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聖母の記録編 - コウモリ娘と面白くない真実

2015/10/05 08:01

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「はぁ……」
 新鮮な空気を思い切り吸い込み、何回か深呼吸すると頭がはっきりした。
 そう影響は受けていないつもりだったが、香の効果は相当のものだったみたいだ。
 謎の女の忠告通り『猛獣の寝床』から一旦抜け出し、少し離れた公園に移動する。
 本気を出していなかったとはいえ、気配を断ち、結構なスピードでここまで来た。にも関わらず、息を切らすこともなく一緒についてきた黒髪の女は一見どこにも外的な差異は無いようにも見えるが、ノーマルタイプでは無いことだけは確かだ。
 マスクは外したものの、薄暗いアーケードから出た途端に大きなサングラスを掛けたので、その顔はまた半分隠されてしまった。真っ直ぐの黒髪が印象的なエキゾチックなアジア系の美人だし、そう胸は大きくないがぴったり体に沿うスーツ越しにうかがえるスタイルもスレンダーでいい。わりと好みのタイプ。何歳くらいかな? 明るい所で隅々までよく見てみたいものだ……いや、それより。
「で? 先程、名前は京と言ったか? 君は何者だ」
「コウモリよ」
 京という女は赤い唇でにこりと笑ってみせた。
 落ち着いた雰囲気だが、笑った口元だけの顔は酷く幼気に見えた。声も可愛らしい。アジア系は見た目で歳がわかりづらいが、案外まだ少女なのかもしれない。
「コウモリのA・Hということでよいのかな?」
「そう。だから明るいのは苦手なの。こんな格好のままでごめんなさい」
 別にそういう意味で訊いたわけでは無いのだが……。
「敵では無いと言ったな」
「まあね。完全に味方というわけでも無いけど。貴方の仕事はステラの研究ファイルを奪い返すことでしょ? 私の仕事はあの司祭の男……アイツを止めること」
「……」
 なぜ依頼内容まで知っている? それにこちらの名も知っていた。そんなに有名なわけでもないし、職業柄、極力表に依頼内容も名も出ないようにしているつもりだ。
「どうしてそこまで知っている? 私の名も」
 思わず身構えたが、京は肩を軽く竦めてもう一度笑ってみせた。
「知ってるも何も……私も貴方と同じレビン・ドーナー博士の研究所生まれだもの」
「はぁ?」
 なんと。まさかこのフクロウにコウモリの妹がいようとは!
 まあ血の繋がりがあるわけでないので妹というわけでは無いし、A・Hである以上は同じ研究所で生まれた者など沢山いて当然だ。レビン博士は鳥類の専門だが哺乳類の方が親和性が高いからやりやすいとは本人も言っていたし、あり得なくもない話ではあるけれど……いやいやいや、そうでなくて。質問の答えになってないぞ?
「貴方の事は博士から聞いたわ。私はこの日本でノーマルタイプが手に負えない仕事をフリーで請け負ってるの。まあほぼ同業ってわけ。先輩が仕事でオオサカに行くから会うかもしれないってね」
 博士、余計なことを。
 悪意が無いのはわかるし、事実助けられたわけだから文句を言うにも言えないが、秘密保持が身の上の商売柄ある意味業務妨害だ。
 しかし同じ研究所生まれで、同じアジア圏内で似たような仕事をしているとは……偶然にしても揃いすぎている。信じていいものか。もし本当だったらウチの研究所は何か育て方を間違ってないか?
「私は違う方面からの依頼で動いてる。だから完全に手助けは出来ないという意味で味方でもないけど、利害が一致するし、貴方と同じでステラの事に無関係とは言えないから放ってはおけなくて」
 全く悪びれた様子もなく言う京は、ブーツのファスナーをおろし、細身のパンツの足首をめくって認識票を見せた。自分とは随分と桁が違う新しい番号……つまり若いという事だ。確かにドーナー研究所の認識番号だ。話は真実らしい。
 非合法で未登録のA・Hを除いて、正規の研究所で生まれたA・Hは体のどこかに必ず生体番号の札をつけている。最も初期の頃は管理コードを肌にタトゥーで刻みこむか手術でチップを体内に埋め込んでいたそうだが、A・Hがヒトとして認められて以降は人権保護の観点から小さな板状の認識札をアクセサリーのように身に着けるだけになった。一番多いのが、京の様に、そう目立たず邪魔にならないアンクレット型だ。ちなみに自分も足首に細い鎖でつけてある。たとえどこかで事故にでも遭って死んでも身元はわかるように。
「信じる?」
「ああ」
 信じざるを得ないだろう。何より助けられた事だしな。手助けしてもらう気などこちらも無いが、まるっきり周りが敵ばかりで無いというのは有り難いことなのかもしれない。
 トーキョーにはクーロンの夜龍のように融通の聞く情報屋を置いてあるが、このオオサカには手駒が無い。何の手がかりもなく動くよりはやりやすいだろう。それにこのコウモリ娘の力量がどこまでかは知らないが、彼女も一緒の方が動きやすいのでは無いだろうか。
 京は公園の隅の鉄棒にぴょんと飛び乗って、腕組みのまま足をぶらぶらさせてしばらく座っていた。そのまま後ろに倒れこんだので、落ちたのかと一瞬ひやっとしたが、膝で鉄棒にぶら下がっただけだった。
 ……コウモリだったな。なるほど。
そんな仕草が酷く子供じみていて、最初見た印象と随分違ってきた。認識票のナンバーも新しかったし、頭がよくしっかりしていそうだがまだお嬢ちゃんなお年頃なのだろうな。
 長い黒髪が地面につきそうなほど下がり、隠れていた長く大きな耳が見えて、この京は全く外的な差異が無いわけでも無いとわかった。恐らくコウモリという事は超音波で音響測定を使うタイプのA・Hだろう。人とは違う音域を拾う耳の構造になっているはずだ。そういえば自分も含め、特殊聴力特化のA・Hはレビン博士の最も得意とするところだった。種類は違えどやはり共通点はあるな。そう思うと何となえく近親感も持てた。
 逆さにぶら下がったまま、コウモリ娘が口元に笑みを浮かべる。
「私は暗くなるまで動かないけど、貴方はどうする? もう一度乗り込んであの可愛い恋人さんをすぐ助けに行く?」
「別に恋人というわけでは……」
 否定するのはそこじゃないだろう、今は。
「いや、まだ動かない。もう少し情報が欲しい。闇雲に動いてもどうやら無理みたいだ」
「じゃあ協力しない? 私が知ってる事は情報提供する。こっちもあの司祭と巫女が思ってたより手強そうだから一人じゃ無理みたいだし、手助けが欲しいの」
 ほう。やはりそう来たか。
 確かに、あの鷹のように鋭い目をした男は手強そうだ。
 ふと、クーロンの夜龍の言葉が思い出された。
『もう一つの目を持て』
 ……一人で動くには限界があるのかもしれない。

