HOME

 

聖母の記録編 - 不思議な町と盗まれたお宝

2015/02/25 00:06

page: / 13

2118年 オオサカ

「どうせならトーキョーが良かったなぁ」
 腕に掴まったままシンディが言う。
「良かったも何も、仕事で来ているのだから場所は選べないだろう」
「ま、いいか。オオサカも美味しいものいっぱいあるみたいだし。ほら、なんかいい匂いもする。あのタコヤキっていうの食べてみたい」
 人の話を聞いてないなこの娘は。遊びに来たのでは無い。大体、何故ついて来ているのだろうか。タイペイの事務所に先に帰っていろと言ったのに。
何でも屋だから最初は引っ越しの手伝いや犬の散歩、留守中の庭木の手入れなんていう仕事が多かったが、ここ最近はもうすっかりA・H関係の探偵のようになってる。しかも結構ヤバイ案件ばかり。
……まあ自分もどこに所属もしていないA・Hなので仕方がないところなのだが。
 今回の依頼もちょっと変わった探しものだ。
 実は日本には別件の人探しで来ていた。ナゴヤという大きな都市だ。それはいともあっさり終わったのだが、途中で事務所から転送設定にしていた依頼の通信がはいったのだ。丁度日本にいるのならとそのままオオサカに移動となった。
 ニューヨークの博物館から一年も前に盗まれたものが、アジアの一角のこの街にあるらしいとの情報があったらしい。それを取り戻せと。
 ……そういうのは警察の仕事ではないかとも思うが、依頼してきたのが断りようのない相手だったので、引き受けざるを得なかったのだ。
「クーロンほど治安は悪くないがこれから行くところは別だ。君はホテルで待っていなさい」
 このオオサカはトーキョーに次ぐ大都会だが、なんとなく他の日本の都市にはない不思議な雰囲気がある。特にビジネス街以外の中心部や古い下町でそれを強く感じる。何というかこう、他のアジアの都市……ホンコンや自分も住んでいるタイペイ、バンコクあたりに似た混沌とした空気があるのだ。市場の活気、せわしなく行き交う人々。高層ビルの立ち並ぶ清潔な都会から一歩踏み出すと、旧世紀のまま時間が止まってしまったかのような町並みが広がる。そう裕福な者は住んでいなさそうだが、生活感があふれていて、こういう雰囲気は個人的に好きだ。
振り返ると面白い形をした古びたタワーが見えるこのあたり。ここから少し行けば、前世紀は国籍・本籍地すらわからない路上生活者が、日雇いの労働を得て身を寄せた場所や、遊郭などがあったという。そして今はこの日本の自治区内で最も多くの非合法のA・Hが潜伏しているというところ。その中でもとびきりヤバイ一角があるという。規模は小さいがクーロンに匹敵するほど……いや規模が小さい分濃縮されているとの噂もある。
 正直若い女の子を連れて行きたい場所ではない。
「えー、待ってるのやだ。退屈だもん」
 シンディ、正直すぎるなお前は。
「ザック、離れたらまたアタシのこと置いてけぼりにしそうだし」
「……」
 前科があるからきっぱり否定出来ないのが痛い。だが流石に知り合いもいない極東の島国に置いては帰らないぞ?
「可愛い狐ちゃんを危ない目に遭わせたく無いんだよ」
「足手まといにはならないと思うんだけど?」
「忘れたのか、最初に会った時のことを」
 クーロンで最初にシンディを見たのは五・六人のノーマルタイプの男たちに今まさに襲われようとしていた。路地裏に連れ込まれ、衣服を剥ぎ取られている真っ最中だったのだ。
「あれは変な薬盛られたんだもん。もうそんなドジ踏まないわよ」
「とにかく待って……」
 言葉が終わらないうちに、たっと先に走ったシンディ。
「よいしょっと」
 腰の曲がったお年寄りがカートのような物を押して歩いていた前に、段差があって引っ掛かっていたところを助けに行ったみたいだ。
「ありがとねぇ」
「いいのよ」
 ……気が利く優しい娘と言おうか、お節介というか。
「おばあちゃん、気をつけてね」
 シンディはお年寄りにひらひら手を振って得意気に戻ってきた。
「へへ、飴もらっちゃった。ザックにもあげる」
「……甘い物は苦手だ」
 調子が狂うな。

