リュノ様は海を見るのは初めてなのですか?」
「うん。トクヴァンの王都は山の中だから。そういうお前は初めてじゃないの?」
「昔、船に乗って何日も海を渡った事がありますよ」
 もう一緒に旅をして来て久しいというのに、考えて見ればリュノはシリエスタの事をほとんど知らない。黒髪はトクヴァンの民にはいないので、異国の出身だとは思っていたが、一体どこから来たのだろうか。
「海の向こうから来たの?」
「昔の話ですよ、昔の」
 何か誤魔化す様にいつもの人懐っこい笑みを浮かべ、シリエスタが市場の方を指差した。
「賑やかで楽しそうですね。竜馬を何処かに預けて町の中を見て回りましょう」
「そうだね」
 昔の? そんなに歳上には見えないのに可笑しな事を言う……リュノはそう思ったが、シリエスタの言うとおり、久しぶりに沢山の人のいる賑やかな町の様子に、すぐに気持ちがそちらに向いた。
 宿屋を確保し、荷物と竜馬を預けて、二人は町を散策に出かけた。これから先の旅の準備もしなくてはならない。食糧や薬草、魔物除けの護符も残り少なくなってきていたので買い足さねば。旅立った時、一国の王子であるリュノは金銭面では困っていなかったが、途中追剥にも遭い、金目の物も少なくなって来た。まあ、この町での宿代や買い物の代金くらいは今身につけている指輪を売ればお釣りが来るだろう。
「この指輪を売れる所はあるかな?」
「それは母上からのお守りでしょう? それだけは売ってはいけません」
「でも、もうあまりお金が無いよ」
 そう言われ、シリエスタはにやりと笑った。
「私にお任せ下さい。リュノ様は何も心配などなさらなくて良いのですよ。ほら、魚を焼くいい匂いがしますよ。まずは腹ごしらえを致しましょう」
 活気のある港町。あちらこちらで市が立ち、新鮮な魚や果物が色とりどりに並んでいる。
「美味しかったですね」
 魚と新鮮な野菜、少しばかりの酒を胃に収めてシリエスタはご機嫌だ。リュノも久しぶりに生の果物を口にして人心地がついた。だが、やはり先の事が気になって払いが出来るか算段していたところ、
「おお、なんだなんだ? 喧嘩か?」
 ふいに町が賑やかになった。船乗り、漁師の多い港町。血の気の多い者が多い。喧嘩が始まるとちょっとしたお祭り騒ぎだ。
「喧嘩じゃねえぞ! どうした、誰かかかって来ないのか? 俺に勝った奴にはこのお宝全部くれてやろうって言ってるのに。そんな度胸のある奴はこの町にいないのか?」
 人だかりの中で、金の髪の大柄の男が叫んでいた。誰がどう見ても酔っている。証拠にその手には高価な酒瓶。足元にも数本転げていた。横には口からはみ出さんばかりの金銀財宝を詰め込んだ袋が置いてある。
 背中に背負った金の柄の大降りの剣、日焼けした筋肉質の引き締まった体は、鍛え抜かれた戦士である事を物語っている。何をそんなに荒れているのだろうか?