 猛獣の寝床からそう遠くない下町のカフェ……なのだろうか……で作戦を練る。
 前世紀どころかもっと前から時が止まったような古びた店内には飾り気の無いテーブルと背もたれも無い固い椅子の席がいくつかあって、壁に茶色く煤けた品書きらしきものが貼ってあるだけ。残念ながら勉強不足で漢字は読めても旧日本特有のかなというのはわからないが、店の表のガラスのショーケースに古びてはいても精巧に出来た食品サンプルが置いてあったのが面白かった。日本というエリアは実に奥深い。
 午後の西日の差す店内の奥の席に陣取り、自分はコーヒーを頼み、京というコウモリ娘は木の椀に入ったデザートらしきものを頼んだ。チョコレートでもないどろりとした赤褐色のものに餅が浮いている。湯気を上げているので熱いのだろう。タイペイでも冷たい似たようなものを見たことがあるが、こういうのは極甘だと相場が決まっている。
「わあ美味しい。やっぱり甘いものは疲れがとれるわ」
 京は赤い唇を舐めてご機嫌なご様子。うう、見ただけで甘そうだ。
「食べる? ぜんざい美味しいわよ」
「いや、甘いものは苦手だ」
 シンディもだが、なぜ女の子はスタイルを気にするくせに甘いものが好きなのだろうか。おじさんにはちょっと理解できない……。
 一息ついたところで、ここからは少々真面目な話をしたい。時間帯なのかそもそも客が少ない店なのか、他に客はいないし店番をしている老婦人は注文を取りに来た時に耳が遠そうだった。それを見越してこの店を選んだのだとしたら、この京はかなり頭がいいのだろう。ただ単に甘いものを食べたかっただけという一番有り得そうな可能性はこの際考えない。
 まずこちらから切り出した。
「君はあの『お祈りの時間』の司祭の男を止めるのが仕事だと言ったな。同業だから何処からの依頼かは尋ねないが、彼が何をしようとしているのを止めるのが目的なんだ?」
 いきなり少し際どい所を突きすぎた感が無きにしも非ずだったが、意外にも即答で帰ってきた。
「本人が言ってたじゃない。『聖戦』よ」
 答えはあまりにそっけなかった。
「聖戦?」
 すまん、全くわからない。そう思ったのが顔に出ていたのか、京は肩を軽くすくめてから説明を始めた。

