HOME

 

大九龍編 - 8:怖い男と混沌の街

2015/02/12 22:09

page: / 13

 翌朝、再び古ビルに足を運ぶと、クレアもリンも逃げずにいてくれた。根が素直なのは美点だとは思うが、これだけ色々とひどい目に遭ってきているわりに簡単に人を信用していいのかと心配になるくらいだ。まあ個人的にはやりやすいので嬉しいが。
「私、触ってみてください!」
 耐毒スーツが余程嬉しいのだろう。クレアが自分の腕を目の前に突き出してみせた。薄いワンピースを上に着ているが、首から下はすっぽりとグレーの薄いラバー状のぴったりした生地で覆われているのがわかる。手首から先は同じ生地の手袋。あの美しい柄が見えないのは寂しい気もするが人に危険を及ぼさないのならば普通の可愛らしい若い娘だ。
 ううっ……大丈夫だとわかっていても少々緊張する。これだけ喜んでいるのだから嫌な顔をするのも何なので二の腕辺りに触れてみた。皮膚とそう変わらない触り心地。
 ……何も起こらなかった。
「苦しくもないし、とっても着心地がいいんです」
「よかったね、これで普通に行きていける」
 おかしな店主だったが商品はしっかりしているんだな、あの怪しい服屋……。
 さて、長閑なのはここまでだ。これから作戦の概要について話さねばならない。
 手配は全て深夜までかかったが昨日のうちに済ませた。
「まずは、リン、君はこのメモの住所を尋ねなさい。もう少し人らしい姿に戻してくれるだろう。もぐりだが腕の良い技師だ。必要なら顔も少し変えてくれる。代わりに腕でもなんでもいいからいらないパーツを一つくれるだろうか」
「え、でも……貴方に払うお金も待ってもらわないといけないくらいなのに……」
 唐突すぎたのか、リンが慌てている。クレアのスーツを仕立てられるくらいだ。少しばかりの金は持っているようだが、自分の体を何とか出来るほど持ってないというのは見ればわかる。
「心配しなくても既に代金は支払ってある。依頼のほうもチャン・ロウヘィ氏から君達の分ももらってあるから私に支払う必要はない」
 勿論、自分は慈善家ではないので好意で人工義体をくれてやるつもりも、タダ働きするつもりも毛頭ない。出処は違うがしっかり頂いているから出来るのだ。
 依頼人チャンにちょいと揺さぶりをかけて、ただでさえ他の依頼よりも法外な額だった上に追加をせしめた。家出娘を見つけたついでに、一緒にいた怪しい半機械の若者を事故で死なせてしまったが、私の信用にも傷がつくし、若者の素性を調べなければ……と話を振ると、調べなくてもいい、迷惑料として追加料金を支払うからと即金で振り込まれた。嬉々として。向こうにしてみたら以降の手間が省けて思わぬ収穫というところだろう。だが、信用させるには腕一本でもいいからリンを始末したという証拠を提示する必要がある。
 その話をすると、二人はやや複雑な表情で顔を見合わせた後、微かに笑みを見せた。
「……策士ですね」
「金はあるところからもらえばいい。義肢代は今までの君達に対するチャンの慰謝料だと素直に受けとっておきなさい。このクーロンにいれば金を貯めればそのうち生身にだって戻ることが出来るかもしれない」
 すごいところですね、とリンは小さく笑った。ああ、すごい所だ、そして恐ろしくもある。
「それからクレア、君は一度このクーロンを出て私と一緒にチャンの所に戻ってもらう」
「えっ? でもそれじゃ……」
 みるみる表情の強張った二人。まあこれも計算の内だ。
「ずっとじゃない。数時間? すぐにここに戻すから」
「でもそう簡単にいくの?」
「まあ任せてくれ。私は請け負った以上絶対に仕事はやり遂げると言った筈だ。君達がもう閉じ込められたり命を狙われなくていいようにする事、同じく他のコレクション達も開放すること。そしてチャンの依頼も達成すること。おまけに世界的企業の暗部を世に晒すこともない。これら全ての条件を満たす方法を思いついた。もうリンは死んだと思っているからここはクリアだ。ただ、クレア、君には最後に一つだけ嫌な思いをさせるかもしれない」
 それでは参りましょうかね。
 あんまり綺麗なやり方じゃないが、自分の知ったことじゃない。

