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聖域の試練

2014/10/14 19:31

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 目の前の川を越えるとそこは聖域。
 遠くトクヴァンを旅立ってから、西の果てへと続いて来たリュノの旅ももうすぐ終わるのだろうか。
 別れの谷で消えたシリエスタの行方はわからず、生死もわからない。
「あの男はそう簡単に死ぬような玉ではございません。そのうちいつもの様に笑いながらひょっこり現れますよ」
 キーンの言葉は慰めではあったが、リュノもルミナスも、そして言った本人でさえもあながち冗談でも無いと思えた。
 腰が低く誰にでも優しく接する男だったが、その素性も本心も知れぬ不思議なところがあった。衣服は残っていたが、血がついているわけでも無く、遺体も残っていないのだからきっと生きている。リュノがずっと抱きしめている銀の柄の剣も変わり無く、未だ強い力を感じる。大事に使った剣士の剣は、主が死ぬと力を失うのだという。だから大丈夫……そう納得すると、すぅっと心が軽くなった。
 それに何時までも嘆いてばかりいられない。
 川の対岸は聖域。だがまだ踏み入れた訳では無いのだ。
 大きな岩が張り出し、石がごろごろと歩みを邪魔するこの川原は魔物や獣達で溢れている。すでに先程から小さな竜や飢えた肉食の獣の類をキーンの剣とルミナスの矢で5匹ほど倒した。
「とにかくもう少し川の上流を目指し、渡れそうな場所を見つけましょう。この辺りは川幅もあって流れが速すぎる」
 ルミナスの冷静な声に意義を唱える者はいなかった。
 今まで舗装された道を歩いてきた一行には岩場は歩き難いこと甚だしかった。特に目の見えないリュノは杖をついていても何度も足をとられて転びそうになった。
「遠慮なさらず背中へ」
 キーンが背負うと申し出たがリュノは頑として拒否した。何時また襲ってくるかもわからぬ魔物に対処してもらわねばならぬのもあるが、これは自らが招いた結果だ。
「大丈夫だから。この位を進めなければ山の頂上の神殿になど辿り着けない」
 遥か彼方の雲の向こうに聳える山。その山頂に大聖者が護る神殿があると語り継がれている。そして聖域では百一の聖者が幾つもの試練を課し、それに耐えて辿り付けた者だけが祝福を授けられるのだとも。
 今はただ、昔のお伽話の勇者と同じ様、聖域の大聖者の力を借りる事を考えよう。
 盲いた目にも、否、光が失われたからこそ見えるものがある。リュノはそれを知った。
 聖なる光が見える。聖域への赤い道は仄かに輝いて見えた。それと同じで、遠くに一つの強い光が見える。それは山の頂上にある神殿の光。
 あの光を目指すのだ。
 黙々と歩き続け、日が暮れ、獣を避けるための火を絶やさずに夜を過ごした。
 皆、黙り込んでいる。誰一人顔に笑みがのぼらない。
 シリエスタがいないと何故こんなに静かなのだろう。
 ニコニコと色々な話を聞かせてくれた黒髪の男がいないのが本当に寂しかった。
 その晩、リュノは歌を唄わなかった。

