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大九龍編 - 2:お節介な何でも屋と頑固な薬屋

2015/02/10 12:51

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「ちょっとぉ、遅かったじゃないのよ。すっかりスープが冷めちゃた」
 シンディのアパートの部屋に戻った頃には日付が変わっていた。
 まあ夜が更けようが朝が来ようがこの街の下の方にいたらよくわからないのだがな。陽の光を浴びようと思ったら余程上の方の階に住んでなきゃ無理だ。そして寝てる間に襲われたくなければ。だがそれは体力との兼ね合いが必要だ。無秩序に重ねていった建物にエレベーターなどある所のほうが少ない。それどころか階段でさえ次の階に上がるのに探し回らねばならないほどだ。
 この若くて美人のキツネちゃんの事を考えて、大通りに面した二十六階に部屋を借りてやったのはいいが、三十四過ぎたおっさんはもうこの部屋に上がってくるだけでくたびれた。泥棒も変な奴も来ないかもしれないが、自分もキツイな。
「買い物に行くだけでいい運動になっていいわ」
「……スタイル維持に役立っているのなら良かった」
 腹は減っていたので温め直したスープをありがたくいただいたが、何の肉や野菜が入っているかは聞かないでおこう。味は悪くなかった。
 夜龍と別れた後、話で出た北津小路とやらに行ってみた。町中で知らない人間に尋ねて回る事は出来ないので、安い飲み屋に寄ってさり気なく店主に訊いた。商売人は少しはやりやすい。
 やはり昨日の事件はそこそこ話題になっていたらしく、何でも今日の昼頃には男は死んだらしい。手に傷があったのが不幸だった。本当にとんでもない毒だな。
 詳細まで聞かずに受けた依頼だったがこれで相手の正体も大体つかめた。
 色鮮やかで見ただけで毒々しいヤドクカエルの仲間だが、実は触れただけで死に至るほどの毒を持っている種はそういない。捕食者に向かって毒があると思わせる擬似警告色で、ほとんどは弱毒性で無毒のものもいる。痙攣やただれ、呼吸困難くらいはあるかもしれないが、そもそもほとんどは危険を感じた時しか毒を分泌しない。常に毒を分泌しているものはフキヤカエルの仲間の数種。
 顔写真は受け取ったが全身となるとわからないし、どの程度かは分からないが皮膚に模様があることから一番毒性の強いモウドクフキヤカエルではなさそうだ。しかし個体や住んでいる環境でも変化するし亜種も多く存在するので何とも言えない。今のところココイヤドクガエルが一番有力だ。この種類の分泌する毒には神経毒バトラコトキシンが含まれている。ほんの微量で何人も殺せるほどの最悪の毒だ。
 ……自分は生物学者ではないが、生みの親である博士が嫌というほど生物についての知識を叩き込んでくれたおかげでわりと詳しかったりする。まあ今の仕事上役には立ってるが、考えてみたら遺伝子元がわかったところで、相手は人間なのだから純粋の動物を相手にするのではない感情面の問題の方が大きい。
 未だ犠牲者が出たこと以外ターゲットの行き先は掴めていない。明日はもう少し詰めたいが、いつも押し殺している葛藤が再燃してきた。
 見つけ出したところで返していいものか。そもそもガラパゴス条約によってA・Hを個人が「物」として所有することは禁じられている。依頼主は他に危険が及ばぬよう、万が一闇市場の手にでも渡り兵器や暗殺者として売りに出される事が無いようなどと綺麗事を言っていたが、それと愛玩用に手元に閉じ込めて置くこととどう違うというのか。訴えれば依頼人は捕まるだろう。
 だがいくら条約機構の監視の目があるとはいえ、穴だらけなのが現状。やはり旧人類に甘いと思うのは自分がA・Hだからだろうか。
 知らずに触れたものが死ぬのは事故だが、警察にでも報告されて先に発見されたら確実にカエル少女は司法の場に連れ出されることもないまま現場で射殺される。ここがクーロンだからそれは無いにしても、連れ戻した後はどうなる?
 自分の立場でそれを考えるのはお門違いだし、考えてもどうしようもないとわかっていても気持ち良くない。第一だ、わざわざ自分に依頼して来た地点でA・Hだったら死んでもいいと依頼主ですら思ってるということで、そう考えたら腹も立ってくる。
 今日の夜龍の酷い姿もそうだ。金さえ払えば何をしてもいいってもんじゃない。タイミングよく気がついたが、縛られたまま発作を起こしてたら薬も飲めなくてあいつは死んでいたかもしれない。倒れてるのに放置されてた所を見たら、A・Hなど最中に死んだって気にもしないのだろうな。
 もう少しこう、なんとかならんのかねぇ今の世の中……。
 いかんいかん、少し思考が危ない方にズレて深みにはまりそうだ。
「ザック、何難しい顔で考えこんでるの?」
 膝に心地よい重みが乗っかってきた。
「ん……別に」
「アタシを見て。今は他の事考えちゃダメ」
 柔らかい手が両頬を挟んで自分の方に向ける。少しつり気味の青い大きな目がまっすぐ見つめている。赤い口唇をぺろりと舐めた桃色の舌が何とも言えず扇情的だ。やっぱりこの娘も肉食獣だな。
「おっさんを誘惑するんじゃない。泣かすぞ」
「いいよ。ザックになら泣かされても」
 髪を撫でる手に少々うっとりして、色々考えこんでたのも飛んでいった。むくむくと愛しさがこみ上げて来る。くそう、可愛いな。
 くるんと身を返して押さえ込んだが、シンディは逃げない。そこではっとして離れた。ああ、色っぽいし初めてでは無いだろうがまだ早い。
「あ……でも今日は疲れた。足がパンパンだ。階段を上がり下りしすぎてな」
「色気ないわねぇ、もう」
 文句を言いつつシンディは足をマッサージしてくれた。初めて会った時から異常なほど懐かれているし、非常に美味しそうだがもう少し置いておいてから頂きたい方だ。せめて未成年じゃなくなったら存分に可愛がってやろう。紳士としてはそのくらいの節度は守っていたいのだ。