「キーン・ローカスじゃないか。何処の誰があんな奴に勝てるかよ」
 船乗りか漁師か、屈強そうな男達が眉をひそめて囁いている。
 魅力的な話だが、誰も掛かって行こうとはしない。リュノは遠くからその様子を眺めていたが、不思議そうに食堂の店主に尋ねた。
「あの男は有名なのですか? ただの酔っ払いにしか見えませんが」
「たった一人で隣のヘルネの国の民を苦しめていた双首竜(ラカフェル)を退治した英雄ですよ。お客さんはご存知無いのですか?」
「すみません、旅人なので」
 そう答えたが、内心驚きを隠せなかった。双首竜といえば小山ほどもある大きな魔獣で兵が百人かかっても倒せるかどうか。それをたった一人で倒したならば余程の強者であろう。それがなぜあの様に荒れているのか。
「もっと近くで見てこよう」
「リュノ様!」
 ふわりと席を立ったリュノの後を慌ててシリエスタが追いかける。
 人だかりは疎らになり始めていた。
「ちぇっ、つまらねぇな」
 キーンは胡坐をかいてまだ酒をあおっている。その青銅色の目に、ほっそりとした銀の髪の麗姿が飛び込んできた。
「おお、麗しの姫君。この様な無様な姿を笑いにいらしたのですか?」
「姫で無くて残念だった。英雄の顔を近くで見たいと思い来たのだが」
 今度はその横にいるシリエスタの腰の剣が目に入ったらしい。
「兄ちゃん、良い剣をぶら下げてるじゃないか。どうだい? いっちょ手合わせしてはくれないか? 俺に勝ったらこの財宝全部くれてやる。隣の別嬪さんにもう少しマシなドレスでも買ってやれるぞ」
「無礼者。このお方は……」
 リュノがシリエスタの腕を掴んで首を振った。この人だかりで身分は明かしたく無い。
「やるのか? やらねえのか?」
「……仕方ありませんねぇ」
 シリエスタは大儀そうに肩を竦めてから、リュノに向き直った。
「リュノ様、ちょっと離れていて下さい。危ないですよ」
「え? お前、戦う気なの? 双首竜を倒した強者だよ?」
 旅の途中、砂漠や森で襲ってきた獣や魔物を追い払うのは見たことがあるが、シリエスタが人と戦うところなどリュノは見たことが無い。自ら剣士を名乗る身だから、そこそこ腕に覚えはあるのだろうが……。
「挑戦者だ!」
 再び人だかりが厚くなり、野次が飛び交う。
 金の髪の英雄は立ち上がると背の高いシリエスタよりもまだ大きかった。腕周りなどは女と男ほどの違いがある。どちらかと言うとシリエスタはひょろりとした細身だ。
 二人が剣を抜いた。
「へえ、北の星の聖剣じゃないか」
「ご存知とは光栄。では始めましょうか」
 テーブルゲームでも始めるかの様な長閑な声でシリエスタが言うと同時に、キーンが動いた。大柄で、その上泥酔しているとは思えぬ俊敏な動き。だが、それ以上にシリエスタは早かった。
 キン! カン!
 剣のぶつかり合う音に、野次馬達の興奮も高まっていく。
「頑張れ細いの!」
「やるじゃないか!」
 ひらりひらりと軽く身をかわすシリエスタは優雅に舞っている様に見えた。
 キーンも負けてはおらぬ。しなやかな獣を思わせる力強い動き。先程酔って胡坐をかいていた男とは思えない。流石は英雄というところであろう。
「すごい……」
 リュノも心配も忘れ二人の動きに魅入っていた。
 楽しんでいるかにも見える打ち合いはどの位続いたろう。どちらも決定的には決まらず長引くかと思われたが、勝負はふいに決着の時を迎えた。
 大きく振りかぶったキーンの剣が今まさにシリエスタの頭上に下ろされようという時、
 カン!
 一際大きな音を立て、金の剣は弾かれて勢いよく宙を舞った。慌てて野次馬が飛び退く中、石畳の目地に深く剣が突き立ったのは丁度リュノの目の前だった。
 銀の剣の切っ先がキーンの喉元に突きつけられていた。
「これでよろしいでしょうか?」
 シリエスタがそう言い放った瞬間、わあっと周囲から歓声があがった。
「何故切らない?」
「本気も出さない相手を切れますか。こちらこそ問いたい。何故左腕しか使わなかった? あなたの利き腕は右でしょう? 手加減だとすれば私は面白くありません」
「あんたみたいに強い相手に手加減などしねえ。そっちこそ手加減しやがって」
「ではあいこで」
 剣を鞘に収めるとシリエスタはさっさとキーンに背を向け、リュノのところへ戻ってきた。その顔はいつもの人懐っこい穏やかな笑顔だ。
「お待たせいたしました。さあ、参りましょう」