 川幅が少し狭く、大岩が飛び石になりそうな所まで辿りついた三人は、ついに対岸へ渡る事が出来た。もう断られてもキーンがリュノを抱き上げて離す事は無かった。
 少し先に再び道が見える。意気揚々と進みかけた一行の足が止まった。
 先頭を歩いていたルミナスが何かにぶつかったのだ。
 一見何も変わったように見えない。だが、手を触れると硬い感触がある。透明の何かが行く手を阻んでいるようだ。
「目には見えないが壁がある」
 崖から降ろしてくれた翼のある魔物が言っていた。
『聖域の結界を越えられぬ』と。
「これが聖域を護る結界なのでしょうか?」
「我等は魔物では無いぞ。超える方法はあるはず」
 そっとリュノを降ろし、キーンが手をかざして辺りを探り始めた。
 ルミナスも目を凝らして何処かに入れる所が無いか、切れ目がないかと探してみたが、壁そのものも見えないので何ともし難い。
 その時、突然目の前にゆらゆらと、何かが見え始めた。
「何?」
 人が見える。街が見える。幻のように現れたそれは、誰の目を通して見た物なのかもわからないが、その人の表情までもはっきりと映し出しはじめた。
 懐かしいトクヴァンの城。美しかった城は荒れ果て、花の咲き乱れていた庭は見る影も無くどす黒い蔦に覆われ、王と后は石像と化したまま。矢継ぎ早に変わる眺めは、街へと移り、人が行き交い活気のあった街中には、無気力に路上に蹲る人だけが目立つ。これは今の故郷の姿なのだろうか。
 映し出されたのは故郷だけでは無かった。音は無くとも、見るだけでその人の悲しみ、苦しみまでもが全て伝わってくる様だ。風のように駆けた少年の足は動かなくなり、歌姫の声は首を絞められた鳥の如く酷い声に変わった。艶やかな長い金の髪が自慢だった姫君の髪は蛇の様に変わり、嘆いて身を投げようとしている。他にも沢山の何かを奪われた者たちの嘆きが、身動きも出来ずに見入るルミナスの理性を押し潰してしまいそうだった。彼もまた、同じ思いをしてきただけに痛いほどその気持ちがわかるのだから。
 そして、自分だけが主を犠牲にして救われたという、後ろめたい気持ちをこれでもかと突かれる思い。
 目を閉じてしまいたかったが、それすらも出来ず、ただ耐えるしかなかった。
「何が見えるの、ルミナス?」
 リュノには見えていないのだ。その事を少し安堵したルミナスであったが、心が折れてしまいそうな眺めはまだ続いた。
 またトクヴァンの城だ。玉座にいるのは王では無い。見たことも無い様な美しい女。
 女が冷たい笑みを浮かべ手にした真っ黒な扇を翻すたび、黒い靄が辺りに広がり、作物を枯らしてゆく。民は飢え、少ない食べ物を奪い合い争い合う。
 靄からは恐ろしげな魔物も生まれ出で、次々飛び立ってゆく。
 魔物は街で人を襲い、また攫って城へと連れて帰っては広場に集める。集められた者達は武器を渡され、死ぬまで戦うか逃げ惑うのだ。狂った君主の見世物として。狩場に放たれた狩りの獣として。
 昔々の話で聞いた、闇の王子の所業と同じ。ただ、己の欲望を満たすためだけに人の命すらも弄ぶ様は、見ているだけで怖気が走った。
 これがシリエスタも言っていた、見える様になった事を恨むかもしれないという事か、見えないリュノの方が幸せかもしれないと言う事か、と思った。
「もう……もうやめてくれ!」
 ルミナスはその場に蹲り、両手で顔を覆った。見たくない、もう見たくない……。
「ルミナス殿、目を逸らしてはいけない」
 キーンが静かに声を掛けた。彼もまた、同じものを見ていたのだ。
「これは聖域の試練の一つであろう。きっと我々を試しているのだ。心を強く持たなければ主を神殿に届ける事など叶わぬぞ」
「キーン殿……」
「先程見えたものは全て事実であろう。ならば余計に、こんなところで挫けていてはいけない。あのように苦しむ民を救えぬぞ。昔々の勇者はあのような化け物と戦い、打ち勝ったのだ。この先の聖域におわす聖者様のご加護を得ないと、確かに勝てまい。そして今、そのご加護を受けるべきはリュノ様。俺はリュノ様に命も捧げる覚悟で来た。ルミナス殿はどうなのだ?」
「勿論私もそのつもりです」
「ならば、ここで負けてはならん」
 キーンに頷き、ルミナスは再び立ち上がった。
「僕には何も見えないよ。何を見たか話してくれる?」
 リュノが少し不服そうに頬を膨らませている。知らぬが故にこうして無邪気でいられるのだ。これだけでも救いであろう、ルミナスはそう思った。
「何でもありませんよ。さて、困りましたね。この壁をどうやって越えましょう?」
 少し明るい声でルミナスが言った直後、リュノの抱えていたシリエスタの銀の剣がカタカタと震えた。
「何か言ってる様ですね」
「この剣で切ってみてはどうだろう?」
 見えぬ壁を切るというリュノの言葉は突拍子も無かったが、他に方法も思いつかぬし、不思議とそれが正しいとキーンもルミナスにも思えた。
「シリエスタ、ちょっと借りるね」
 キーンに手を添えてもらい、リュノは剣を抜いた。銀色に輝く細身の剣は思っていたより軽く、リュノの華奢な手にもしっくりと馴染んで握りやすかった。
 一振り。
 何も切った手ごたえも無かったが、太刀筋は煌く尾を引き、宙を二つに分けた。
 極光にも似た揺らぎが生じ、ばらん、と透き通った天幕を開いた様に見えた。
「やりましたぞ、リュノ様!」
 閉じてしまわないうちにと、大慌ててで三人は前に走る。
 これで本当に聖域に足を踏み込んだ。
 だがこの先も道は続く。

 聖域の試練はまだ始まったばかり。

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まいるどタブレット小説 Ver1.13