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大九龍編 - 1:迷宮の女狐と情報屋の蜥蜴

2015/02/10 12:50

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2118年 ホンコン

 またこの街か。
 まあ、ここは実はそんなに嫌いではない。肌にはしっくりくる。それでも自分の中ではずっと住みたくない所ナンバーワンだ。
 昼間でも薄暗いし、汚ないし、危ない。気を抜くと通り一筋間違えただけでどこに出るかもわからないところ。しかし世界中あちこちの街を見てきたが、ここまで魅力にあふれた街はそうそう無いだろう。ここに無いものは無い。
 グレート・クーロン。人はこの街をそう呼ぶ。
 昔々、ここには同じような場所があった。違法建築で積み重なるように立てられた建物の集まりは遠目に見ると城塞のようにすら見え「九龍城」と呼ばれていた。どの国の法の手も届かない特別な場所であったことから、犯罪者やアウトローの巣窟となっていた時代もあった。だが今から130年ほど前、その九龍城は建て壊され小洒落た街に生まれ変わったが、それも長くは続かなかった。2059年にこの辺りを大きな地震が襲い、津波によって壊滅的な被害を受けたのを期に、また怪しい城はこの地に再生した。以前の物よりも巨大で混沌とした空間として。
 国境など存在しなくなった今の世界においても、法の目を逃れたいものはこの街に逃げ込む。迷い込んだら二度と出られないとも言われる迷路のような複雑な街は、建築基準もなにも無視して、地上に地下にと無計画に広がっていった建物が形成した天然の要塞。身を隠すには持って来いだ。
 また、住人の多くは普通の人間ではない。その半数以上がA・H。
 A・H(アニマ・ヒューマン)とは動植物の能力遺伝子を組み込んで作られた者のこと。本来は宇宙開拓や人が住むには過酷すぎる環境に人類が適応出来るようにすることが目的だったのだが、技術の進歩により多種多様な種の遺伝子を組み込むことが可能になったがゆえ、様々なタイプが生み出される結果となった。既に第二世代も誕生しており、20年ほど前に世界の各自治区の間で締結されたガラパゴス条約(環境・遺伝子研究とA・Hの人権に関する基本条項)により人間として認められ、多くはその能力を活かした職につき市民権を得ている。
 だが神の設計図を書き換えて作られた命。初期は失敗作も多く、また興味本位で限界を越えようと躍起になって違法な組み換えに挑む科学者達によって、およそ人とも呼べぬ見た目の者や、必要以上、以外の能力を与えられた者が数多く生み出される結果となった。
 犯罪に使われたもの、また人目を忍ぶほどの異形の者……そんなA・H達がこの迷宮に集まり、身を隠しているのだ。そして同じくそれらを生み出す違法な科学者達もまた、摘発の手を逃れるためにこの迷宮の街に潜む。
 グレート・クーロンはそんな街。
 真っ当な暮らしをしてる人間もA・Hも決して近づかない。そんなわけで自分のような何でも屋にこの街に関わる仕事が多く寄せられるわけだ。
 何より……自分も真っ当でないA・Hだからな。