 翌朝……といっても相変わらず暗い街だが、捜索を開始する前に南端小路というクーロンの端の方に出かけた。昨日行った方向とは全く逆。
 この辺りは医者や薬屋が多い。勿論ほとんどが無免許のもぐりではあるが。この街に無い物がないと言われる所以は、内科・外科・歯科・眼科等の普通の病院や人工の義肢をあつかう場所だけでだけでなく、表立っては言えないが生の手足屋や眼球屋、臓器屋という商売までもが存在している所だ。仕入先は不明だが、培養してるところがあるとか。金さえあれば命までも買える。事故で手足や目を失った大富豪が「ちょっとクーロンに行ってくる」と言い残して出ていき、帰ってきたら五体満足だったというのも実話だ。
 薬も普通の治療薬からヤバイものまで処方箋無しで買える。地下で精製してる学者がうんといるからな。まあ今の目当てはそんなとんでもない店では無くて、至極真っ当な……こちらも仕入先は不明ではあるが……漢方薬屋なのだが。
 黄薬舗と書かれた看板は古びた雑居ビルの一階にある。三メートル無いだろう狭い間口、黒ずんだタイルの壁の小さな店構え。
 木製のドアを開けようとすると、中から人の声が聞こえた。先客がいるらしい。
「そいつは怖いな」
「ウチの団員にも気をつけろと言ってある。黄さんも気をつけてな」
「瑞林小路まで行くことはまず無いが、気をつけるよ。はあ、先日の北津小路のあれと同じ娘かね?」
 ん? この話の内容……。
「本人に悪気は無いのがねぇ。昨夜のもぶつかって行ったのは酔っぱらいの方だし、事故としか言えんが。流石にもう一件くらい事が起きれば外の警察も乗り込んでくるかもしれん。もし劇場の客に紛れてたら次に同じ席に座るのも危ないから舞台が引けた全シートを後チェックするようにするよ」
「それがいい。ゴム手袋はつけたほうがいいかもな」
「じゃあ、薬、また一週間後に取りに来るよ」
「気を使いすぎて血圧を上げないようにな。後もう少し痩せないと。踊り子に体型維持させてるんだから自分もな」
「はは、これは手厳しい。今度はダイエットの薬も調合しておくれよ」
「今の薬と飲み合わせが悪いからそっちは自力で何とかしなさい」
 最後の方は雑談だったが、思わぬ所で情報を得られた気がする。瑞林小路か……しかしまた犠牲者が出たのか。
 先客のまん丸の男が「お先に」とひと声残し会釈して出て行ったので、交代で中に入った。
「薬、買いに来た」
 声を掛けると、店主はこっちを見るなり渋い顔をした。
 顎鬚も立派な初老の男だが、余程見おろさないと目が合わないほど顔が下の方にある。百三十センチあるかないかの子供ほどの背丈しか無いから。
「シモンズさんか。なんだ、また来てたのか」
「仕事でね。今日は夜龍の薬をもらいにきた」
 渋い顔が更に厳しくなった。
 それでも症状も聞かずに奥の引き出しから木の皮や何かわからない材料を手際よく出してくるあたりプロだ。何より、夜龍の体のことは知り尽くしてる。
「あれは元気にやっとるかね?」
「二月ぶりに会ったけど、まあなんとかやってるみたいですよ。元気……では無いですけどね。発作の間隔が短くなってきたって言ってた」