 結局シンディを連れたまま、目指す地区に着いてしまった。
 表通りはそう他と変わりない。だが古びた旧世紀そのままのアーケードや昔の鉄道の駅周辺、一歩路地裏に入るとかなり雰囲気が変わる。ここもクーロンと同じで一度はクリーンな場所になったらしいが、戦争の後また前よりも酷くなったということだ。
 昔の人は未来は貧富の差など無くなると思っていたらしいが、何時の時代になっても豊かなものはより豊かに、だが貧しいものは貧しく……いかに法を整備したところで救いの手が届かない者がいなくなることはない。仕事を持って金を得ないと食っていけない、それは変わらないのだ。そして科学技術が進歩し、人の手を必要としない分野が増えれば増えるほど安定した職を持てぬ層が出てくる。そして近年のA・Hの増加。
 公園らしき場所にはテントとも呼べぬシートで覆われただけの寝床。道の横にも所々にダンボールが敷かれた場所があるが、きっと夜はそこで住む家の無いものが寝泊まりしているのだろうと伺える。
 小さな店や町工場らしきものも結構あるし、そんなに暗い感じじゃない。お年寄りが最も目につくが、町の人達は皆愛想がよく、ニコニコしているシンディに手を振ったり挨拶の声をかけたりと和やかなものだ。
 まだ、この辺りはな。
 段々と空気が変わってきた。
 今はもう走っていない鉄道の高架下。錆びた塗炭の壁。スプレーで落書きされた意味不明の文字。下調べして来た通りそこにあった。
 ここから先は通称「猛獣の寝床」。
 この日本列島で最も非合法のA・Hが多く身を寄せるところ。
 明らかに異様な雰囲気が漂っている。
「なんか……ちょっと怖い」
 シンディが腕に掴まって身震いした。
「だから待っていろと言ったのに」
 ここで今更帰ると言われても困るぞ、シンディ。
「ねえ、ホントにこんな所にお宝があるの?」
「らしいんだがな……」
そう言われると少し不安になってきた。本当にこんな所に目指すものはあるのだろうか。
 セキュリティの厳しい博物館から盗まれたもの。
 シンディにも詳しい事は話していないが、確かにそれはお宝と呼べなくもない。ある意味歴史的、科学的に見て非常に価値があり、だがこの時代においてはそう重要な内容ではないもの。
 2056年、旧アメリカの生物学者フレディ・ドーナー博士によって生み出された一人の女性。火山の河口付近に生息するバクテリアの遺伝子を組み込んだという彼女は、希薄な酸素、有毒なガスの中でも生存可能であったという。姿形は人間と大差なかったが、生殖機能の欠落、鎧のような硬質の皮膚など様々な問題はあった。わずか27歳という若さで死んだ。
 最初のA・Hステラ。
 一部A・Hの中では彼女は聖母のような存在としてもはや信仰の対象にすらなっている。
 自分も昔、博物館で彼女を見た。
 真空の巨大なガラスのカプセルに入れられたステラは美しい人の形のブロンズ像のようにも見えた。高熱にも耐える赤銅色の皮膚は金属に近い光沢。数々の実験によりその頭髪は失われ、あちこちに傷があったが、それでも穏やかな表情で眠るようにそこにいたステラの亡骸は確かに聖母のようにも見えた。
 盗まれたのはそのステラの遺伝子情報を記したドーナー博士のファイル。
 博士の直筆であるという歴史的価値はあるものの、ほぼどんな種の動植物との掛け合わせも可能となった現代において、内容は古く参考にもなりはしない。
 何を思ってファイルを盗みだしたかも明らかにされてはいないが、ノーマルタイプの男性であった犯人は既に捕まって拘束中だ。ただし、正常な精神状態では無いため、供述すら怪しい。
 捕まる前に、既に他の者の手に渡っていたファイルは、一年近く見つからなかった。それが最近になって、それらしきものを入手したという男の話が話題になり始めた。
 その男がここにいるらしいのだ。
 今回依頼してきたのは、自分が生まれた研究所の博士……つまり生みの親だ。一応正規の登録も人並みの戸籍も用意してくれたが、この聴力も身体能力もあまり一般では役に立ちそうも無かったため、勝手に飛び出してきたという負い目がある。
 それでも気には掛けてくれているのだから親孝行ではないがまあ願いはきいてやりたい。報酬もちゃんと振り込まれてるし。
 何より……博士の名はレビン・ドーナー……つまりA・Hの生みの親であるフレディ・ドーナー博士の実の息子である。盗まれたファイルはつまり父親の遺品。自分にとってもそう無関係ではない。
 Fドーナー博士の仕事を表立って継いでA・Hの技術を正式に実用化したのは、リューゾー・キリシマ博士で、本家ドーナーの息子も同じ道に進んでいたと知っているものも少ない。それほどまでに地味な親ではあるが、誠実な人だ。
 聖母ステラの記録はこの手で取り返したい。そしてこの手で博物館に返したい。
 ……あまりシンディの事をお節介だなどと言えない。自分も相当のお節介だ。

 まあ、なぜここにあるだろうという情報まで入っているのに警察やその他が取り返しに来ず、自分に依頼されたのかはその後すぐにわかった。
 それほどまでに危険なのだ、ここは。
 何の能力も持たない普通の人間が入って、生きて帰れるような場所では無かったから。

page: / 13

 

 

HOME
まいるどタブレット小説 Ver1.13