 絶妙のバランスで積み重ねられ高く高く伸びた建物、それらをまた上空で無理矢理渡り廊下のようなもので無秩序に繋いでいたり、物や人が下に落ちないようネットが張られていてその上に長年のゴミが溜まってたりするものだから、昼間でも地上に陽の光もまともに届かない。
「しかし暗いな」
 街灯なんか無い薄暗い街をゆく
 気を抜くとなぜか頭の上を無造作に走っている錆びた水道管から漏れた水が作る水たまりやゴミなんかに足を突っ込むし、これまたむき出しになってるケーブルなんかに足をとられる。
「フクロウなんでしょ? 暗い所は目が利くんじゃないの?」
「視力は確かにノーマルの人間の十倍くらいはいいが、残念ながらフクロウだからといって実は特別夜目が利くわけじゃない。むしろ見えない」
「へえ、そうなんだ。知らなかった」
「あまりくっつくな。それに何故ついて来る」
 腕に絡みつくように身を寄せてくる金髪の美女。正直ちょっと嬉しかったりするのだがな。肘に当たるこの胸の感触がたまらない。
「だって、目を離したらまたアタシを置いて一人で帰っちゃうんだもん」
「今度は連れて帰ってやると約束しただろう。下調べが終わったら帰るから部屋で待ってなさい。この先は危ない」
 これから行くのは別の情報屋のところだ。このクーロンの中でも一番ヤバイと言われている場所に、まだ二十歳にもなってない小娘を連れて行くのは気が引ける……娼館だしな。
 このシンディという娘は、前に他の依頼でこの街に来た時に、ノーマルタイプの暴漢に襲われていた所を助けてやったキツネのA・Hだ。非合法の出自では無いらしいが、この街にいる以上、他所で犯罪にでも関与したか何かだろう。相当遊んでいそうな色気のある派手な見た目だが、案外身持ちは堅いようで、頭もよく回る。
 この街から連れ出してやると約束していたが、その後のゴタゴタでそのままオフィスのあるタイペイに帰ってしまったのを根に持ってるらしい。
「アタシ、鼻いいよ? 足手まといにならないからさぁ」
「私の言うことがきけない子は、やはり置いていく事にしよう」
 気に入っているから余計に危険な目には遭わせたくないのだ。
「ザック、その私ってしゃべり方似合わないんだけど」
「他はともかく、言葉遣いだけは紳士っぽくしっかりしておけと、親がうるさかったものでね」
「紳士っぽいってよりおっさんっぽいわよ。しっかりも何も見た目もやってることも全然紳士じゃないし」
「放っておいてもらおうか。それより、大通りにいる間に早く帰りなさい」
 大通りと言っても車も入れないバイクがせいぜいの道幅しか無いが、一応無憂大路という名前がある位だからメインストリートではあるのだろう。
 むぅ、と不平の声は上げたが、やっとシンディが腕から離れた。ああ、おっぱいちゃんが離れてしまった。
「……じゃあ部屋でご馳走でも作って待ってるから。気をつけてね」
「ああ」
 女狐ちゃんと別れ、迷宮の更に奥深くへ一人で向かう。
 今回の依頼は人探しだ。かなりヤバイ仕事になるのはわかっているが、前金で既に振込済みの上で依頼されては断るわけにいかなかった。
 住んでいるのはタイペイの下町でかなりの無法地帯ではあるが、それでもこのグレート・クーロンとはわけが違う。一応お天道さまの下で生きているわけで、ここの時間の感覚すらなくなるほどの薄暗さと独特の空気には何度来ても慣れない。ひよっとして来る度に道すら変わっているのでは無いかと思うほどだ。だが、幸いにも似たような街に住んでいるからか、雰囲気が浮かないらしく、不思議と住人に嫌な顔はされない。
 この街には暗黙のルールが有る。それを守らないと瞬時に余所者と判断される。下手をすれば排除の対称だ。
一、人に合ってもみだりに声をかけない。二、大声で笑わない。三、人の過去を聞かない……これは絶対だ。ゆえに人を探すにしてもそうそう声を掛けて聞いて回るわけにいかない。
そんなわけで何人か協力者を置いてある。情報屋、身を隠す場所……地道に築き上げてきた結果だ。
今回探しているのはA・Hだが、裏でかなりの大物が関与しているのがわかっている。さて、情報屋から何か聞けるといいのだが。