 昨日連絡を入れ、落ち合う場所はチャン氏と申し合わせてある。香港島の中環にある自宅よりグレートクーロンに近い尖沙咀にある彼の所有のマンションの一室。向こうも人目に触れることも記録を残すわけにもいかないので監視カメラもSPも部屋にいないのはわかっている。いや、四人ほど部屋の外に隠れていたのと廊下に監視カメラがあったのは見つけたが、速攻おねんねしていただいた。カメラにもたぶん突然SP達が倒れたようにしか写っていないだろう。スピードだけは自信がある。
 指定された一室のドアをノックすると、依頼主チャン・ロウヘィ氏が現れた。銀縁眼鏡の神経質そうな中肉中背の男は、やはり元学者という風情だ。
 自分の後ろに隠れているクレアにちらりと目をやり、満足気に笑みを浮かべたチャン。
「流石だな、確実に仕事をやってくれる何でも屋との噂は本当だったか」
 どこの噂だそれは。まあ今まで一度だってやり溢した仕事は無いけどな。
「あー、これが例の。あとは処分してきましたが」
 クレアに持たせてあったバックから金属片を出して渡す。銀色の無骨な手首から先。
「……気の毒な事をしたが、クーロンで人が死んだところで気にするものはいないだろう。君も気に病むことはない」
 冷静を装ってるが、嬉しそうだな。
「では、こちらのお嬢さんを引き渡しましたら完了ということでよろしいですね?」
 こちらも負けずに冷静を装っておくとするか。
「いい仕事をしてくれた。また何かあったらお願いすることがあるかもしれない」
「どうぞご贔屓に」
 まあ二度とあんたの依頼は受けることはないだろうがね。
 隠れているクレアに声をかける。後は打ち合わせ通り、頑張ってくれ。
「ほら、ご主人様は心配してくれてたんだ。抱きしめてもらいなさい」
「はい!」
 素直に頷くクレア。
 いい子だ、ワンピースの下の耐毒スーツは前のジッパーが下ろしてあるな?
「く、来るな!」
 怯えたように後ずさるチャン。
「チャンさん、そう言わず抱きしめてやってください。会いたかったのでしょう?」
「勝手に出て行ってごめんなさい、ご主人様」
 クレアは駆け寄ってチャンに抱きついた。
 捜索人と家出娘の感動の再会の抱擁。微笑ましい光景じゃないか。
 たとえそれが死の抱擁であったとしても。
「――――!」
 細く裏返った悲鳴。
「私が受けた依頼は家出娘を貴方の元に連れ戻すこと、それだけですから。では任務完了」
 白目を剥いて床に倒れた男に報告したが、その声は聞こえていたかは怪しい。誰にも見つからないよう、クレアを連れてカメラのない非常階段からマンションを後にした。

 依頼人チャン・ロウへィは目を覚ましたSPによって発見され、数時間後死亡が確認された。非合法のA・Hを自宅に所有していると匿名でリークしておいた警察による家宅捜索の後、クレア以外のコレクション達は条約機構に保護された。ただし、リン青年の握っている不当な人体実験の情報は一切漏らしてはいない。チャン氏の罪はA・Hを個人所有したというガラパゴス条約違反だけにとどまり、また容疑者死亡により書類送検のみとなった。このくらいなら個人の失態であり、企業本体にはそう影響は無いだろう。
「人殺しはしないって言ってたんじゃなかったっけ?」
 電子新聞に目を落としたまま、夜龍が溜息混じりに言った。
 クレアをもう一度あの古ビルで待つリンのところに送り届けて、ついでに寄った夜来香楼。
「これは危険な『ペット』に『飼い主』が触れてしまった事故だ。殺人じゃない」
「そうだね、自業自得ってやつ? まあいいけどね、こんな奴、いないほうがいい」
 新聞の記事には死因はペットのカエルに素手で触れての事故と書かれていた。現場からは最も毒性の強い猛毒ヤドクガエルが見つかっている。ペット用に売買されているものはほぼ無毒だが、その個体は毒を持っていた……と。
 ……クレアに疑いが行かないよう、自分が現場に放したのだがな。クーロン中を探しまわって入手したとびきり毒の強いカエルちゃんだ。爬虫類・両生類の収集家として有名な彼だ、誰も後から持ち込まれたなどと疑うものはいないだろう。
「でも正直ザックがここまでやるとは思ってなかったから驚いた」
「私は何でも屋。その名の通り何でもやる。殺人と誘拐は請け負わないが、依頼を完遂するためには手段は選ばない」
「……怖い人だね」
 何とでも言うがいい。そういう自分も何を見ても話しても顔色一つ変えないなんて、怖い奴だと思うぞ? いや、この街そのものがな。
 明るい陽の光も差さず、薄暗く綺麗とは呼べない街。だが無い物がなく、人の心を惹きつける魅力がある。余所者に敏感なくせに来るものは拒まず、なんでも受け入れるのに個人に干渉はしない。冷たくもあり温かくもある、ここはそんな混沌とした街。
 夜龍はまさにこの街そのものだと思う時がある。
「じゃあな、またこの街に来た時は世話になるかもしれん」
「その時も俺が生きてたらね」
 何でも屋と情報屋。あっさりした別れだ。
 もし夜龍がもっと元気で陽の下に生きる生き物だったら、生涯もうひとつの目……相棒としてやってたかもしれないと思うのはもっと後。

 さて。クーロンでの仕事は終わり。梟は巣に戻るかね。まあこの街にはまた何度も来るだろうけどな……そう思って歩き出した時。
「ちょっとザック! またアタシを置いて行く気だったでしょ!」
 甲高い声がして振り返ると、シンディが頬を膨らませて立っていた。でっかいスーツケースを引きずって。あ、そういえば約束してたんだった。
「忘れてたワケでは無いんだが」
 すまん、今まですっかり忘れていた。
「アタシを置き去りにしといて娼館に立ち寄るなんて酷いじゃない」
「え、あ、それは仕事で……って、なぜ場所まで知ってる?」
「念のため発信機、付けておいたもん。どこまで行ったって追いかけてやるんだから」
 そう言って抱きついてきたシンディが上着の襟の後ろに手を差し入れた。戻されて目の前に広げられた手の上には、小さな小さな銀色に光る粒が。
 いつの間に! というか全く気が付かなかったぞ。不覚……小娘に出し抜かれるとはまだまだ自分も精進が足りないらしい。
 いや、しかしこの娘……スパイにでもしたらトップを張れるんじゃないか? 身は軽いし頭も切れる。そして美人だ。
「ずっとついて来い。もう離さないから」
「ふふん、その言葉忘れないでよ。狐は執念深いんだから」
 こうして約束通り狐娘を連れてホンコンを後にしたわけだが、結局夜龍が親父さんの待つ家に帰るところは見なかった。一つやり残した気がして、その後もずっと引っ掛かっていた。

 一年後、再びクーロンを訪れるまで、ずっと。

page: / 13

 

 

HOME
まいるどタブレット小説 Ver1.13