「……まあ、育ててやった恩も忘れて、自分で勝手に出ていきおった息子のことなんぞ、どうでもいいがな」
 手も止めずごりごりと生薬を粉にする老けた顔はそう言いつつも悲しげだ。
 黄薬舗の主は夜龍の父親だ。といっても育ての親であって血のつながりは無いだろうが。
 無言で待つこと十数分。薄い紙に包まれた粉薬を袋に詰めて渡された。前より量が増えてるな。
「痛み止めを増やしておいた」
「ありがとうございます。渡して来ますね」
金を払って受け取る。これはいわば夜龍への情報料だ。それにもう一つ。
「あとこれ、夜龍から預かってきました」
 簡素な紙の袋に入ってるのは分厚い札束。
 売れっ子の夜龍が稼ぐ金は店から引かれていても半端ない。家を飛び出した後少しの間囲われていた相手に娼館に売られた夜龍だが、身請けの金額などとおに返し終えている。それでもあそこに居続けているのは普通じゃ稼げない金をもらえるからだ。体と引き換えに。
 育ててくれた親父さんをこの街から陽の当たる世界に出すために……。
「前にも言ったが、疚しい仕事で得た金など受け取れん」
「別に疚しくなんかないさ。人の物を盗ってきたわけじゃない。あれも立派な商売だ。売るものが時間と技術なだけで、それに金を出して買うものがいる以上ちゃんと成り立ってる取引だよ」
「綺麗事を。体を売って金を得る事のどこが立派な商売なんだ」
 まあその気持ちはわかるがな。赤ん坊の時から我が子として育てた息子が他人に抱かれて金を得てるってのは面白くは無いだろう。
 それでもお節介に頭を突っ込んだ以上、こっちも引けない。
「受け取ってください。私の仕事は何でも屋。金を渡してくれと夜龍に頼まれた以上、受け取ってもらわないと仕事が終われない。貴方も商売人ならわかるでしょう」
「……では薬代としてもらっておくよ」
 知ってるよ、こうやって二・三度金を持ってきたけど、全部ちゃんと置いてあることはね。あいつが帰ってきたら医者に治してもらおうって思ってるって。
 A・Hを専門にしてる医者もいるが、夜龍は無認可の学者によって作られた非合法のA・Hだ。到底外の医者にはかかれない。勿論保険なんかありゃしない。このクーロンにももぐりの腕の良いA・H専門医がいるが、普通の医療機関と桁がいくつも違うほどの高額を要求してくる。しかも既に相当悪いのは親父さんも薬師としてわかってる。それでもほんの少しでも望みがあるならと貯めてるんだよな。
 息子の思惑とは違う方向だが、まあ自分の知ったことじゃないし。
「それじゃ」
「シモンズさん」
 出て行き掛けた所に後ろから声がかかった。
「気が向いたらでいいから……一度帰って来いと伝言してもらえるだろうか」
「これは何でも屋への依頼?」
「ああ」
「引き受けました。それでは」
 しかし本当にこの親子、どっちも素直じゃない。
 案外似た者親子なのかもしれない。

 さて、薬を渡しに行ったら、瑞林小路とやらに行ってみよう。

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