 夜来香(イェライシャン)楼はこのクーロンの中では珍しい瓦屋根の低層建築だ。といっても五階はゆうにあるのだが、大昔の中国の貴族の家といった面持ちの重厚な作りで一際異彩を放っている。赤い飾り枠の窓、金色の東洋の龍の絵の柱、白い壁……表向きは高級レストランなのだが実際は娼館だという事を知らないものはいない。
 勝手知ったるで裏口に回り、見張りをしている鱗の肌の男に札を一枚握らせる。
「夜龍(イェロン)はいるか?」
「部屋に。さっきまで客がいたがもう帰ったから一人」
 戸を開けてくれたので遠慮なく中に入る。
 最上階の奥の部屋が目指す場所。客同士がすれ違う事が無いよう計算されて作られた内部は幾つもの階段がある。エレベーターくらい設置しろよと言いたいが、そもそもビルの八階にオフィス構えてるんで慣れてるけどな。
 ダミーの蝋燭が照らすだけの薄暗い廊下の突き当り、赤い金の飾りのある重そうなドアの向こうは静まりかえっている。客はいないようだな。
 一応ノックはしたが、返事がない。だがこの耳には微かな音が聞こえる。中に部屋の主はいるようだ。
 鍵がかかっていなかったので押し開けると、廊下よりは明るい室内に嗅覚は普通の自分にでもわかるくらい、むっとした臭いが篭っていた。焚き染められた麝香の匂いに混じってるのはオスのニオイ。
 表でもさっきまで客がいたと言ってたが、こりゃまた派手に遊んでおられたご様子。
 目指す相手は大きなベッドの横の赤い絨毯の上に倒れていた。
 肌蹴た薄いローブ一枚のほとんど裸で、覗く青く透き通るほど白い肌のあちこちに赤い跡が散ってるのが見える。両手首を皮のベルトで縛られてるが、その手にはしっかりと札束が握られているし、呼吸音も心拍も聞こえるから生きてはいるのでその辺は心配しない。
「大丈夫か?」
 抱き起こすと閉じていた目が弱々しく開く。この目をまっすぐ見てはいけないので軽く目を逸らす。
「ザックか……」
 手首の戒めを外してやると、擦れて赤い擦傷になっていた。
「またえらく派手にやってるんだな」
「……流石にここまでは初めてだ。ったく、自治区の偉いさんだか知らないが、ちょっと上乗せしただけで好き勝手やってくれた。跡は残すなと言ったのに」
 それ以前の問題だと言いたいが言わない。自分で身を起こして座ったししっかりした声で喋れるので大丈夫みたいだ。
「今度は何?」
「人を探してる。話聞く前にシャワーを浴びて来い」
「そうする」
 あちこち濡れてテカってるし、髪にまでべっとりなんかついてるし、全くそちらの気の無い自分でもこいつの裸は色々ヤバイ。
 夜龍は男娼だ。それもクーロンきっての売れっ子らしい……A・Hだが。
 しなやかに長い手足、闇のごとき黒い髪、蝋のような白い肌、長い睫毛に覆われた切れ長の紫を帯びた赤い目は見るものを狂わせる。A・H特有の尖った耳や背中に尖った刺があろうと、鋭い爪を持っていようと。今までの所有者によっていくつもの刺青や管理バーコードがその肌に刻まれていようと。素顔でもアイラインを引いたように目尻に濃い朱が差しているのすら独特の雰囲気を持つ美しい顔を際立たせる。それはその血のルーツの蜥蜴由来の天然のメイク。
 この青年を求めて外からも大勢の各界の大物まで男女を問わずがわざわざ危険を犯してこの娼館に足を運ぶ。この街から一歩も出たことのない彼が世界中の裏社会を知り尽くしているのはそのせいなのだ。
 情事の後の残るシルクのシーツをひっぺがして部屋の端に放り投げると、ベッドに腰掛けて帰ってくるのを待つ。
 ここは客が客だけに盗聴器も隠しカメラも無いのはわかっている。極秘の話をするには持って来いだが、正直あまり居心地の良い場所ではない。
 しばらくしてちゃんと服を来て出てきた夜龍はごく普通の青年に見えた。印象の強すぎる目は除いて……だが。
「で? 誰を探してるの?」
「ちょっと変わったA・Hでな。所有者の元から逃げた。かなり危険だから普通の場所にはいない。身を隠すとしたらこのクーロンだろう」
「変わった?」
「完全に人型ではあるが皮膚の色がケバい色の斑だ。なかなか綺麗な娘なんだがな、全身の皮膚が有毒で触るのも危険だそうだ」
「……何? そんなカエルいたよね」
「まさにそれ。観賞用に作られたそうだが。所有者が知らない者がいないような大企業の役員だ。表沙汰になる前に連れ戻したい」
 言ってて自分でも反吐が出る。A・Hだって人間だ。人並みの感情も知性も持ち合わせている。逃げ出したってことは人に所有されてるのが嫌だったってことで、それを無理矢理連れ戻してどうなるというのか。そんなことはわかってる。だがこれが自分が受けた依頼であり受けた以上はやり遂げなきゃならない。
 夜龍もそこら辺は同じような割り切った面があるのでやりやすい。
「昨日、北津小路のあたりで女の子に声を掛けただけで危篤状態になったって男がいるから怖いなってさっきの客が言ってたな、確か。肩に手を掛けただけで、別段反撃を受けたわけでもない。驚いて女の子は逃げたらしいけど……これ関係あるかな?」
 おお、まさにビンゴと本能が囁く。
「やっぱお前はすごいな」
「まだそうと決まったわけじゃないけどね。他にも何か無いか気にしておくよ。もう闇市場あたりにつかまってなきゃ……」
 言いかけて、夜龍が突然胸を抑えて体を折った。
「発作か?」
「……うん……この頃間隔が短く……サイドボードの薬、とって……」
 言われるまま猫足のサイドボードの引き出しから薬の包みを出す。慌てて水を持って来た頃には、はあはあと息も荒く、もともとマトモに陽に当たったこともない白さの顔は青ざめて、口唇まで紫色だった。
「……やっぱ、今日、客が酷かった……から」
 震える手で畳まれた粉薬の包を開けて流し込むのは、痛々しくて見ていられない。
 A・H特有の臓器の崩壊が彼の体を蝕んでいる。本来人にあるはずもない遺伝子を組み込んだ体はひとつバランスを失えば簡単に壊れる。特に無認可のもぐりの低能な科学者がいたずらに作ったこの若者は失敗作だった。この歳まで生きてきたのは育ての親が良かったからだが、仲を違えて家を飛び出してからもう長い。特にこんな体を酷使する事を繰り返してたら……。
 背は高いが細い体をベッドに横たえてやると、微かに笑みを浮かべた。
「親父の薬はよく効くから、少し寝てれば治る」
「お前、こんなことずっとしてたらいつか死ぬぞ?」
「どうせそう長くないし、別に今更惜しい命でもない。それにここまで酷い客はそうそういない。心配するな」
「心配など……」
 この仕事に関して止めはしないしそのおかげで情報を得ている身が、偉そうに言えることではない。だが彼はまだ若いし少し出来るなら長生きして欲しい。彼ほど優秀な情報屋はそうそういない。
「せめて相手は選べよ。後で親父さんの店で薬をもらってきてやる」
「……なんだかんだで世話焼きだよね、ザックは。自分こそあまりヤバイ依頼は断れよ。いつか死ぬよ」
「ああ」

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