 リュノも嬉しそうだ。怪我も無くお供の剣士が帰って来た。しかも強いところも見た。
 人だかりから遠ざかって行く二人の後を、キーンが追いかけてきた。
「約束の金を持って行かないのか?」
「あいこと言ったでしょう。勝っていないのに貰えません」
 素直に貰っておけば良いものを……リュノは少し思わなくも無かったが、シリエスタにも何か思うところがあるのだろう、何も言わなかった。
 キーンはまだ納得が行かない様だ。二人の前に回りこみ、道の真ん中に座り込んだ。
「邪魔ですよ」
「俺はあんたみたいな強い奴に切られて死にたいんだ。それも叶わず、約束も果たせずではあんまりじゃないか」
「あなたほどの英雄が何を死を望む事がありましょう」
「……俺はもう英雄などでは無い。民を守る剣を振るえたのは過去の話。今は人の役にもたたぬ。このまま生き恥を晒すのならいっそ死んでしまいたい。先程わかっただろう? 剣を持つこの腕はもう使えぬ。使わなかったのでは無い、使えぬのだ。ある女にこの腕を触られてから」
 使えぬ腕であれだけの立ち回りを出来るなら、本調子であったら危なかったなとシリエスタは思った。リュノは別のところが気になっていた。
「女に触れられた? それは黒髪の黒衣の女ではないか?」
 キーンは頷いた。
 最高の物を集める……あの夜、あの女はそういった。
「やはり。最初に手に入れたものゆえに今は女の姿をしているが、それは伝説の闇の王子だ。あなたの腕は王子に見込まれるほどのものだったのか」
 しばらく何か考え込む様に、リュノは遠い目で空を見ていた。その様子が普通の旅人では無く、高貴な者である事を感じさせ、キーンはシリエスタに問うた。
「このお方は?」
「トクヴァンの国の王子リュノ様です。故あってファイラ・イルへ旅の途中です」
「それはとんだご無礼を!」
 キーンは姿勢を正して跪いた。
「キーン・ローカスと言ったね? その腕を見せてくれる?」
 リュノに言われ、キーンは左の手で石のように動かぬ右腕を持ち上げて見せた。その腕に、白い美しい手が当てられ、金の髪の英雄は少し頬を染めた。
「僕がこの腕を動けるようにしたならば、あなたは力を貸してくれる? この先旅はもっと大変になるだろう。魔物の森も抜けなければならない。あなたほどの剣士がいてくれると心強いのだけれど」
「勿論、喜んでお供させて頂きますが……」
「リュノ様?」
 シリエスタが止める前に、リュノはキーンの腕にくちづけした。桜色の唇が触れた部分が微かに輝き、聖者の一人、ホスの象徴である鳥の形が浮かんで消えた。ホスはリュノの守護聖者だ。
「……これでいい。動かしてごらん」
 恐る恐る腕を動かしたキーンの表情が変わってゆく。動く。力も入るではないか。
「ああ! 元に戻った!」
 喜ぶキーンの横で、リュノが目を細めて笑みを浮かべているが、その左の手が右の腕を押さえているのにシリエスタが気づいた。
「まさか……! リュノ様、腕を上げてごらんなさい」
「え、えっと……」
 リュノは誤魔化そうとしたが、珍しく怖い顔で睨みつけるシリエスタに逆らえなかった。
 細い腕は石のように固まり動かなかった。
「取り替えましたね? 何という事をなさるのですか!」
「それはつまり……」
 状況を飲み込めた時、キーンの目に涙が浮かんだ。
「何という事を……このキーン・ローカス、たとえこの腕が動く様になったとはいえ、王子に身代わりになって頂いたとあれば嬉しくありません」
「いいんだよ、僕のこの非力な腕は元々何の役にも立たないもの。すまないと思うのならその双首竜さえも打ち負かす腕を人の役に立てておくれ。あちこちにあなたと同じように体の一部を持っていかれた者がいる。百一の体が揃ったら闇の王子は多くの民に危害を成す。それを止めるためのファイラ・イルへの旅を助けておくれ。僕の腕となって」
 微塵の後悔も無い紫の瞳に、感極まってキーンは男泣きに泣いた。
 しばらくして跪き、深く頭を下げたキーンに、酔って管を巻いていた男の翳は無く、騎士然とした姿は凛々しく引き締まっていた。
「真の忠誠を誓います。リュノ王子、この命に代えましてもあなたをお守りいたします」

 こうして旅の共が一人増えた。
 まだまだ西の果て、ファイラ・イルは遠い。

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まいるどタブレット小説 Ver1.13