ここオオサカはアジアの中でホンコンに次いで非合法のA・Hが多く、*条約機構の手も届かない無法地帯。年々数も増えて問題も出て来た。他所で犯罪に関与したような危険な者も多く、この日本自治区にしてみたらいわば癌細胞のようなもの。今はまだ危険なのはあの『猛獣の寝床』周辺だけだが、いつ広がりをみせるかわからず、放っておけばこの島全体が第二のクーロンになりかねない。それを危惧した自治区のお偉方さん達は癌の初期治療よろしく非合法のA・Hを一斉摘発する案を挙げた。だが既存の正規に住民権を得ているA・Hにまで類が及ぶかもしれないと条約機構に認められず、うやむやに終わる。その辺の認識は自分もあったので納得がいった。
「で、ここからは極秘事項なんだけど……」
 京が一旦言葉を切り、辺りを伺った。
「大丈夫だ。半径十メートル圏内にはこちらに注意を向けているものはいない」
 一応こちらも先程から音の網を張っている。アーケードの中でサイレンにやられて、やや麻痺していた耳はやっと戻った。
「どこにでも強硬派は必ずいるものだけど、半年前この日本エリアの警察のトップに立ったのがまさにそういう過激な人でね。日本治区や条約機構には内緒で非合法A・H狩りをする極秘の部隊を作ったのよ。まだ本格的には動いていないけど、実践訓練として他所で既に十数人検挙してる。勿論最終目的はこのオオサカよ。あの司祭の男はそれを阻止するために『聖戦』を謳って非合法A・Hによる一斉蜂起で警察機構に先制攻撃を仕掛けようとしてるわけ」
 ……なんかこう言っては何だが、それだけ聞くとどっちかというと悪者は警察の方な気がするのは自分もA・Hだからなのだろうが……。
「極秘に組織された部隊のわりに情報は筒抜けってわけか?」
「あの司祭気取りの男はその部隊にいたわけだから知ってるわよ」
 京はけろりと言ったが、その中に含まれている意味を知ったとき背筋が冷たくなるのを感じた。
「ちょっと待て。あの男はノーマルタイプなのか?」
「ううん。貴方と同類の鳥類のA・Hよ。ええと、確か*ヒゲワシだったかしら」
 これはまた強そうな鳥だな。なるほど、あの眼力に猛禽を感じたのは間違いではなかったのか。いや、問題はそこでは無いだろう。
「その警察の特殊部隊というのはA・HがA・Hを狩るのか?」
「だって無理じゃない、普通の人間には。特に非合法のA・Hは必要以上の能力を持った者が多いわ。流石に銃火器で射殺ってのを表だってやるのは現行犯ででも無い限り警察にも出来ない。あっという間に世間に知れ渡ってしまうもの」
「確かにそうだが……面白くないな」
 嫌な事態になっているのだな。『聖戦』とやらを思い立った男の気持ちがわからなくもない気もしてきた。
 最初のA・Hステラを聖母に見立てた宗教じみたやり方はどうかと思うが、人心を掌握し、最も結束を強くするのはいつの時代でも宗教だった。神秘性を帯びたシンボル的な何かがあれば人は陶酔し命も懸ける。個人的には大嫌いな部類の発想だが、理には適ってる。その辺は京も思うところは同じだったようだ。
「正直、私も面白くは無いわよ。あの男の気持ちもわかる。でもね、止めなきゃいけない。もし『聖戦』が起きたら、一時的にはいいかもしれないけど後々全てのA・Hにとって住みにくい世の中になるのは必至よ。派手にやらかしたら、やっと少しずつでも世界に浸透してきたA・Hという存在そのものを疑う人が増える。私の依頼人もそれを恐れているの」
「確かにな……この日本だけの問題では済まなくなるだろうな」
 はぁ。厄介な事になってきた。ここまで大きなヤマだとは思っていなかった。どこの誰がこの娘に依頼したかは知らないが、その人は思慮深い人ではある。そして無謀だ。この京はやり手なのかもしれないが、もはや一人に手に負えるような件じゃないだろう。
「で、ここまで聞けば協力してくれるのかしら? 博士曰く、あの研究所生まれのA・Hの中で後にも先にも貴方に勝てる者はいないということだし」
 博士、ただのフクロウごときにどんな買い被りだそれは。
 協力するも何も……なぁ。
 最初からそう美味くもなかったが、もうすっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干して答える。
「まあ自分はただの何でも屋だ。全世界のA・Hがこの先どうなろうと知らないが、依頼された仕事は完遂する。博士に依頼された盗まれたステラのファイルを取り戻すこと、後は個人的にシンディを取り戻すこと。その障害となるなら、もののついでに戦う事もあるかもしれないが。そんな感じでよろしいかな、レディ?」
 京はそう答えるのを見越していたかのように、ニヤリと赤い口元に笑みを浮かべた。
「まあ結果的に同じだからよろしいんじゃないかしら?」

 それでは暗くなったら参りましょうか。
 待っていろ、シンディ。ファイルを取り返し、君も連れて帰る。




*1 条約機構
ガラパゴス条約(遺伝子とA・Hの人権に関する基本条項)を監視・保全するための国際機関(詳しい用語解説は『Wild in Blood』世界観・用語解説を参照ください)
 
*2 ヒゲワシ(髭鷲)
タカ目タカ科ヒゲワシ属
ユーラシア大陸南部からアフリカ大陸にかけて生息する大型の猛禽類。顎髭が生えているように見えることから名付けられた。栄養価の高い骨髄まで食べるので、獲物の骨を砕くために高所に持ち上げて落とすという頭脳派。アラビアンナイトの怪鳥ロックのモデルとも言われている

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まいるどタブレット小説 Ver1.13